嘆きの壁を通りぬけた星矢達だったが,その先を通りぬけようとして一着に着いたのは星矢だった。
少なくとも星矢のはずだった。
ところが星矢はぐわーと叫んで戻ってきた。
紫龍は星矢の顔色がおかしい事に気付いた。
真っ青を通り越して青紫になっている。
「星矢,顔が紫だ」
チアノーゼを起しかけている。
「ひぇっひぇっ苦しかった死ぬかと思った」
星矢は両手を地面に伏して苦しそうに息を吸ったり吐いた。
一体何を見たのだろうと紫龍は星矢が引き返した先に行った。
目の前に丸いドアが付いている。
ドアには窓が付いていて紫龍は窓を見た。
「ははぁ,そういうわけか」
「何が分かったの?」
瞬と氷河が近付いてきた。
「窓から見てみろ」
氷河と瞬は窓に顔をくっつけた。
「わ!!」
瞬の眼に映ったのは広大な宇宙空間だった。
「星矢は多分なにも考えずにドアを開けて宇宙空間に飛び出した。酸素はないし激しい空気圧を受けてチアノーゼを発症したのだ。気をつけなければ」
紫龍は困り顔だ。
「それじゃあエリシオンへはこの宇宙空間を通らなくてはいけないってこと?」
瞬が聞いた。
「俺達の中で体が最も頑丈な星矢ですらこうなんだからうかつに我々も突っ込むわけにはいかない」
と氷河。
「どうすれば…」
まだ息苦しそうにしながら星矢が言った。
「エリシオンへ…行かせてあげましょうか」
聞いたことのある声がして一同は声のした方を向いた。
そこにいたのはあのパンドラだった。
何をされるか分からないと全員が身構えた。
「何をそんなに怖がっているのです。私がエリシオンに行かせると言っているんですよ」
「なんだって?」
星矢は疑わしいと思った。
「どうしてそんなことを言い出した?」
紫龍が聞いた。
「お前達に…私のかたきをとってほしい」
「かたき?意味が分からない」
「もしかたきをとってくれると約束してくれたなら私がお前達を無事にエリシオンまで行かせましょう」
星矢はまだ警戒したままだったが紫龍が,
「話を聞かせてくれ」
と言った。
今から18年前の事だ。地上にあったハーデス城はもともとパンドラの実家だった。家は古い財閥で,運送業や金融業やらを営んでいた。
その家で何不自由なく育ったパンドラが,忘れもしない小学校に入る少しだった時だ。外で遊んでいると家の物置からおかしな声がする。
おかしいなと思って耳を澄ますとどうやら誰かの歌声だ。
男女の2人が合唱している。
『私たちはわるいわるい魔法使いに捕まえられた妖精です
優しいお嬢さん
私をここから出して下さい
もしも出してくれたら
あなたにすてきなものをプレゼントします』
パンドラはもし本当にかわいそうな妖精が魔法使いにつかまっているのかもしれないと思い,声のする物置に入った。
すると,物置の棚に小さな宝箱があって,歌声はそこから聞こえてくる。
『さあはやく開けて
私たちをたすけて』
歌にのせられるようにそのままパンドラは箱を開けた。
すると
『ありがとう
ありがとう』
白い煙が舞い上がり,二人組ががふわふわと浮かんでいた。
物置が暗くてパンドラは相手の顔をよく見えなかったけれど,男女で2人ともお揃いで白いてるてる坊主のような服装をしていたのでパンドラは笑ってしまった。
男性の方が,
「優しいお嬢さん,ありがとう。私は眠りの妖精ヒュプノスです」
と優しい声で言った。
女性の方が,
「私はヒュプノスの双子の妹で,死の妖精タナトスですの」
とかわいらしい声を出して言った。
ヒュプノスは言った。
「パンドラさん,私達を逃がしてくれて本当にありがとう。ありがとう。どうか私達の事を助けて下さい。もし助けてくれたら素敵なものをあげましょう」
当時子供だったパンドラはまさかその双子の素性を疑う事もなく,優しい男性の声とかわいらしい女性の声が歌うように話しているしそしててるてる坊主のような格好にすっかり信用してしまい,
「うんいいよ」
と言ってしまった。
するとヒュプノスが歌うように言う。
「もうすぐあなたのうちでおとこのあかちゃんがうまれます。その子はハーデス様といってとっても大切な人なのです。あなたはハーデス様が18歳になるまで大事に大事にお世話をして下さいね」
タナトスが歌うように言う。
「ハーデス様をお守りするために世界中から108人の冥闘士がきてあなたを手伝ってくれますの。だから何も怖い事はないですの」
ヒュプノスは続けた。
「もしもパンドラさんがハーデス様の御世話をしてくれるなら永遠の命を上げますよ」
永遠の命,という言葉はパンドラには理解しがたい単語ではあったが,こんなやさしい妖精さんからのプレゼントならきっと素敵なものだろうと考えた。
「分かった。お世話,するよ」
と言った。

