その頃地上では,タナトスが死んだことで星華の熱が次第に下がっていき咳もとまっていった。
同時に他の者達の症状も徐々に薄らいでいき,皆が完治した。
貴鬼は星華のそばにずっといたのだが,ベッドから体を起した星華がつぶやいた。
「星矢…星矢の声が聞こえる。星矢?」
「お姉ちゃん星矢の事思い出したんだ?」
貴鬼は大声で叫んだ。
「みんな来てー星華お姉ちゃんが星矢の事を思い出したよーっ」

場面はエリシオンに戻る。
星矢は青銅聖闘士達に声をかけた。
「先に俺は急ぐぜ。みんなは後から来てくれたらいいから」
星矢は走り出した。
急いでアテナの所へ行って聖衣を届けなくてはいけない。
その前にヒュプノスが立っていた。
「待ちなさい。あなたの相手は私がしましょう」
「どいてくれ!!どかねぇっつうんならさっきみたいに俺が吹っ飛ばす!!」
星矢は飛び上がって再び流星拳を出した。
ヒュプノスのてるてる坊主の服と眼鏡が飛んだ。
ヒュプノスもまた妹とお揃いの聖衣を着ていた。
色違いの金色を基調としていて,妹の背にはカラスのような翼が生えていたのに対して兄の背には紫色のクジャクの羽根があった。
ヒュプノスは眼鏡を落とされてとても驚いた。
―まさか神聖衣の威力がこれほどとは。
しかしヒュプノスは妹を倒されたことと,ハーデス神殿を守らなければいけないという兄としての役目がある。
「何としてでもあなたを止めさせてもらいますよ」
ヒュプノスが言いかけた時,腕を誰かに掴まれた。
一輝だ。
「せ,星矢がここを通り過ぎるまでお前の事止めさせてもらうぜ」
一輝は静かに言った。
「元気がよろしいですね」
とヒュプノスは笑って,あっさりと一輝を,放り投げた。
ヒュプノスは身長は星矢と同じくらいで,しかもどちらかというとやせ形だ。
そのヒュプノスがあっさりと片手で自分よりも背が高い一輝を放り投げてしまった。
「あはは。あなたは面白い人だ。さっきのあの少年の方は神聖衣を着ているけれど,あなたは丸腰じゃありませんか。そんな体で私にかなうわけがないんです」
「それはやってみないと分からないよ」
瞬と氷河と紫龍がいた。
「何だあなた達まだいたのですか。いいです。私がまとめて眠らせてあげます。エターナルドラウジネス …」
ヒュプノスがゆらゆらと指を動かした。
すると青銅聖闘士達の眼はヒュプノスの指先に釘付けになってしまった。
その指先を見ていると誰もが眠くなってしまう。
だんだんまぶたが重くなる。
眠りたくないのに全身麻酔をかけられたように眠くなる。
彼らは次々にバタバタと倒れていびきをかきだした。
「…眠りなさい。私は短気な妹と違って人殺しはしない主義なのですよ。ここでゆっくり眠りなさい。お休みなさい,少年達」
ヒュプノスがそう言った時,
「何がおやすみなさいだこの野郎」
と声がした。
振り返ればなんと一輝が立っていた。
「あ,あなたは眠らなかったのですか」
ヒュプノスは信じられなかった。
たとえ神であろうとヒュプノスの催眠術を逃れられるものはいない。
「当たり前だ。不眠症の恐ろしさなめるなよ」
前にも言ったが一輝はデスクイーン島時代からの強いストレスによってひどい不眠症で最初はドリエルといった市販の誘眠剤を飲んでいたが最近はきかなくなり心療内科を受診していわゆるソラナックスやハルシオンといった強い睡眠薬をもらっていたがそれもだんだんきかなくなってきて,医者もお手上げだった。
「しかたありません。私は人殺しなどいやなのですが,あなたの場合そうするしかないようですね」
ヒュプノスが一輝に攻撃をしようとした時,
突然ヒュプノスの後ろで何かがキラキラと光った。
そこにはドラゴンの神聖衣を着た紫龍と,アンドロメダの神聖衣を着た瞬と,キグナスの神聖衣を着た氷河が立っていた。
3人の聖衣もまた宝石のように美しく強く光り輝き,3人とも左のほっぺたが赤くはれていた。
どうやらこの3人も眠りの中でアテナに熱い闘魂を注入されたらしい。
「兄さん。この人は僕達が何とかするから兄さんは先に行って星矢を手伝ってあげて!!」
「…瞬!!」
「一輝,急ぐんだ」
紫龍も叫ぶ。
「分かった!頼むぜ!」
一輝は星矢の走った方へ追いかけて全力で向かった。