それから十月十日後,パンドラの家に男の子が生まれた。
しかしそれを境にろくなことが起こらなかった。
父親が仕事を手広く広げ過ぎてしまい,結果失敗して会社は倒産して首をつった。
母親は酒とギャンブルに溺れ,パチンコ店で知り合った男と駆け落ちした。
家にはパンドラとハーデスが残された。
一人残されたパンドラが泣いていると,
「どうしたの,泣かないで泣かないで」
と双子の妖精が現れた。
パンドラが泣きながら自分の身に起こったことを話すと,
「大丈夫。きっとハーデス様があなたを守って下さいます」
とヒュプノスが言った。
「私達が今こそあなたに贈り物をあげましょう」
と。
するとタナトスがパンドラの手に不思議な黒いネックレスを持たせた。
「これを使えばあなたは冥界の王さまになれますの。これがあればどこへでもいけますの。なんでもほしいものが手にはいりますの」
パンドラは信じられなかったが,ためしにおなかがすいたと言った。
するとネックレスからケーキやあめやチョコレートやハンバーグが出てきた。
次にハーデス様のミルクが欲しいと言うと哺乳瓶が現れた。
こうしてパンドラはこの不思議なネックレスの使い方を覚えた。
ほしいものは何でもネックレスで注文した。
たべものもおもちゃも漫画の本も服もテレビゲームも。
実は後から分かった事なのだが,ネックレスはほしいものを無から作りだしているのではない。
パンドラが欲しいものを世界のどこかから,パクッてくる迷惑なものだった。
しかし子供のパンドラに迷惑という考えは及ばず全く関係なかった。
こうしてパンドラはその後集まった108人の冥闘士をしたがえハーデスの世話をした。
何の不自由はなかったが,実際に星矢達と戦い,自分の行動に疑問を感じてしまった。
パンドラは欲しいものや強い兵隊を何でも手に入れられたものの孤独だった。
星矢達の仲間意識の強さや貴鬼とムウの親子愛,アイオリアとアイオロスの兄弟愛,カミュとアフロディーテの男女の愛,それらを目にした。
もしパンドラがネックレスに頼んでも絶対に手に入らない。
いや,ネックレスなんか持たなくたってかつて家族に囲まれた生活が恋しくなった。
しかしそれはハーデスというエイリアンによって変えられた。
もう間に合わないかもしれないがパンドラも
今一度あの幸せだった頃の家族と自分自身を取り戻したいと心より願った。
そこまで話を聞いて誰もからかったり批判をするものはなかった。
この状況下ならば,誰だってパンドラのようになってしまう可能性はあったからだ。
「それでどうやって僕達を運んでくれるのですか」
瞬が聞くとパンドラはネックレスを外して,
「これを使います」
と言った。
そしてネックレスを右手に持ち高く掲げた。
ネックレスが光った。
すると青銅聖闘士の前に巨大なスペースシャトルが現れた。
「さあ,これがあればエリシオンまでの異次元も超えられる。早く乗って」
ぐずぐずしている場合ではない。
「ありがとう」
紫龍が頭を下げた。
一同はエリシオンに乗り込む前にトイレに行き,用を済ませてから手を洗い,口をゆすいだ。
これから神の国に入る前に身を清めておくためだ。
顔も洗ってさっぱりした星矢に,
「そうだ」
とパンドラが付けていたネックレスを外して星矢の首にかけた。
「これをお守りとして持っていくがよい。ただ前にも言ったようにこれは無から物を作り出すものではない。必要な時によく考えて使うのだ」
「ありがとう」
今度は星矢もパンドラにお礼を言った。

準備が終わったところで紫龍を先頭に,星矢,瞬,氷河がシャトルの中に乗り込んだ。
全員が座席に深く腰掛けシートベルトを着用したところでパンドラが外から端末を操作した。
オートパイロットでエリシオンへ行く。
「生きている間に宇宙船に乗れるなんて思わなかったぜ」
星矢はなんだかワクワクしていた。と同時にそわそわもしている。
「しかし中は案外狭いな」
と氷河。
自動音声によるカウントが始まった。
「シャトル発射20秒前」
「し,瞬,紫龍!!」
星矢は左右にいた瞬と紫龍の手を握った。
期待半分不安もある。
2人はしょうがないなという顔をした。
氷河は窓から地上を見ていた。
―わが師,待ってて下さい。必ずかえってきます。必ずアテナと地上を守ります!!だから,俺達を見守って下さい。
氷河は目を閉じてカミュに祈った。
「発射10秒前9.8.7.6.5.4.3.2.1…発射!!」
入道雲のような煙を上げて若き青銅聖闘士を乗せたスペースシャトルがエリシオンへの異次元空間へ射出された。
「うおおおおお!!」
全身にかかる重力に星矢は叫んだ。
紫龍,氷河,瞬も必死に耐えた。
ものの10分ほどで宇宙船は安定飛行に入って一同も落ち着く事が出来た。
紫龍は席を立ってコクピットに視線を向けた。
「エリシオンまで約25分か」
そして座席に戻った。
「どうだろう。時間もあることだしこれから先のことを相談しよう」
「紫龍は何か気になることがあるんだね」
瞬に言われて紫龍はうなずいた。
「さっきのパンドラの話だが,双子の妖精の話を聞いただろう。ヒュプノスとタナトス。彼らはパンドラをそそのかした」
「おそらくその双子がエリシオンにいる可能性は高いな。ネットで検索したところによると兄のヒュプノスは眠りをつかさどる神で,妹のタナトスは死をつかさどる神だそうだ。2人とも神でありながらハーデスの配下となって働いているらしい」
氷河が説明した。
「それじゃ俺達はその神様と戦うのか?」
紫龍が感慨にふけっている。
「神様でも関係ねぇぜ!」
星矢が椅子から立ち上がった。
そして手で拳を作って上下させた。
「でもそんなの関係ねぇ!!でもそんなの関係ねぇ!!はい,オッパッピー!!」
「相手が神様でもダイジョブダイジョブー!!」
他の青銅聖闘士達は驚いたがそれでも星矢が必死にみんなを元気づけようとしていたのが分かるので星矢の動きに合わせて手拍子した。


星矢達がスペースシャトルの中で士気を高めようと盛り上がっている頃,聖域では無事にオルフェとユリティースが戻ってきたという事を聞きつけて彼らの友人達が顔を見に来た。
「ユリティース,本当にあなたなの」
友達というその女性はユリティースや魔鈴,シャイナと同年代で,本当にユリティースの無事を喜んでいた。
その様子を邪武や市や那智や檄や蛮がジロジロと見ていた。
邪武が,
「俺あの人どっかで見たことがある気がする」
「あたしもザンスよ。誰かに似ているような気が」
と市も言った。
すると邪武が進み出てきて,
「あの,どこかで会ったことない?」
と聞いた。
すると,女性がやけに深刻な顔をした。
「あの…もしかしたらお会いしたことがあるかどうかそれはあたしには分かりません」
と妙な発言をした。
するとユリティースが,
「この人は星華といって,私が勤めていた会社の,同期入社の友達なんです。もともとは日本人なのだそうですけど,子供の時に記憶を失っているんですって」
「星華だって!?」
青銅聖闘士と魔鈴が聞き返した。
「そうだ,誰かに似ていると思ったら星矢に似てたんだ」
那智が言う。
突然の周りのリアクションに星華は不安そうに周りを見た。
「え?あたしの名前が何かしましたか」
「星矢の姉さんだ!!」
邪武が言うと,
「星矢?弟?…ごめんなさい。分からないんです」
星華は申し訳なさそうに首を振った。
「記憶を失ってるんだからしょうがないよ」
残念そうに蛮が言った。
落胆する一同を見て星華が,
「あの,私は子供のころに記憶を失っています。なんでもトランク一つ下げてアテネの駅で生き倒れになっていたところを助けられたのです。そのときに記憶を失っていて自分の下げていたトランクとパスポートから自分が日本人であることと星華という名前しか分かりませんでした。…もし皆さんの仰る星矢という人が本当に私の弟なら。皆さんはその人のことを御存じなんですか?」
「御存じもなにももう18年の腐れ縁だぜ…」
と邪武が言った。