星矢はようやくハーデス神殿に到着した。
沙織はどこだ。
すると,目の前に沙織が逆さづりになっていて,頭の血を万力のようなもので搾りとられている。
まずはこの万力を止めよう。
星矢は万力のレバーを握ったが思いのほか硬くて回らない。
「くそっ」
「へへへ,無駄やのう」
どこかで妙な声がした。男とも女ともつかない中性的な声だ。
星矢の目の前に真っ黒いエクトプラズムがあった。
「このあんぽんたん。ワレがどがぁにがんばってもその万力は外せん」
「何だって」
「まぁ仮に外れたとしてももう遅いわぁ。だいぶアテナの血を搾り取ったけぇの」
星矢が見ると,搾りとられたアテナの頭の地は下にある大きな金盥の中にたまる仕掛けになっているが,その盥の中には血があふれていた。
このままではアテナがやられてしまう。
「星矢!!」
一輝がようやく追いついた。
「なんじゃあまたワリャア来たんか」
エクトプラズムが,一輝に話しかけた。
「またあったな」
一輝がニヤリとした。
「一輝,この煙みたいなものが何か知ってるのか」
「知ってるもなにも星矢,こいつがハーデスだ」
「えっこの煙みたいなあんにゃもんにゃが?」
「煙みたいなあんにゃもんにゃで悪かったの。ほうじゃ,ワシが冥界の王ハーデスじゃ」
ハーデスはふふんと言った。
「なら沙織さんをここから出せ!」
「いやじゃ。アテナは邪魔ものじゃけん」
「星矢,こいつは言っても聞く球じゃない」
一輝が星矢を止めた。
「鳳翼天翔!!」
一輝がハーデスに拳を向ける。
しかし。
「何べん言っても分からんかこのあんぽんたん!!」
ハーデスが一輝に技を跳ね返してきた。
一輝の体は後ろへ飛ばされ,アテナの血がたまった金だらいの中に頭から落ちた。
「ああっ,一輝!」
星矢が一輝を起した。
起き上る一輝を見て星矢はもしかしたら一輝も金だらいの中のアテナの血をかぶったので神聖衣を着ることができるかもしれないと思った。
だが何も起こらない。
これをお読みの読者諸兄はもうご存じだろう。
そう,アテナの血を浴びただけでは神聖衣にはならない。
本当の意味で神聖衣を発生させるにはアテナの熱い闘魂注入が必要なのだ。
しかし不眠症の一輝は気絶してアテナと交信して闘魂を注入してもらう事も出来ない。
ヒュプノスの技をかいくぐった一輝の持病がこんな時にあだになった。
星矢は何とかならないかと思った。
ーこれだ!!
星矢の中で何かがひらめいたようだ。
星矢はいきなりアテナの腕をつかむ。
「沙織さん,手,借りるぜ。一輝,耐えろ」
何が何だか分からない一輝だった。
いきなり星矢がアテナの手を動かして一輝の左ほほへビンタを張った。
バシン!!
一輝のほっぺたが腫れた。
しかしその痛みから一輝は体中の肉や骨が熱くなるのが分かった。
闘魂注入完了だ。
「体が熱い!!」
一輝の体に光が集まる。
次に一輝が目を開くと自分の体が星矢と同じようなキラキラした聖衣を着ていたことに気付いた。
「これが,これがフェニックスの神聖衣か!!」
一輝は驚いて自分の神聖衣をまじまじと見た。
「星矢,あれは何だ」
一輝が指さしたのはハーデスのエクトプラズムの後ろに小さな建物がある。
「何の部屋だろう」
「ハーデスがやたらとあの部屋を通すまいとしているように見えないか」
「…うーん分からない」
「少なくとも俺はそう思う。ということはハーデスが隠したがってるものがあるんじゃないかと踏んだんだ」
「一輝頭いいな」
「あの部屋に入るぞ」
一輝と星矢がひそひそ相談しているので,
「オドレら何話しとるんじゃ!!」
とハーデスが言った。
「ハーデスの隣でオードリーが通ったぞ!」
星矢が指さして叫んだ。
「えっ,どこ?」
ハーデスの注意がそがれた。
「突破ー!!」
一輝と星矢が脱兎のごとく走った。


その頃,さしものヒュプノスも神聖衣を着た瞬と氷河と紫龍に囲まれて手も足も出なくなっていた。
「…あなたたちは物を知らなさすぎます。もし無理矢理ハーデス様の体を引っ張り出せばいくら神聖衣を着ていても勝ち目はありませんから」
地面にうずくまりながらそう言った。
「だから急がなくちゃね!」
瞬がそう言って紫龍と氷河を促した。
「兄さんの事も心配だし」
「おおそうだな」
3人は急いで星矢と一輝の行き先を追った。
「…そんな馬鹿な…人間がハーデス様にかなうはずなどありません…」
ヒュプノスはそう突っ伏して動かなくなった。



星矢と一輝はその部屋に入った。
大きな箱がある。
「この中にハーデスの隠したい何かが」
星矢は言って蓋に手をかけた。
一輝も反対側からふたを引っ張る。
開かない。
「なにかふたを開けるようなものがあれば。どこかにないかなぁ」
しかし今は外へ出ることはできない。何とかこの部屋で蓋を開ける道具を探さなくてはいけない。
残念ながら部屋はがらんどうだ。
星矢は頭をきょろきょろさせた。何かが首に当たる。
パンドラにもらった何でも取り出せるネックレスだ。
「一輝,これを使って蓋を開ける道具を取り寄せよう」
「そのネックレスはそんなことができるのか」
「うん。やってみるぜ」
星矢はネックレスを掲げた。
「…ふたを開ける道具って何だと思う?ぼうっきれとかくぎ抜き?」
「バールのようなものがいいんじゃないか」
と腕組みをして一輝が言った。
「でも一輝は使い方分かる?」
「こうとがった方を蓋の所にねじ込んでこじ開ければいいんじゃないか。まあバールのようなそれらしいものがあればいい」
「…そっか。じゃネックレスお願い,"バールのようなもの"出して」
星矢が叫ぶと,コトン,とバールが落ちてきた。
「バールのようなもの,というよりバールだね。これは」
二人はバールを蓋に差し込むとこじ開けた。
「いよいよこの中にハーデスが隠そうとしたものが…」
2人は息をのんで中身を見た。
箱の中には見たこともない古文書が何冊か入れられていた。
「…もしかして神話の時代の書物か?この中にハーデスの秘密が隠されているのか」
星矢はごくりと息をのみながら古文書に手を伸ばしてページをめくった。
古文書の中に目を引きこまれ息をのんで無表情の星矢を見て一輝は,
「星矢,何が書いてあるんだ」
と背後に回った。
そこには文字が書かれておらず,裸の女の絵ばっかり載っている。
「星矢,これはもしかしてただのエロ本じゃないのか?」
「きっとここにハーデスの秘密が」
「んなわけあるか,ボケ」
一輝は星矢の手から古文書をたたき落とした。
他の古文書らしきものも全部同じようなものだった。中には比較的最新のものもあり,微妙に懐かしい宮沢りえのサンタフェや比較的新しいアダルトDVDまである。
どうやらこれはハーデスが神話の時代から現代にいたるまでしこたまため込んでいたエロ関係の山だ。
「うーむ,神話の時代のエロ雑誌もなかなか奥が深いな」
と星矢が言った。
「バカなことを言ってる場合か。星矢もう一つはこがあるぜ。開けてみよう」
もう一つの箱にもバールを突っ込んで中を開けた。
そのとき,まぶしい光が二人の目を襲った。
同時に体を外まで吹き飛ばされてしまった。
「うわー」
「ぐあー」
そして部屋の中から何者かが歩いてくる。
現れたのは黒髪の三十代後半くらいのとても麗しい美青年だった。
聖衣のようなものを着て真っ赤なマントを羽織っていた。
「こ,これがハーデスか」
一輝が言った。
敵ながらなかなかの美青年である。
「何でもいいぜあいつをぶっ殺せば沙織さんは助かる!!」
星矢は怒鳴った。
二人はハーデスに突っ込む。
ところがハーデスは逃げるどころか瞬きをしただけで星矢と一輝は地面に叩きつけられた。
「な,なんで…」
星矢はうめいた。
「控えい。ワシは冥王ハーデスなるぞ」
すると星矢は
「なーにが冥王ハーデスだ。王は王でもお前なんか冥王ハーデスでなくてエロエロ大魔王ハーデスの間違いだろ」
一輝も
「そうだそうだ冥王ならこそこそ隠さず堂々としてればいいだろう」
と叫んだ。
するとハーデスが
「ワリャ,ワシのコレクションを見たな!!」
と怒って剣を抜いた。
そしてアテナをたたき切ろうとしたので,
「やめろっ!!」
と一輝が間に入った。
同時に一輝の体がハーデスの剣に当たった。



その頃,冥界のジュデッカで眠っていたミーノスが目を覚ました。
なぜだか涙が止まらない。
嫌な予感がした。
「フェニックス…あぶ…ない。死なないで…」


「あっ,一輝が!!このやろっ」
星矢は倒れた一輝を見てからハーデスをにらんだ。
ハーデスの顔は本当にきれいな顔だった。とても星矢達の敵とは思えないくらい。
「…なぁ何が気に入らないんだ?人間の何が嫌なんだ?」
星矢はハーデスを睨んだ。
するとハーデスはぷいと顔を反対に向けて
「人間がわしを敬わなくなったんじゃ」
と言った。
「人間はこのところ昔のように神を敬うばかりか傲慢なことばっかりするけぇの。環境は破壊するわ宇宙にまで進出するわ何よりも許せんのが誰もわしに供え物をせんなったけぇ。それまで人間はワシのことを恐れ敬いいつも新鮮な魚をそなえてくれた。それが今じゃ誰もそなえてくれない。そんなの許せんのじゃ。ほいでそがぁな人間を許したり守ったりするアテナはさらに腹が立つんじゃ」
星矢は呆れていた。
「そんな,供え物の魚のせいでお前はここまでことを大きくしたのか」
するとハーデスは,
「ほうっといてくれ!!さあそこをどけ」
と冷たく言った。
「どかせるもんならどかしてみろ」
星矢はアテナの前に立ちはだかって一歩も譲りはしない。
「しゃぁなぁ。それじゃったらアテナと一緒に真っ二つになるまでじゃ!!」
ハーデスが剣を向けた。
「星矢!!」
その時声がして,紫龍と瞬と氷河が加勢に来た。
瞬は慌てて倒れている一輝を抱き起した。
「兄さん,しっかりしてよ!!」
頭を強く降ると一輝の目が開いた。
「うう。確か俺は剣で切られたのに」
一輝は切られた胸を触った。
服の中に何か入っている。
取り出すとそれはミーノスから借りたジュデッカのマスター鍵だった。
うまい具合に剣が鍵に当たって一輝は難を逃れたようだ。
「俺のもう一人の弟…いや妹が助けてくれたな」
と一輝はふっ,と笑った。
「さあハーデスこれでメンツが揃ったぜ!!」
星矢が叫んでハーデスに言った。
「えっ,じゃああの男の人が冥王ハーデス?」
瞬と紫龍と氷河は目の前の美青年をまじまじと見た。
星矢が,
「違う!!あいつは冥王ハーデスじゃない。エロエロ大魔王ハーデスだ」
と言った。
「す,すばーろーしい!!!こっこのガキども全員シゴウしちゃる!!」
ハーデスは完全に怒りをあらわにした。
「行くぞみんな。みんなの力を一つにするんだ!!」
星矢は叫んだ。
「ペガサス流星拳ー!!」
「ネビュラチェーン!!」
「ダイヤモンドダストー!!」
「廬山昇龍覇ー!!」
「鳳翼天翔!!」
5人の拳が一つになってハーデスの体に向かってきたので今度はハーデスが吹っ飛んだ。
「こっ,このくそガキ共がー!!」
ハーデスは怒り狂って剣をふるった。
その衝撃が青銅聖闘士達をたたきのめした。
ハーデスはその時,
「痛いっ」
と額を押さえた。
手を見ると血が付いている。
どうやらおでこを切ったらしい。
「ガキ共が。人間のくせにワシに血を流させるとはますます許せんわ!!ぶち殺したる!!」
ハーデスの怒りにさらに油を注いだようだ。
それでも星矢は這い上がった。
「ペガサス流星拳!!」
「何度やっても無駄じゃけんー!!」
ハーデスは再び剣を振って星矢をはねのけた。
「このガキ絶対許さんわ。…ほいじゃがこのガキどっかで見たことがある」
ハーデスは苦しそうにうずくまる星矢の顔を見た。
「あ!!昔神話の時代にワシに一度だけ怪我させたんがおったけど確かそいつもペガサスの聖闘士じゃったわ!!なんかむかつくわぁ…」
ハーデスは憎々しげに星矢を睨んだ。
「ぶち殺したるッ!!」
ハーデスがとどめの一発を星矢にお見舞いしようとしたその時,星矢が床にあふれたアテナの血に足を滑られて転んだ。
同時に星矢の聖衣の中にしまってあったアテナの聖衣が飛んで行って,つりさげられたアテナの体に当たった。
するとアテナの頭に付いていた万力が外れ,アテナの体に聖衣が装着された。
アテナは金の杖を持ち,片手に盾を付け,首には聖衣の上に真っ赤な長いマフラーを巻いている。
アテナの神聖衣装着完了である。
「わっ,沙織さんが!!」
星矢はびっくりしてアテナを見た。
突如復活したアテナに驚いたのは星矢だけではない。
ハーデスはもっとびっくりだ。
「アテナ,無事やったんか」
「ほうじゃ。ワシはこんなしょうもない仕掛けでやられるようなたまと違うけん。さあハーデス,覚悟しいや。神話の時代から続いとったしょうもない戦争もこれでしまいじゃ」
「沙織さん,無事だったんだな。体は大丈夫か?」
星矢が声をかけると,
「平気じゃ。少々血ィ抜かれたから頭がふらふらするがの」
と星矢に優しく微笑みかけてくれた。
言葉は早口の広島弁だが笑顔はいつもと変わらない星矢の知っている上品な優しい沙織に違いなかった。