その頃,あの世でもこの世でもない不思議な沼地で童虎は目を覚ました。
辺りは真っ暗だ。
「なんやここは…」
童虎はこれまで自分の身に起こったことを思い返した。
確か嘆きの壁で衝撃に飲み込まれて自分は死亡したはずだった。
体を触ると泥水で濡れていて不快だ。
聖衣は着用しておらず裸だった。
「聖衣だけが外れたんやのうてパンツも脱げたか。まあもうしんでんねんからフルチンでも関係ないか」
童虎はよっこらしょと体を起した。
「しかしあの世ちゅうのは暗いの」
童虎は辺りを見た。
真っ暗で何も見えない。
とりあえず歩き回ろうと,沼の中をずるずる歩くと,何かに当たった。
「イテッ」
当たった何かがそう言った。
「なんや?」
童虎は屈んで足に当たったものを触った。体温のように生温かく,髪の毛のようなものが生えている。
「そ,その声は童虎の爺さんかよ」
「そや。自分は誰や」
「俺,ミロだよ」
「ミロってあのミロか?」
「あのミロもこのミロもミロは俺だけだろ」
「そ,そうか。すまんな」
「別にいいけど。所でこの状況って何?俺らあの世に来たの?」
「それがわしにも分からん!!生きとるのかも死んどるんかも分からん」
「何だよそれ。…で,今ここにいるのは俺らだけ?」
ミロは目を凝らしたり耳を澄ましてみた。
「…うぅ」
ミロの足もとで誰か呻いている。
「ここにもひとりいたっ」
ミロは屈んでその誰かの体を引っ張った。
ミロは誰かの体を触って髪の毛がショートカットだったので,アイオリアだと気付いて,
「起きろっ,脳筋モンチッチ!!」
と水木ビンタを張った。
「…うぅ,誰が脳筋モンチッチだ」
「あれ?アイオリアじゃない!!」
と声を聞いてミロはアイオリアじゃないと首をかしげた。
「俺はアイオロスだ…一体これはどうなってるんだ」
「アイオロス,無事か」
童虎がアイオロスの隣に屈んだ。
「あなたは老師…。これは一体どこで我々はどうなったんですか」
「それが分かれば誰も困らへん。気が付いたらここにおってん。もしかしたら他のヤツらもみんな近くにおるかもしれへん。手分けして探そうや」
童虎は言った。
ミロはこんな時に童虎が一緒にいてくれて良かったと思った。
自分達が生きているか死んでいるかも分からないのにここがどこかも知らないのにこのバイタリティは恐れ入る。さすがに二度も聖戦を経験しているだけはある。
アイオロスは自分の隣にいる誰かを触ってそれが分かると軽くゆすり起こした。
「アイオリア,起きなさい。起きるんだ」
「ふがっ」
アイオリアは目をこすった。
「…兄ちゃんここは天国か?」
「分からない。分からないがとにかく我々は今無事のようだ。兄ちゃんと一緒に他のみんなを探してくれ」
アイオリアは寝ぼけた目をこすって頷くと,辺りを見回した。
童虎とミロとアイオロスアイオリアの4人で仲間達を探したので,カノンを含めて13人全員が見つかった。
全員が童虎の周りを囲んだ。
カミュが最初に言った。
「まずここはどこですか,私たちは生きているのですか死んでいるのですか,そしてどうして私達は全員が裸なのですか」
「えっ,全員裸っすか」
アイオリアとミロとカノンが一斉にアフロディーテの方を見た。
残念ながら暗くてよく見えなかった。
「つーか君らはなんでそこにだけ質問するんや。とにかくや,ここがあの世かこの世かそら分からん。けどわしらはとりあえず全員無事みたいやの」
童虎は12人の気配を感じながら言った。
「…ちょっと待ってくれ。一人無事じゃない」
カノンが声を上げた。
「兄貴が発作起こしてる」
暗がりで見えなかったが,カノンの腕の中でサガが発作を起こしてヒイヒイ言っている。
アルデバランが手探りでサガの近くまで歩いて行き,
「大丈夫だ。俺のペースに合わせて深呼吸しろ。吸って,そうゆっくりだ。吐いて。もう一度吸って。その調子だ」
アルデバランがサガの呼吸を整えさせた。
こんなときプロの看護師のアルデバランがいると助かる。
サガの発作が治まった。
「兄貴ぃ良かったぜ」
カノンが泣きそうなほっとした声を出した。
しかしアルデバランは冷静過ぎる声で言う。
「いや,これは一時的な処置にしか過ぎないんだ。どちらにしてもちゃんとした措置を早くとらないと危険だ」
カミュはその一部始終を黙って見ていたがそれにシュラが気が付いた。
「カミュ,どうした」
「サガの心臓が元々の心臓に戻っている」
「は?」
「思い出してくれ。君も私もサガと一緒に冥衣をまとって聖域に行った時,一度でもサガは心臓発作を起こしたことがあるか?」
「いや起きなかったぜ。当然だよ。その時点で俺達は死んでたんだからゾンビのサガが心臓発作起こすはずが…あっ!!」
シュラはやっと気が付いた。
生前サガは重い心臓疾患を患っていた。しかし一度死亡してハーデスの力により冥界から甦ったサガはすでに心臓病に煩わされることなく健康的に活動していた。しかし今,また元の弱い心臓に戻っている。
「…もしかしたら私達は…生き返ったのかもしれない」
カミュは信じられなかったがそうつぶやいた。
しかしサガの心臓発作を見る限りでは間違いない。
「しかしその原理が分からない」
カミュは頭を抱えた。
「分からなくったっていいじゃん。俺は嬉しいよ,カミュが生き返ってくれたから」
ミロは言った。
「そうや。理由なんかどうでもええんや」
童虎が力強く言った。
「なんでかは後で考えたらええねん。それよりもこれはえらいこっちゃやで。もしかしたらわしらは生きて再び地上に帰れるかもしれん」
一同はびっくりした。
暗闇の中で不安だった空気が一気に明るくなった。
しかし童虎が,
「よう知らんけど」
と言うと,カノンが怒り出した。
「期待させといてそれはねぇよ」
「いやいや,関西人はよく言葉の最後によう知らんけどを付けるのは口癖らしいそうだ」
とシャカが言った。
「それでも私達はそのわずかな希望にかけましょうよ。…こんな体でも,たとえこの胸が苦しくても,私はもう一度生きたい」
弱弱しい声の中にサガの生への強い渇望が感じられるのを聞いてそれを嘲るものはいない。
「とにかくみんなでがんばってここを抜けるでぇ」
童虎が言った。



その頃,シャトルは順調に航行していた。
『あと5分で目的地に到着します。着陸準備に入って下さい』
星矢はすごすごと座席に戻ってシートベルトを装着した。


エリシオンは夜は来ず,いつも青空で辺り一面が花畑の美しい庭園だ。
エリシオンの高台には観測所があり,ここから冥界や地上の様子を確認している。
オペレーターのニンフが画面を見て,
「緊急事態!謎の飛行物体がこのエリシオンに接近中!!」
と言った。
管制官のニンフ達はざわついた。
「ヒュプノス様,迎撃のご命令を」
指令席にいたヒュプノスは指でメガネを押し上げながら,
「しかたありません。許可します」
と言った。
この未確認飛行物体の報告は,双子の妹のタナトスにも伝わった。
自分の専用スタジオで歌の練習中だったタナトスは,
「何か面白い事が起きそうな予感がしますの」
と言ってスキップして外へ飛び出して行った。
ギリシャ風の神殿が並び,辺りは花が咲いて,空は雲ひとつない青だ。
その青の中を,小さな光が見えた。
その光はだんだん大きくなって,それが白いスペースシャトルの姿だと誰もが気付いた。
シャトルにはアメリカ合衆国の星条旗のマークがしっかりと付いている。
その頃地上のアメリカ合衆国ヒューストンのアメリカ航空宇宙局では新型のスペースシャトルが忽然と姿を消して大騒ぎしていた。
宇宙人の仕業だとか空間のねじれが起きたとか憶測が飛び交ったが,ここでは物語と関係がないので割愛しておく。

さてこのスペースシャトルは着陸態勢に入るためにまっすぐにエリシオンの広場目指してやってくる。
瞬は窓からエリシオンを見て本当にきれいな所だと思った。
こんな素晴らしい花園で本当にあの邪悪なハーデスが住んでいるのかと信じられなかった。
しかしその美しい外観にそぐわず,侵入者を許すわけにはいかないとエリシオンが迎撃に打って出た。
瀟洒なギリシャ風の建物の天井ハッチが大きく開き,パトリオットの対空ミサイルが数台現れた。
「紫龍!」
瞬が叫んだ。
「くっ」
星矢があわてて操縦席に走った。
一斉に全員が星矢を見る。
「星矢!!無理だ!!」
すると星矢は振り返って,
「大丈夫だ!!俺は先月に原付の免許を取っている!!」
瞬は星矢がそう言ってアケローン川のモーターボート運転しようとしていきなりバックギアに入れた事を思い出した。
「だめだよ!!無茶だ!!」
星矢は操縦桿を握った。
「俺はまだやられるわけにはいかないんだ。こんな所で墜落死なんていやだぜ。まだまだやりたいことだってあるし,会いたい人だっているんだ」
―誰か俺に力を与えてくれ!!
星矢は祈った。


そのとき,その星矢の強い願いがはるかかなたの地上のある場所へ飛び込んだ。
そこはあの海皇ポセイドンのよりしろになっていたジュリアン・ソロの自宅だった。
セイレーンのソレントがジュリアン・ソロの為に午後のお茶の準備をしていた。
真っ白いテーブルクロスの上にウエッジウッドのワイルドストロベリーのティーセットがあり,今日のケーキはイチゴのミルフィーユとアイスクリームだ。
ソレントがポットの紅茶を注ごうとジュリアン・ソロの横に立った。
ところが肝心のジュリアン・ソロは何も言わず正面を向いている。
ソレントは様子がおかしいと思い,
「あの,ジュリアン様」
と声をかけた。
「ソレント」
その声の発音,そして突然発せられる大きな小宇宙にソレントはびっくりした。
―もしかしてこれは…ポセイドン様?
ソレントは慌てて頭を下げた。
「ソレント,ワシはちぃとばかりアテナの聖闘士を助けようと思うんじゃ」
「は?アテナの聖闘士にですか」
「そうじゃ。わりゃぁこの日食が普通の日食じゃゆぅて思うか?わしゃぁそうは思わなぁで。こりゃぁハーデスが起こした日食じゃ。
この日食が起きりゃぁ二度と太陽は照らなくなる」
「ハーデスが,ですか」
ハーデスの名前を初めて聞いてソレントはさらにびっくりだ。
「ほうじゃ。せこいガキじゃ。ハーデスは地上を暗黒世界にして自分の物にしようとしとる。今アテナの聖闘士たちがハーデスを追っかけて必死に戦っとる。わしゃぁあんなぁら(彼ら)を助けたい。ほぃじゃがわしの体は封印されとるけぇせいぜいあんなぁらが無事にハーデスの所に行けるんを手助けできるくらいじゃ」