アテナが無事だという事が分かると一同はいよいよ元気を取り戻した。
「さあハーデス。どうするか。降参するんかせんのか」
アテナは強い視線でハーデスを射抜いた。
「うっ。人間のくせに…」
「人間のくせに言うが人間の底力いうもんをなめとったらいけんで。こいつらワレが何度攻撃しても何回でも起き上ってくるで。それはの,人間いう生き物はの,元気があれば何でもできるんじゃあ。元気があればどんなに苦しんでもえらい目にあってもまたおきあがれるんじゃあ」
そして左手を突き上げ,
「元気ですかっ」
というと後ろにいた青銅聖闘士達,星矢,紫龍,氷河,一輝,瞬の全員が拳を突き上げ,腹の底から叫んだ。
それを合図に全員の小宇宙が再びガスのように燃え上がった。
そしてアテナは持っていた杖で地面を叩いた。
「元気があれば何でもできるッ。行くぞっ!!いち,に,さん」
ハーデスはアテナのカウントに合わせて青銅聖闘士達全員の小宇宙が高まって増幅されていくのがはっきりと分かった。
完全に自分の小宇宙が青銅聖闘士達に圧倒されて淘汰されていくのが感じられる。
「…なんじゃ,ワシャ絶対信じん!!」
ハーデスの体が恐怖で金縛りのように動かなくなってきた。
「ダァーッ!!」
アテナの叫び声と供にハーデスの胸にアテナの杖が刺さった。
「うぎゃぴー!!!!!」
ハーデスがとうとう倒れた。
「とうとう俺達やったのか?」
氷河が紫龍に聞いた。
「ああ,恐らくな」
紫龍はうなずいた。
「兄さん!!」
瞬は一輝の手をつかんだ。
「ああ!!やった」
一輝も言った。
全員が大喜びする中,星矢だけ真顔でハーデスに声をかけた。
「ハーデス,一つだけ聞いてもいいか。お前そこまでして供え物がたくさん食べたかったのか?」
ハーデスはぐったりとうなだれて,
「そうじゃ。わしゃぁ人間が供えてくれる新鮮な魚が好きじゃったんじゃ。供え物の魚をもらうと嬉しかった。冥界におった時も週に一度パンドラが食事会開いてくれてワシに刺身や寿司なんかをそなえてくれるのが楽しみじゃったんじゃあ。アイアコスや他の冥闘士のおしゃべりを聞きながら食う魚は最高じゃ」
「…」
星矢は何か考えていた。
そして,
「よし,お前に最高にうまい魚を食わせてやるぜっ」
と言った。
「ワシに供え物をしてくれるのか?」
と聞けば星矢が,
「違う!!みんなで一緒に食べるんだ!!」
そしてネックレスを掲げ,
「マクドナルド!」
と言った。
ネックレスからハンバーガーが6個とフィレオフィッシュが1個落ちてきた。
星矢はハンバーガーを仲間とアテナに配り,フィレオフィッシュをハーデスに渡した。
「食え」
ハーデスはフィレオフィッシュを見るのは初めてらしく,不安げに包み紙を開けた。
「これは何の魚じゃ。チーズも安っぽいしどう見ても安そうじゃのう」
「いいから食え。俺達も食うから」
星矢は先に包み紙を開けてハンバーガーをかじった。
「うまい!!やっぱハンバーガーはマクドだな」
すると紫龍が,
「俺はジャンクフードは好まないが」
氷河が,
「だから俺はモスがいいと言ったのに」
そして瞬が,
「僕はケンタッキーがよかったなー」
と言いながらそれぞれにハンバーガーをかじりだした。
一輝は黙って食べていた。
そして星矢は沙織に,
「さ,沙織さんも食べて。血を作らなくちゃ」
と促した。
それぞれが満足だったり不満を言いながらも皆ニコニコ顔で食べた。
空腹にハンバーガーはとても有難かった。
その様子を見てハーデスも恐る恐るフィレオフィッシュをかじった。
「…これはなんという魚じゃあ!!ぶちうまいの!!」
ハーデスはびっくりした。
「みんなで食うからだよ」
星矢がハーデスに教えた。
「お前が欲しかったのは高級魚なんかじゃなくてみんなで食べる食事の機会だったんだよ。違うか?」
ハーデスは何かを思い出した。
そうなのだ。ジュデッカの食事会がとても楽しみだったのも,料理だけではない。パンドラ,アイアコス,ラダマンティス,ミーノスに囲まれて食べる夕食がおいしかった。
アイアコスのくったくのないおしゃべり,パンドラとラダマンティスのドライだがそれでいて正確な突っ込み,そんなとき普段は無表情なミーノスが少しだけ歯を出して笑う。それらがハーデスの頭の中でぐるぐる回った。
料理の質などどうでもよかったのだったと気が付いた。
一人で高級魚をボソボソ食っても実はそんなにおいしくないことくらい気が付いていたのに。
なぜ今まではっきりと気付かなかったのだろう。
いつの間にかハーデスの両目から涙が流れていた。
自分でもなぜ流れるのか分からなかったが。
ハーデスは涙を拭きもせず,
「またパンドラ達と食いたいのお」
と空を見上げた。
ハーデスの体がどんどん薄くなり,空気中に透けて行き,やがて消えた。


ハーデスが敗北し,消え去ったことで地球上は日食が終わり,再び太陽の光が現れた。
聖域では貴鬼が空を見て,
「あれ,また日が照ってきたよ」
と言った。
「俺もそう見える。きっと星矢達がハーデスを倒したんだ。そうに違いないぜ」
と邪武。
「星矢,とうとうやったね」
魔鈴はつぶやいた。
「星矢,必ず帰ってくるんだよ」
シャイナも言った。
「星矢は…弟は必ず帰って来ます」
星華が言った。
「私には分かるんです」

その頃,シオンを先頭に暗闇を歩いていた黄金聖闘士達だったが,突然,一同を明るい光が照らした。
そこは奇妙な窓もドアもない真っ白な広い場所で,部屋の中央には豪華な応接セットがあり,高そうな絨毯が敷いてある。
「…なんだ,ここは」
カミュはアフロディーテの手を握ったままで辺りを観察した。
「俺,こんなの映画でみたことある。ほら,夏休みに兄ちゃんと駅前にあるロドリオ座に見に行ったじゃん。宇宙船があってさ,しゃべるコンピューターがいるの。で,最後にこんな部屋が出てくる」
アイオリアが早口にしゃべったが記憶があいまいなので何のことか分からない。
「すまんが思い出せない」
アイオロスが言った。
「それってさ,キューブリックの2001年宇宙の旅じゃなかったっけ」
シュラが言った。
「あったねー,そーゆーの」
ミロが言った。
「映画の最後でさ,ジジイになった宇宙飛行士がこんな白い部屋に入るの。なんかよく分かんなかったけど」
カノンは,
「兄貴少し疲れたんじゃないのか」
とサガを部屋の真ん中のソファーに座らせた。
アイオリアはテーブルの上の調度品を触っている。
「何にせよ警戒した方がよさそうだ」
シャカが言った。
アフロディーテはカミュの体の後ろで不安そうにしていた。
デスマスクは灰皿を見て煙草を吸いたそうにしていた。
突然,天井から声が響いた。
妙に野太く低い男の声だ。
「来たな黄金聖闘士共」
「すでに死んどるお前らのをワシら神が許したわけじゃぁない」
今度は静かだが威圧的な女の声だ。
「神?」
童虎が聞き返した。
神,と聞いて一同は水をうったように静まり返った。
カミュの手を握るアフロディーテの力が強くなった。
「でっ,でたっ」
へたれのミロはびっくりしてカミュの背中に隠れようとする。しかしカミュの後ろはすでにアフロディーテがいたので,ミロはカミュの反対側の背中に回った。
明らかにその神2人は黄金聖闘士達に敵意を持っている。
「…で,その神が俺達に何の用だよ」
デスマスクは煙草が吸えないのに灰皿が置いてある不満から少し不機嫌になっていた。
「お前らがアテナを助けたために青銅聖闘士が神のハーデスを傷つけてしもぉた。この始末をどうつけるんか?」
今度は神経質そうな男の声がした。
神は全部で3名いるようだ。
黄金聖闘士達は黙って聞いていたが,本当は内心全員がガッツポーズをしていた。この報告はつまり星矢達がハーデスの打倒に成功したということだろう。
「人間が神を倒すやらっちゅうこたぁ絶対にあっちゃぁいけん。この不始末はどうしたもんじゃろぉ」
と最初にしゃべった野太い声がした。
すると,シオンがゆっくりと前に歩いてきた。
「私達はアテナの聖闘士です。たとえどんなめにあわされても神様に逆らっても私達はいつもアテナと供にあります。迷うことなんてありません」
シオンは真っ向から神々と対峙した。
強気なシオンの反応でミロは必死で首を振った。
―あー言っちゃったよ,このおばさん。ダメだよ,相手は神様なんだから。逆らったりしたらまずいって。嘘でもすいませんてあやまった方がいいんじゃないのぉ
「お前らの言いたいことは分かった。それでワシらをどうするつもりや。しんどるヤツらまで生き返らせてどないするのん」
童虎はずっと気になっていた質問を神々に言った。
「そりゃぁ分かっとることじゃ。お前らに永遠の苦しみを与えるためじゃ。死んで成仏してもろぉちゃぁ困るからの。悪いけどお前らぁをここに生きたまま封印させてもらうけぇの」
―ひぇぇっ。
ミロは縮み上がった。
カミュはただ正面を向きシオンと童虎と神の会話を頭の中で反復していた。
何かが納得いかないと思った。
ただその疑念を明らかにするにはシオンのようなただ感情的に思っていすることをしゃべるやり方ではだめなような気がする。
相手は少なくとも自分よりも優位な立場にいる。
そんなところで感情的になりふり構わず暴れるのはいいものではない。
―ならば私のやり方でやってみよう。
カミュが手を挙げた。
「すみません,ちょっと質問よろしいですか」
―な,な,何が質問よろしいですかだよ,コイツッ
ミロは泣きそうな顔をしてカミュの背中をたたいたがカミュは無視してしゃべった。
「それで貴方達が所詮は人だと軽蔑する私たち人間にそのようなことをして一体何の意味があるのでしょう」
「神を恐れなくなった人間への見せしめにするんよ。悪く思うなや」
女の声だ。
ミロは怖くて震えている。
しかし他の黄金聖闘士達はじっとカミュと神々のやり取りに耳を傾けている。
「そこまでしないとあなた方は自分に自信が持てないのですか。神を恐れていないとはっきり分かる根拠ってあるんですか?」
カミュは自分の背中で震えている涙目ミロに視線を向けて言った。
「この男も我々と同じ黄金聖闘士ですがあなた方のことをとても恐れていますよ。それが分かれば十分ではありませんか」
カミュは涼しい顔で言っている。