ポセイドンの念は地上からはるか離れたエリシオンの星矢の頭に届いた。
星矢の頭の中と両手にベテランの宇宙飛行士の船長の知識とスキルと勘が入りこんできた。星矢は導かれるままに操縦桿を動かした。
注意や警告もなにもなく一斉にエリシオンのパトリオットが,スペースシャトルに向かって火を吹いた。
ところがスペースシャトルは巧妙にミサイルをよけて安全に航行する。
星矢も何が起こったのか分からない。
ただ体の命じるままに動かすだけでいいのだ。
「よく分からんがいいぞその調子だ」
仲間達が星矢を応援した。
しかし難を逃れたと思ったら,今度は妙な音が聞こえる。
窓から見ると数十機のMIG型戦闘機が青銅聖闘士を乗せたスペースシャトルを追跡していた。
「くそっ,逃げ切ってやるぜ!」
星矢はシャトルの機体を一度上に上げた。
すると,反対側からも戦闘機がやってきた。
これでは逃げ場はない。
周囲を戦闘機に囲まれた。
そのとき,背後から一機のハリアーが現れ,ミサイルでMIGを撃ち落としに来た。
「なんだあの戦闘機は!?」
紫龍がハリアーを指さした。
しかしもっともびっくりしたのはエリシオンの空軍だった。
この立った一機のハリアーをとらえるため,エリシオンの空軍は総力を挙げてハリアーを狙った。
しかしハリアーはMIGのミサイルを絶妙なバランスでよけ,急旋回したりきりもみ回転を繰り返しながら次々と飛ぶ鳥を落とすようにMIGを落として行った。
「…あの戦闘機は僕達の味方なのかな?」
瞬が言うと氷河は,
「分からない。しかしあの戦闘機のお陰でこの宇宙船は全く被弾していないことは確かのようだぜ」
ハリアーはまるで星矢達の乗ったシャトルを守るように飛び回りながらミサイルですべてのMIGを撃ち落とした。
星矢は緊張していたが,紫龍が,
「着陸してもいいだろう。星矢,着陸準備に入るんだ」
と言ったので星矢はできるだけ広い花園の上を目指してシャトルの高度を下げた。
ハリアーはシャトルの後ろを護衛するように付いてきた。
シャトルはゆっくりと安全に高度を下げ,パラシュートを出しながら前輪が出て,ゆっくりと花園の上に着陸した。
ハリアーはシャトルが安全に着陸するのを守るようにホバリングしながら垂直着陸した。
シャトルのハッチが開いて,星矢達が降りてきた。
急いでハリアーの方に向かう。
自分達をエリシオンの空軍から守ってくれたのは誰だろう。
敵か味方かは分からないので警戒する。
ハリアーから降りてきたパイロットはフルフェイスのヘルメットをかぶっていた。
パイロットがそのヘルメットを外した時,青銅聖闘士達の警戒していた緊張の顔が一気に解けた。
瞬が叫んだ。
「やっぱり来てくれたんだね兄さん!!」
全員が一輝の元に駆け寄る。
「当然だ。お前達だけにはしておけない」
一輝が不愛想に言った。



その頃,星矢達の乗ったシャトルが無事に着陸した瞬間,ポセイドンは頭をテーブルの上に突っ伏した。
ソレントは何が起こったのかと思った。
すぐにむくりと頭を上げた。
「あれ?ソレント。どうしたんです。幽霊でも見た顔をして」
「あっはい,すいません」
その声はいつもと変わらないジュリアン・ソロだ。
ソレントは頭を下げて慌ててお茶を入れた。



童虎を先頭に黄金聖闘士達は暗闇の中を歩いていた。
少し進むと明るく,何とかお互いの顔が識別できる場所まで歩いてきた。
そのことで一同は少し陽気になった。
ここはどこなのか何日たっているのかは分からなかったが,うんがいいことにほとんどのものが,腕時計を付けていたので,今現在の時間や,何時間歩いたかなどは知ることができた。
最初の地点を出発して1時間ほど歩いた時,カミュが手を引いて歩いていた時,アフロディーテがぬかるみに足を滑らせて転んだ。
「きゃっ」
転んだアフロディーテは足を広げた形で尻もちをつく。
一斉にミロとアイオリアとカノンがその方向を振り返った。
「今,見たよな」
とミロが言うと,
「見た!!」
とカノンが叫んだ。
「俺も一生分目に焼き付けた」
とアイオリア。
するとその3人の後ろにデスマスクが目を光らせて立っていた。
「みぃたぁなぁ〜」
デスマスクの右手人差し指が光っていた。
「積尸気冥界破!!」
「ぎゃおっ」
「コラッ,お前らこんな暗い所でけんかするな」
童虎が注意した。
そのとき,
「ちょっと!!そこに誰かいるの?」
と声がした。
自分達の他に誰かいると気付いた黄金聖闘士はみんな驚いた。
どうやら相手は女性のようだ。
「きっ,君は誰や」
代表して童虎が声を張り上げた。
「この声…この声は童虎なの?」
再度女性の声が返ってきた。
「えっ。何でわしを…お前まさかシオンか?」
「そうよ。私よ。やっぱり童虎だったのね」
足音がしてこちらに誰かが近付いてきた。
黄緑色の長い髪をなびかせてシオンが姿を飛び出してきた。
「シオン!お前も無事やったんか」
童虎は嬉しくて叫んだ。
「もう二度と会えないかと思ったわ」
シオンが自分より4pほど背が低い童虎の首にしがみついた。
「お前もこの沼の中を歩いてきたんか?」
「ええそうよ。2時間少しくらいかしら」
シオンはタフな女性だ。
大の男が12人と女性1人で1時間も歩いてそろそろみんな疲れているのにシオンはたった一人2時間以上歩いてきたという。それも
纏足の足で。
「お前,足は大丈夫か」
童虎は心配してシオンの足を見た。身長185cmに対してたった10cmしかないシオンの足。
「ええ。だって私は物心ついたときからこの足ですから」
シオンも合流したところで全部で14人になった。
本当にシオンはタフな女性だ。
形がよくそれでいて,豊かなバストに女性らしい柔らかい丸い尻を持ったとても魅惑的な裸体なのにある程度長い髪で隠れているとは言うものの自分からはそれを隠すことなく堂々と男性の黄金聖闘士達を従えて先頭を歩いている。
同じ女性のアフロディーテはとても信じられなかった。
いや,そんなタフなシオンだからこそ女性でありながら教皇になれたのだろう。
それにあまりにもシオンが堂々としているので,最初はじろじろと見ていたミロ達もだんだん目が慣れてきてわざわざシオンの裸を見ようとしたりもしなくなってきた。