「だいたいおかしくはありませんか?あなた方は私たち人間が到底およびはしない力を持っていながら私たち人間に拝め敬えと脅しをかけるなどとはまるでやくざが一般人にみかじめ料を請求しているのとよく似ていませんか。相手を絶対抵抗できない条件下だと分かっていて要求を突き付けてくるのです。私がもしあなた方の立場なら,絶対にそんなことはしません。確かに人間は弱い存在です。しかし私は今文字通り双肩に大事な恋人と親友を抱えております。そして多くの仲間達がいます。あなた方が彼らを脅かすのならば私はこちらの先代教皇同様にあなた方を相手取って戦うことも辞しません」
カミュの声はさらに神々を追い詰めにかかった。
シンプルだが見事な追及。
屁理屈だと自分では分かっているがカミュには自信があった。
大切な自分の命や仲間や恋人を守るにはときには屁理屈も必要なのだ。
ミロは震えるのをやめてそっと顔を上げた。
「ハハハハッッ」
どこかで老人のしわがれた笑い声がした。
どうやら3人だと思っていた神々は4人いたようだ。
「神を相手に屁理屈をこねるとは面白い。その男に免じてこのハーデスの一件許してやろうではないか」
「…しかし」
野太い男の声がした。
「かまわん。わしがかまわんといったらかまわん。それとも何か?わしになにかいいたいことでもあるのか?」
「…いや,そういうわけでは」
他の3人の神達は焦っていた。
「なら異議はないな。構わん。お前達を全員地上に返してやろうではないか」
「やったー!!」
カミュの背中に隠れていたはずのミロが飛び跳ねた。
「最後に」
その老人の神は言った。
「お前は一体何者だ」
「私は水瓶座のカミュ。アテナの聖闘士だ」
「…うむ。見知り置いておこう。カミュとやら,縁があったらまた会おう」
老人の神の言葉が終わると同時に目がくらむ光に包まれた。
カミュは驚いたがそれでもアフロディーテの手は離さなかった。
目が覚めるとカミュはどこかの森の中にいた。
心配そうにカミュの顔を見るミロとアフロディーテ。
他の黄金聖闘士もいる。
アイオロスも童虎もシオンもいる。
少し小高い所にアテナ神殿が見える。地上に帰ってきたのか。
それもきちんと黄金聖衣を着込んで。
「ああ,よかった。目が覚めたのね」
アフロディーテはカミュの肩に抱きついた。
カミュは黙っていた。
「どうして私達はここにいるんだ」
「どうしてって嘆きの壁を壊したときにその衝撃で地下のマグマが噴火して俺たちここへ吹き飛ばされたんだよ。黄金聖衣のお陰でみんな無事でよかったな」
アイオリアが来て言った。
「…いや,あの白い部屋から私達はどういうふうに帰って来たのか」
「白い部屋?」
アイオリアが聞いた。
「そこで神々と話を…」
「何だそれ,夢か?」
アイオリアが心配そうにカミュの顔を見た。
今のはカミュの夢だったのだろうか。いや,違う。確かに自分達はうす暗い闇の中を歩き白い部屋に着いた。そしてそこで…。
決してカミュが夢を見ていたわけではない。
―そうか。私以外の記憶が消されているのだ。
どういうわけか地上に戻るとき彼らが神とコンタクトを取った記憶は一切消され,カミュだけはなぜか消されなかったのだ。
それがいったいどういう神のご意思かは分からなかったが,今はそういう事を考えるのはやめることにした。
ただ,アフロディーテの背中に手をまわした。
「どうしたの?」
普段は決してカミュの方から体を触ってくることがないカミュだったのにらしくない。
「なんでもない…」
「そう」
アフロディーテは目を閉じてカミュの体に身を預ける。
「今何時だ」
自分の腕時計は見ずにカミュが聞くとアルデバランが,
「朝の7時。いい朝日だな。青銅聖闘士の連中が取り戻してくれたんだ」
アルデバランが言った。
「ああそうだな」
アフロディーテを抱きしめたままカミュが言った。
アルデバランはにっと声を出さずにほほ笑むと聖衣から携帯電話を出した。
「誰かに迎えに来てもらおう。我々だけなら大丈夫だがサガは心配だ」


聖域の電話が鳴った。
「誰だよ,このいいときに。市,お前出ろや」
邪武が言った。
市はブツブツ言いつつ電話に近付いた。
「ひぃっ!」
ナンバーディスプレイに目を向けて市が叫ぶ。
「ゆ,幽霊から電話ザンス!」
「幽霊の電話?」
シャイナが電話を見た。
ナンバーディスプレイにアルデバラン,とある。
「誰かの悪戯だろ」
シャイナが電話を取った。
「お前は誰だい」
「アルデバランだ。君はシャイナか?」
「声真似を使うなんてたちが悪いね」
「本当だ。俺はアルデバランだ。たった今他の黄金聖闘士達と一緒に冥界から帰ってきた。サガの応急手当をしないといけないから急ぎ車いすかたんかを頼む」
アルデバランは手短に自分達の場所を言うと電話を切った。
誰が黄金聖闘士達の迎えに行くかをくじで決めたところ蛮と邪武が選ばれた。
蛮は自動車の運転免許はまだないが普段シャイナの使いで軽トラックを聖域敷地内で乗り回しており,今回も軽トラックを運転して行った。
運転席の蛮も助手席の邪武も首からお守りを付けて十字架のネックレスまで装備してそれでも蒼い顔をして出て行った。
10分後に蛮が運転する軽トラックが無事帰ってきた。
荷台から黄金聖闘士達の笑い声が聞こえる。
「…魔鈴,これは何かの冗談かドッキリだろうか」
シャイナが言うと,魔鈴は,
「さあね。でもあたしには彼らを偽物だと思えないけど」
と言った。
貴鬼がムウの所へ走った。
「ムウ様,アルデバラン,お帰りなさい!!」
「いい子にしていましたか,貴鬼は」
「その子は借りてきた猫みたいにおとなしかったよ」
魔鈴が代わりに答えた。
するとムウが,
「ありがとう,魔鈴。しかしそんなにいい子だったなら普段うちにいるときもいい子にしてくれているといいのですが」
と言った。
貴鬼には自分が一度嘆きの壁で死にかけたことを話すのはよしておこうとムウは思った。今はまだ怖がらせたり心配させるだけだ。
いつか貴鬼が立派な大人になり,牡羊座の黄金聖闘士として活動できるようになったら体験談として話してもいいだろう。
サガは一度病院に搬送されたが大事には至らず,すぐに聖域へカノンに車いすを押されて帰ってきた。
「兄貴の車いすを押すのは十何年振りだな」
とカノンは言った。
「ああそうでしたね。そんなこともありましたね」
サガはにこりとした。
「今度はおさないで下さいよ,カノン」
サガのセリフを聞いてカノンは背後からダイヤモンドダストを受けたように背筋が凍った。
昔カノンがサガに散歩に行こうと車いすを押して出かけた。
普段は金をせびりにしか来ないカノンがそんなことを言うのでサガは喜んだ。
そのときにうるさい兄など無きものにしてくれるわと崖から兄を突き落とそうとした。
ところが瞬時にカノンの殺気だった小宇宙に気が付いたサガが逆にカノンにギャラクシアン・エクスプロージョンを放って気絶させ,スニオン岬にある刑務所送りにしてしまった。
何度思い出しても苦い,嫌な思い出だった。
カノンもその間に色んな人と出会い色んな経験をしてさらに色んな人と拳をまじえそのとき自分がどんなに悪いチンピラだったか,どんなに兄に悪い事をしていたのかよく反省した。
だけどそのときの話を兄にされると本当につらかった。
するとサガが,
「実は私も随分と反省したのです。たった一度の事で逆上して貴方を塀の中に入れてしまったのです。私は自分の器の小さをとても恥ずかしいと思います。どうか私の方こそ許して下さい」
と言った。
「…あ,兄貴!!」
カノンはサガの顔の前に飛び出すと,兄の首にしがみついた。
「ど,どうしたんですか。いたた,痛いですよ」
カノンはサガの細い首にしがみついて男泣きに泣いた。
「何ですか,泣くなんてあなたらしくない。もう泣かないで早く私を双児宮に連れて帰って下さい」
カノンは涙を拭いて双児宮の中へ車いすを押して入った。
それからしばらくして双児宮にアイオロスが入ってきた。
「サガ,気分はどうだ」
「おかげさまで今は楽です。私はまだこの心臓と付き合えそうですよ」
とサガがベッドから顔だけアイオロスに向けて言った。
「…お前は"白い部屋"を見たか?」
唐突にアイオロスが言った。
サガの目付きが変わった。
「…見たのですかあなたもやはり夢ではなかったのですか」
「ああ。しかしアイオリアは覚えていないらしい。私も夢だと疑ったがアイオリアが言うにはカミュも同じことを聞いてきた,と」
「どうやら覚えている人とそうでない人がいるようですね」
「そうらしい。だが」
アイオロスはうなずいて,視線を壁に移した。
「しかしそれにしてもカミュというのは恐ろしい男だな」
「貴方もやっとあの男の恐ろしさに気付きましたか」
「ああ。神を相手に屁理屈をこねる人間なんてそういない」
するとサガは,
「実はアテナエクスクラメーションを使うべきだと言ったのは彼なんです」
「やはりそうだったのか。とんでもない男だ。だが恐ろしい部分と同時に将来が有望そうだ」
「貴方もそう思いますか。私はずっと以前より彼の頭脳と度胸に気付いていましたよ」
サガはにこりとした。
その時足音がしてアイオリアが入ってきた。
「兄ちゃん!」
「どうしたアイオリア」
アイオロスはさっきの深刻そうな顔をすぐにやめてアイオリアに返事した。
「バスケやろうぜ。久しぶりに」
「いいだろう」
アイオロスは笑って椅子を立った。
「アイオロス」
サガが呼んだ。
「何だ」
「一度私とあなた,それからシオン教皇とカミュ君で集まって話をした方がいいですね」
「そうだな」
アイオロスはそれだけ言うと,アイオリアと一緒にサガの寝室を出た。


その頃カミュは他の黄金聖闘士のように生き返った無事を喜ぶどころか,複雑な面持ちでいた。
「どうしたの」
アフロディーテが声をかけた。
「心配するな。今はひとまず帰って風呂に入りたい。なんだかさっぱりさせたい気分なんだ」
「そう,そうしましょう」
アフロディーテがカミュの腕を取った。
宝瓶宮に戻ると体をしっかり洗い,浴槽にゆったりと入った。
ハーデスに蘇らされてから生きて帰ってきて初めて風呂に入ったとカミュは気が付いた。
窓を見ると日が高くなっている。
昼間に風呂につかるなどと何と言うぜいたくだろうか。
風呂の中にはアフロディーテが入れてくれたピンクのバラがいくつも浮かんでいる。
アフロディーテが作るバラでも赤はデモンローズ,黒はピラニアンローズ,白はブラッディローズだが,ピンクのバラはただのバラで毒はない。
ただぷかぷかと水面に浮かんでいる。
カミュは今この瞬間にもカミュはもう一つの問題を抱えていた。
自分があの白い部屋でやったことが現実だとしたら自分は神を敵に回したことになる。
仲間を守るためとはいえ,とんでもないことをやらかしたのではないか。
本当に自分の選んだ選択肢はそれで良かったのか。
自分と仲間の身の安全と引き換えに神々を敵に回したのではないか。
そして唯一カミュを許すと言った老いた神は誰なのか。
何となく予想が付くが今その名前を出す勇気がない。
ガラガラと風呂場のドアが開いてアフロディーテが入ってきた。
「私も入っていいでしょ」
裸で手にビール瓶を持っている。
カミュの一番好きなサンミゲルだ。
フィリピンのビールで日本のビールに比べて甘く,苦味もないし,香りがあり,ライトな味だ。
酒は飲めなくないがそれほど極端に好きではないカミュにはちょうどいいので高級シャンパンやワインよりもおいしいと思っている。
よく言えばビールというよりもジュースに近くて,さっぱりしているのだが,酒好きのデスマスクに言わせれば物足りないだろう。
「1本だけ冷えたのがあったのよ」
とアフロディーテは微笑む。
「…私達はアテナのために嘆きの壁を破壊して彼らをエリシオンに行かせたのだが,本当にそれでよかったのだろうか。もしかして私達はとんでもない間違いをしたのだろうか」
カミュがうつむいてそんなことを言った。
「…私はカミュが間違ったことをしているなんて思ったことはないわ。私知ってるの。この目で見たわけじゃないけど嘆きの壁から帰って来られたのはきっとカミュがみんなを助けてくれたからだわ。そんな気がするの」
アフロディーテはそう言って浴槽の中に入ると水瓶の中で跳ねる魚のようにカミュの首にしがみついた。
「だからこれからも私達を,私以外のたくさんの人たちも助けてあげてね」
アフロディーテの香水とは違う,甘い薔薇の香りがカミュの鼻に漂ってくる。
その匂いはまるで酒のように酔いそうだ。
「…」
カミュは持っていたビールを一口だけ飲んで舌を湿らせて瓶を浴槽の横の鏡の前にあるシャンプー台に置いて,
「約束しよう」
とアフロディーテの背中に腕をまわした。
濡れたお互いの長い髪が絡み合った。
あの老いた神が再び地上へ運んでくれたことが運命だったと信じてこれからも生きようと思った。