さて場面はエリシオンに戻ろう。
青銅聖闘士が5人揃ったところで,辺りを手分けして様子を見ようという話になった。
星矢はまずシャトルの周辺を歩き回った。
そのとき,後ろから当て身を食らわされて倒れた。
倒れこんだ星矢が後ろを見た。
そこには銀髪の少女が立っていた。
銀髪の髪にてるてる坊主のような服装をした姿を見て星矢はパンドラの話を思い出した。
双子神はてるてる坊主のような服装をしていたと言っていた。
「嘆きの壁を抜けてエリシオンに入った人間がいるからどんなのが来てるのかと楽しみに来てみたのに弱っちいですの」
「お前が…ハーデスの配下の双子神か」
「そうですの。人間のくせによく知ってますの。私は死をつかさどる神のタナトスですの」
星矢は起き上がった。
タナトスの声は明らかにぶりっ子特有の作り声でまるでアニメの声優かメイドカフェの人みたいだと思った。
「じゃあお前はアテナがどこに行ったか知ってるな」
「どうせ教えたって無駄ですの」
タナトスは言った。
「どうせあなたはここで死にますの」
タナトスが光の球を何個もぶつけてきた。
その球を食らい星矢は花畑の中に倒れた。
「な,なんて技だ。避けるタイミング分からなかったぜ」
「うふふ。人間になんか見切れるはずがありませんの」
タナトスは星矢の所に近寄ってきて,
「ここは人間みたいな下等な生き物が入れる所じゃありませんの。だからここでとっとと始末をつけますの。次の一撃であなたは確実に死にますの」
タナトスが倒れた星矢に向かって光を放とうとした。
「待ちなさい,タナトス」
と声がした。
「お兄様こんな所に何の用ですの」
タナトスの隣にタナトスとそっくりの顔と髪型でてるてる坊主姿の青年が立っていた。
2人の違いというと青年の方が男なので身長も高い事と髪と瞳の色が金髪でメガネをかけている以外は全くタナトスと同じだ。
「タナトス。いつも言ってます。ここはハーデス様のお城です。ハーデス様は無益な殺生をお嫌いになる。いい加減にしなさい」
青年は星矢に近づいて,
「いやいやペガサスの聖闘士,許して下さい。妹は短気でね」
とにやにやとした。
「そしてあんたがもう一人の双子神だな」
星矢が言うと,
「そう。私は眠りをつかさどる神ヒュプノスです。このタナトスの兄ですよ。よろしく,ペガサスの聖闘士」
「聖闘士ですの?それじゃこの人はアテナの聖闘士ですの?」
「そうです。タナトスよ。おそらくアテナを救出するために来たのです。嘆きの壁を超えてくるとは全く大した男です」
みたところこのヒュプノスという男は妹よりもずっと理知的で賢そうだ。
「そうだあんたなら知ってるか?アテナはどこにいるんだ?」
星矢は努めて冷静に質問した。
「ええ,知っておりますよ」
ヒュプノスは言った。
「なら教えてくれ」
「アテナはね,あそこのハーデス神殿の隣の建物の中にいますよ。もちろん死んではいません」
「よ,よかった」
星矢が一瞬希望に燃えた。
「ただし…眠ってますけどね」
「眠って?」
「私がアテナに催眠術をかけたんです。ぐっすり眠ってその間に逆さに吊って頭から血液を搾りとります。アテナの体からすべての血が抜けると死にますけれど」
「…な,なんていうことしやがるんだ」
星矢は憤慨した。
それでは急死でなくても何れ死ぬじゃないか。
「すぐに沙織さんを助けに行かないと!!今行くぞ」
星矢はハーデス神殿を目指して歩き始める。
「沙織さん!!」
「お兄様,でもこのままこの人がハーデス様のお部屋に行くことを黙って見過ごすわけにはいきませんの」
タナトスは兄に訴えた。
「しかたありません。好きにして下さい」
ヒュプノスは仕方なく許可を出した。
「しかしタナトス,やるなら一瞬で手早く終わらせるのです。絶対にハーデス様の所を血で汚すというご無礼があってはいけませんよ」
「はいですのお兄様」
タナトスは走り去る星矢に向かって再び光の球を飛ばした。
ところが球は星矢に全く当たらない。
やけになってタナトスは球を飛ばした。
すると星矢はそれをよけて,
「なにしやがんだー。ペガサス流星拳!!」
流星拳を受けタナトスの体が後退した。
「な,なにするんですのっ。これでも食らうですのっ」
タナトスは巨大な球を作り上げ,星矢の頭にぶつけた。
星矢は頭から倒れた。
しかし星矢は這ってでも前進しようとする。
するとヒュプノスはタナトスを横目で見て,
「ほら見なさい。てこずってはいけないとタナトス,私はあなたに言いましたね。この子をよくごらんなさい。何もかもかなぐり捨ててアテナの所へ行こうとしています。私はこの子の根性が恐ろしいです。それに,私はいつも観測所にいるのですが,彼らはここへ来るとき二機の乗り物でここに来ています。とすると少なくとも彼は2人以上はいます。ほかにも何人か仲間がいるはずです」
そのとき,ヒュプノスの携帯電話が鳴った。
『ヒュプノス様,すぐに管制室にお戻り下さい。原因不明の計器トラブルです』
「分かりました。すぐに戻ります」
ヒュプノスは電話をてるてる坊主の服の中にしまうと,
「いいですね,タナトス,くれぐれも気を付けて下さい」
と去っていく。
タナトスは信じられないと星矢の体を見た。
「なんて根性ですの。ばかみたいですの。でもあなたはここで終わりですの!!」
「嫌だ,終わりたくない!!」
星矢は体を起して怒鳴った。
「俺はまだやりたい事があるし,食いたいものもあるしそして会いたい人だっている!!」
星矢は天高く飛び上がった。すると星矢の聖衣に翼が生える。
「ペガサス流星拳!!」
「何度しても同じですの!!」
タナトスも光の球で星矢の流星拳を抑えようとした。
するとタナトスの放った球を星矢の流星拳が飲み込んでいった。
「ペガサス彗星拳!!」
流星拳がひとかたまりになってタナトスを吹っ飛ばした。
「きゃあー!!」
タナトスが花畑の中にお尻を打つ番だった。
同時にてるてる坊主の服が吹き飛んで,その下に見たこともない真っ黒な聖衣のような冥衣のようなものを着こんでいた。
背中にはカラスの翼のようなモチーフを背負っている。
「痛いですの。でも人間のあなたがこんなに頑張ってもこの程度ですの」
タナトスはゆっくりと起き上ったが傷一つ付けることはできなかった。
「痛っ」
タナトスは指を押さえた。右手に血がにじんでいる。星矢の彗星拳が当たって怪我をしたらしい。
「こ,こんな人間なんかに私が傷を負うなんて許せないですのっ!」
タナトスは気が狂ったように星矢の頭をふんづけた。
「そうですの。そこまで言うならあなたのやりたいこと会いたい人をぶっつぶせばいいんですの」
「何?」
「あなたの大切な人をぶち殺してやるですの」
「大切な人…だと?」
星矢は嫌な予感がした。
「あなたにはお姉さんがいるですの」
「ね,姉ちゃんを知ってるのか?」
星矢は全身に電気を走ったようにはじかれて頭をもたげた。
「もう棺桶に片足突っ込んじゃってるあなたには聞こえないかもしれないですの。聖域にいるあなたのお姉さんを先にぶち殺しますの!!」
「姉ちゃんが聖域にいるって?なんで?」
星矢は意味が分からない。
タナトスは腕を頭の上に掲げて鏡のようなものを作り出した。その中に地上の様子がテレビのように映っている。
画面中央に星華の姿が映った。そしてその周りにはシャイナや魔鈴や貴鬼,邪武達もいる。
「お,俺の姉ちゃんだ。でもなんでみんなと一緒にいるんだ?」
星矢はよく見ようと画面に近づこうとするとタナトスに吹っ飛ばされた。
「むだですの。あなたがどんなに頑張ってもなにもできないですの!」


その頃,地上では星華が何度も咳をしだした。
「どうしたの?」
シャイナが星華をのぞきこんだ。
「すみません,急に咳が止まらなくなって…ゴホゴホ。ゴホ。なんだか寒気もします」
「オイラのうちに咳止めシロップがあったよ」
「じゃ貴鬼取ってきて」
「う,うん」
貴鬼は白羊宮に走って行った。
ところが何もない所で貴鬼がすっ転ぶ。
「おいおい大丈夫か」
檄が貴鬼の体を抱えて抱き起した。
すると,空から,
「邪魔するなですの」
と声がした。
アニメキャラのような独特の声にシャイナは,
「この咳とかこれが転んだのはお前の仕業だな。何者だ」
「私は死をつかさどる神のタナトスですの。今エリシオンにペガサスの聖闘士がいてとても困っていますの。この子は大切なお姉さんがいる限りしつこくがんばりますの。正直うざいですの。だから先にお姉さんを始末しますの。お姉さんの体に新型インフルエンザウイルスを感染させてやったですの邪魔するなですの」
「なんてことするんだ」
邪武が怒鳴った。
「ひ,ひとまず星華さんをどこかに寝かせよう。それから病院に連絡だ」
那智が言った。
「こぉーらー!!邪魔するなですの!!邪魔するとみぃんなインフルエンザにしてやりますのー」
すると最初に市が,
「なんだかあたしまですごく喉が痛くなってきたザンスよ」
と言った。
「俺もなんだか熱っぽい」
蛮が言った。
檄も黙って咳をしていた。
那智も邪武も咳をしたり鼻水をかんでいる。
魔鈴も頭痛がしてきて,シャイナも頭の中がふらふらしてきた。
全員やれてしまったのだろう。
そのとき,シャイナは一人だけ平気なものがいることに気付いた。
「貴鬼,お前は何ともないのか」
「別にオイラは…みんなこそどうしたの」
どうやら貴鬼にはきかなかったらしい。
なぜ貴鬼にはインフルエンザウイルスの攻撃がきかないのか。
「もしかして…貴鬼,お前"馬鹿"か?」
「なっ,なんてこと言うんだよ!そりゃ学校の勉強とかテストは全然ダメだけどさ。これでもカミュお兄ちゃんに教えてもらって多少はできるように…」
貴鬼は言った。
しかしシャイナは黙っていた。
そうなのだ。
人間の持つ生体的防御の中に『アホは風邪をひかない』という絶対的真理がある。
全くの都市伝説のように思われがちだが,これにはちゃんと意味があって頭の悪い人間は心にストレスをため込まず,能天気だから,免疫能力が上がる。よって風邪や細菌に強いのだ。
そういえば几帳面で神経質のシュラとサガはいつも風邪をひいていた。
逆に能天気で楽観主義のアイオリア,ミロ,アフロディーテが風邪をひいているのは見たことがない。
たまたまタナトスは神なのでその人間の絶対的真理を知らなかった。
もしこの場にアイオリア,ミロ,アフロディーテの3人がいれば聖域のお馬鹿三巨頭が出来上がるのだが,今はそれも無理だった。
「貴鬼!!」
「はい?」
「お前が星華さんを守るんだ!!」
「えっ」
「お前の持って生まれたお馬鹿パワーで星華さんを守るんだ」
貴鬼は少し戸惑ったが,
「う,うん。星矢お兄ちゃん,頑張って!!星華おねえちゃんは僕が守るよ!!」