その頃聖域の広場では,星矢達が帰ってくることに備えてパーティの準備をしていた。
もちろん陣頭指揮を取っているのはシオンとアイオロスである。
「…肝心の料理だけどムウとアフロディーテを中心にやらせればいいでしょう。誰かアフロディーテを呼んで来て」
シオンが言うとミロが頭をかきながら,
「今は無理じゃないかなぁ」
さっきカミュとアフロディーテが腕を組んで帰っていく姿を見たので気を利かせたつもりだった。
「私がどうかしたの?」
カミュとアフロディーテが腕を組んで現れた。
カミュはポール・スミスのソフトな風合いの薄いベージュのスーツをカジュアルに着て,アフロディーテもジーザスディアマンテのピンクのワンピースを着ている。
これぞ美男美女カップルの真骨頂とも言えるくらい二人が並んで立つとまぶしいくらいに華がある。
「あれ?もういいの?」
「何がだ」
「いやなんでもないよ。もう休んでなくてもいいのかと」
カミュに突っ込まれてミロはきまり悪そうに後ろを向いた。
「私なら大丈夫だ。これから大事な氷河を迎えてやらねばならないからな。休んでいる暇はない」
カミュは言った。
そこでシオンは空気の流れをぶった切った。
「さっそくだけどムウと一緒にキッチンを手伝ってくれるかしら」
今までのアフロディーテなら露骨に嫌な顔をしたかもしれない。
しかし今はもう違う,彼女も随分と精神的に成長した。
嘆きの壁で皆の前でムウと仲直りすることを約束した。
だから,
「はい」
と笑ってキッチンの方へ歩いて行った。


夕方,パーティの準備が整ったのを見計らったように,聖域の空に小さな光が見えたかと思うと,ハリアーとスペースシャトルが突如として現れた。
ハリアーはスペースシャトルを先導するように飛び,スペースシャトルはその後ろを一直線上に付いてきた。
「あれだ!!」
貴鬼が空を指差した。
ハリアーはスペースシャトルが着陸できそうな広い場所へとシャトルを誘導していく。
シャトルはハリアーと一緒に円形広場のパーティ会場近くに滑るように入ってきて着陸した。
シャイナの指示で邪武,那智,蛮,檄,市が一斉にシャトルに消火器をかけた。
その為に,ハッチが開いて最初に降りてきた星矢は目の前が真っ白になった。
しかし白い煙が次第に消えて視界が明るくなったその瞬間星矢の目の前にずっと探していた誰かさんが立っていた。
「ね,姉ちゃん!!」
忘れもしない懐かしい顔に星矢は思わず叫ぶ。
今までじっと我慢していた涙がとめどなくこぼれた。
目がうるんで頭が真っ白になって鼻が痛い。
「星矢!!」
二人の姉弟は固く抱き合った。
「姉ちゃん,俺の姉ちゃん!!」
星矢は叫び,ドロドロでボロボロの星矢を自分の服が汚れるのもかまわずに星華はしっかりと抱きしめる。
周囲はその様子を見て涙し,拍手していた。
同時に氷河もカミュと,紫龍も童虎と再会を果たした。
「紫龍,よかった。でもけがはない?体の調子はどうなの?」
春麗が汚れてボロボロの紫龍の顔をタオルで顔を拭ってくれた。
「春麗。どうしてここに来ているんだ」
「ワシが呼んだんや」
と童虎がにやりとした。
氷河は疲労のためよろよろとしかしそれでも自力で地面を踏みしめることを実感するような足取りで歩き,カミュの所まで歩いてきた。
「俺は…わが師…俺は…帰って来ました。恥ずかしながら生きながらえて…帰って来ました」
疲労し,髪の毛はぼさぼさで顔もすすけていて,目は充血し,それでありながら確かな感動を持ってまるで横井庄一のように氷河はわが師カミュに帰還報告をした。
そんな氷河をカミュはやさしく抱きしめた。
「よく帰ってきた。氷河,…これで家族が揃う」
クールなはずのカミュの声が涙で震えていた。

賑やかなお祝いパーティの中,星矢の隣に氷河がやってくる。
「星矢。お前はこれからどうするんだ」
「どうって何が?」
「ハーデスは倒したし兄弟も見つかった。これから先はどうするつもりなんだ?」
氷河は悩んでいるようだった。
ハーデスを倒したし,わが師とも無事に再会できた。これからはカミュとアフロディーテの養子になって,ずっと宝瓶宮で暮らすことが決まった。
何もかもがうまく事が運び過ぎた。
これから先自分は何をしてどのように生きて行けばいいか次の目標が見つからず悩んでいる様子だった。
星矢はコップのオレンジジュースを一気飲みして息を吐いた。
「ウン,まずは美味しいものをたらふく食う。ハンバーグとかカツ丼とか海老フライとか寿司とかケーキとかパフェとかな」
「それで?」
「ふかふかのふとんで1週間ばかり寝て過ごす」
「それから?」
「それからまたアテナの聖闘士として地上の平和を守るために戦うよ!!氷河だってそうだろ?」
と星矢がニコニコして言った。
「う,うん。その通りだ」
と氷河も笑った。
<完>
←もどる

ハーデス編をすべて最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。
まゆからお礼が像があります。ここをクリック