その叫び声は星矢の耳に届いた。
「みんなが姉ちゃんを守ってくれるんだ…俺も負けない!!姉ちゃんを死なせない!!」
星矢はガバっと起き上ってタナトスに向かって走った。
身長が175cmの星矢が158cmくらいのタナトスにしがみついた。
「きゃっ痴漢っ!!」
初めてタナトスが顔を赤くした。
神であるタナトスもしょせんは女の子,相手が人間とは言え男の子にしがみつかれてびっくりして星矢を振りほどこうと体をよじった。
「星矢!!」
瞬の声がした。
「その女の子は誰?」
「コイツがタナトスだっ,あの双子の片方だ」
すると瞬はタナトスを捕まえるためにチェーンを伸ばした。
「いいかげんにするですのっ!!」
タナトスは星矢と瞬を振りほどいて吹き飛ばした。
「星矢,しっかりするんだっ」
紫龍と氷河が来た。
「まだいたんですの。まったく1人から4人に増えるなんてまるでゴキブリですの。よろしいですの。まとめてしまつしてあげますの
!!」
タナトスは攻撃目標を紫龍と氷河に向けた。
「廬山昇龍覇―!!」
ところがタナトスは紫龍の渾身の廬山昇龍覇を片手ではじいてしまった。
「ダイヤモンドダストー!!」
氷河のダイヤモンドダストがタナトスの体を氷壁で覆った。
しかしすぐに氷壁などひび割れてしまった。
「寒いですの!!寒いですの!!」
タナトスは地団太を踏んだ。
「ならあったかくしてやろうか?」
と背後で声がして,
「鳳翼天翔―!!」
と一輝の拳が火を拭いた。
「きゃっ」
びっくりしてタナトスがよけた。
「なんなのなんなのあなたたちっ!!もう絶対許してなんかやらないですのっっ!!」
カンカンになってゆでダコのように怒りだしたタナトスは頭の上に巨大な重力球を作り,
光らせる。
青銅聖闘士達はその光に高く飛ばされていった。
次に地面に叩きつけられた時,全員の青銅聖衣は粉々に砕けてしまった。
星矢は頭から突っ込んで完全に気を失っていた。
かわいそうに打ち所が悪かったのだ。
―うう,俺はもう死ぬのか。こんなところでせっかくここまで来たのに。悔しいよう…。
―星矢っ!!
誰かが星矢を怒鳴りつけた。
―誰だ?
―星矢,このあんぽんたん!!
星矢はあんぽんたんなどと罵倒されたことも忘れて声の主に気が付いて驚いた。
―さ,沙織さん!!この声は沙織さん
―ほうじゃ,ワシじゃ。ワリャア,こんなところでいちびっとる時間はないんじゃ。はよう起き上れ。
―だけど沙織さん,もう俺は動けねぇよ。体中の骨が折れた気がするし手足もばらばらで痛くて我慢できないよ。
すると別の声がした。
―星矢,星矢!!お前がこんな所でくじけたら地上でお前の帰りを待ってるお前の姉さんはどうなるのよ!!
―この声は魔鈴さん?
―星矢,しっかりして星矢!!
―…そしてこの声は姉ちゃんだ!!姉ちゃん!!
そして最後に力強いアテナの声が響いた。
―星矢ッ!!人間元気があれば何でもできるっ!!迷わず行くんじゃ,行けば分かるんじゃ。いくぞっ。
―え?何が?
星矢の腹に軽く拳のようなものが当たった。次の瞬間。
バチーン!!
星矢のほっぺたを風圧とともに非常にきついはやいビンタがはつった。
ミロの得意技の水木ビンタのような連続ビンタではない,たった一発だがとても重い,それでいて熱いビンタだった。
星矢の左のほっぺたがじりじりと痛い。しかしその痛みのお陰で全身の痛みが忘れ去られていく。
それと同時に焼けつくほっぺたから熱が発生してきてなんだか体が温かいのだ。
元気がみなぎってくる。
両目から熱い涙があふれる。それは決して痛みの涙なんかじゃない。
「うぉぉぉぉぉー!!」
星矢の意識は現実世界へ戻り腹の底から雄叫びを出した。
すると,星矢の体に付着していた粉々に崩れた青銅聖衣のかけらが輝き始め,再構築し始めた。
気が付くと星矢は見たこともない聖衣のようなものを着込んでいた。
まるでダイヤモンドのようにきらきらしていて全身が宝石のようだ。
「な,なんだこれは」
おまけに背中には翼のようなものまで生えている。


その頃,指令室でコーヒーを飲んでいたヒュプノスだったが,妹が戻って来ないのでいささか気になっていた。
―おかしい,時間がかかり過ぎますね。嫌な予感がしますよ。
ヒュプノスは席を立って,
「ちょっと散歩に行きます」
と外へ飛び出した。
ヒュプノスの勘は当たった。
タナトスと星矢が対峙していた。
しかし星矢の聖衣がダイヤモンドのように光り輝いている。
星矢の姿がとても神々しく見える。
青銅聖闘士達も星矢の姿を見て驚いた。
「これは…神衣!!」
「お兄様は知ってるんですの?」
「ああ。私もよく知らないのですが聞いたことがあるんです。神話の時代より神々の闘魂注入によって生まれる聖なる聖衣,神衣です」
「…だけどそれはオリンポス十二神しかまとうことを許されないとききますの。この子はただの下等生物の人間ですの」
「タナトスよく思い出しなさい。この者達は体にアテナの血を受けて嘆きの壁を超えてここまで来たのです。神の血を受けた聖衣は限りなく神衣に近づく神聖衣と謂います。そして今,アテナの闘魂注入によってその力はさらに増幅したのです」
「でもっ,でもっ,私は認めないですの!!こんな人間なんかに私達神が負けるなんて!!」
タナトスは悔しそうに叫び,
「テリブルプロビデンス !!」
と星矢に光の球をぶつけた。
星矢はそれを両手で受け止めた。
「きかねぇーな!!」
「そんな…私のテリブルプロビデンス を受けても全然平気でいられるなんてっ」
「タナトス気をつけなさい!!」
ヒュプノスが叫んだが,遅かった。
「ペガサス流星拳!!」
大空へ舞い上がった星矢のペガサス流星拳がタナトスを吹き飛ばした。
タナトスは星矢により200メートルは吹き飛んだ。
「…そんな,私達は神なのに…こんな人間の子に負けるなんて…いやよ…いや」
タナトスはぐったりと倒れた。
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