その頃,デスマスクは順調に予定通り妨害工作をしていた。
デスマスクのやるべきことは2つ。
一つは警備の兵隊を目減りさせておくこと。
もう一つはハーデス城へ侵入しやすいように門や窓を破壊すること。
気をつけるべきは切り込み隊長のラダマンティスだけだ。
このハーデス城は冥界からの妙な結界のお陰で本来は最強とうたわれし自分達黄金聖闘士は10分の1以下の力しか出せない。
まともにぶつかったところでさっきのようにグレイテスト・コーションを浴びて倒れるだけだ。
とにかく見つからないように活動したいところである。
ハーデス城の正面玄関の冥闘士をまとめて積尸気冥界波で片付けると,壁に穴を開けてダイナマイトをねじ込んで蓋をする。
バルコニーも同様に穴を開けてダイナマイトを入れた。
後は遠隔操作でスイッチを入れればいつでも爆破できる。
その頃,牢屋のデスマスクが逃げたと冥闘士どもは大騒ぎしていた。
デスマスクは小柄な体を生かして,あらゆる所に隠れながら安全を確保した。
そうだ,その間にアフロディーテを迎えに行こう。
デスマスクはアフロディーテがいるはずのラダマンティスの部屋へ急いだ。
ドアに鍵はかかっていないが,安全の為に隙間から仲の様子を伺う。
もしラダマンティスがいてもどさくさにまぎれてアフロディーテだけ連れて逃げたらいいのだ。
それ位の能力は自分にもある。
部屋の応接間には誰もいないようだ。
デスマスクは音を立てずにはいりこんだ。
応接間は応接セットとテレビ,それに冷蔵庫があった。
窓には空っぽの鳥かご。
奥にドアがあり,隣の部屋とつながっていた。
注意深くドアを開けると,そこはベッドルームで,何の変哲もない部屋だったが,とんでもない光景が広がっていた。
ベッドの上にはラダマンティスがうつぶせで眠っていて,その上にはデモンローズがばらまかれている。
そしてその隣にはアフロディーテが全裸で座っていた。
「お前,何て恰好してんだよ」
デスマスクが最後にアフロディーテの裸を見たのは小学生の頃だ。小さい頃は一緒にふろも入ったものだ。
当然アフロディーテも大人になって多少は胸も膨らんでいるし,痩せぎすでもちゃんと曲線を帯びる大人の女性の体だ。
それを隠すことなくベッドの上に足を伸ばして座っている。
「彼を…止めたの。私のやり方で」
アフロディーテはそう言ってデスマスクの肩に倒れこんだ。
デスマスクはアフロディーテの言っている意味が理解できた。。
ペンは剣より強し。しかし女の体は男のペンよりもさらに強かった。
「死んでいるのか?」
「…いいえ。眠っているだけ」
アフロディーテはラダマンティスの頭を撫でた。
「彼には私を殺せない。だから私も彼を殺したりしない。…とてもかわいそうな人なの」
デスマスクはさっきラダマンティスにグレーテストコーションを受けてひどい目に会った恨みがないこともなかったが,アフロディーテの表情を見るとその事に対しては何も言いたくなかった。
「…アフロ。行こう。もうすぐカミュがここに帰って来る」
カミュの名前を聞いてアフロディーテは我に帰ったようだった。
「それじゃあ…」
「さあ,サガ達の加勢をしなくちゃな」
アフロディーテはうなずいてからラダマンティスの額にキスをして,
「ごめんなさい。私もう行くわね。貴方はどうかこれからも元気で生きて行ってね」
と,囁くと,デスマスクに連れられて行った。
デスマスクの携帯にメールが入った。
『んいちてちて
 てなぴぺきけ
 ざずをあ
 やよづど』
「後十分で着く」
デスマスクとアフロディーテが同時に読み取った。
「それじゃ,そろそろしかけるか」
デスマスクはアフロディーテの手を引いてハーデス城で比較的安全な1階の奥の部屋へ向かった。
途中の冥闘士は積尸気冥界派とピラニアンローズで適当に掃除した。
「うずくまってろ」
デスマスクは指示すると,リモコンをとりだした。
「行くぜ」
スイッチを押すと,城が振動して,パンドラの執務室以外のあらゆる城の窓や扉が壊れた。
 
十分後,サガとカミュとシュラの3人がハーデス城に到着した。
しかしデスマスクの破壊工作のおかげで警備は手薄になっていた。
パンドラの執務室に3人が入って来た。
サガは小さな風呂敷包みを持っていた。
「アテナの遺骨を持って来ました」
サガは隙のない笑顔を見せた。
「そうですか。それではそれを見せて下さい」
パンドラは机から立ち上がって近づいた。
「そうしたいのですが,ハーデス様に直接お引き渡ししたいのです」
「ハーデス様はひと前には決していらっしゃいません。この骨壷は私が預かりますよ」
「いいえ。このお骨は私が直接ハーデス様に持って行きます」
パンドラがサガの持つ骨壷をつかみ,サガも渡すまいと引っ張った。
すると,骨壷がひっくりかえり,蓋が飛んで行った。
中に入っていたのはケンタッキーフライドチキンの食べた後の骨だった。
「…これは!!お前達謀りましたね!!よくもハーデス様を裏切ったのですね」
足元に散らばったケンタッキーの骨を見てパンドラは初めて自分が完全に裏切られたことを知った。
「裏切り者だなんてとんでもないですよ。初めから私達はあなたに味方するつもりなどなかった」
長い髪を横に振ってサガは微笑んだ。
「さあ,私達をハーデス様の所に連れて行って下さい」
「うっ」
気が付くといつの間に回り込んだのかシュラのひょろ高い体がパンドラの後ろにいた。
「あんた,もう逃げられないよ。知ってると思うけど俺の両手は刃物よりも鋭い。ちょっとでもあんたが動けばスパーンだぜ」
「こぉらぁー,パンドラ様に何をするっ」
そこへちんちくりんのゼーロスが入って来た。
「うるさい,静かにしろ」
カミュが静かに言ってゼーロスに冷気を放った。
「ひぇっ」
ゼーロスは頭が凍りついた。
じりじりとパンドラとサガはにらみ合った。
「ふん,なるほどそういうことですか。しかし私を殺しても何にもなりませんよ。やれるものならやってみなさいよ」
パンドラは肝が据わっていてこれくらいではびびったりはしない。
「どうしたものでしょう。か弱い女性をあやめたくはないのですが。どうかお願いです。私達をハーデスの所に連れて行ってくれるならあなたのことを傷つけたりはしないと約束します」
サガは優しく懇願した。
シュラもなんとなく無抵抗の女性を前にして困惑している。
「お前ら甘すぎ!!」
甲高い声がした。
パンドラのこめかみに銃口が付きつけられていた。
「デスマスク!」
デスマスクが拳銃をパンドラの頭に押し付けていた。そしてもう片方の手でアフロディーテの手をつないでいる。
「おい,俺はこいつらとは違ってあまくねぇぜ,姉ちゃん」
いまさらだが聖闘士はそもそも武器は使ってはいけない。しかし任務のためとあらば銃火器も平気で使うのがデスマスクだ。
「つーか,お前らぬる過ぎ。なめてっと返り討ちに遭うんだぜ」
デスマスクはサガとカミュとシュラに向かってどなった。
アフロディーテはカミュの姿を見ると,
「カミュ!」
と途中倒れているゼーロスを蹴とばして走って来た。
「アフロディーテ」
カミュはゼーロスをふんづけてアフロディーテに手を伸ばした。
「ああ良かった。もう会えないかと思ったの」
「私なら大丈夫だ。心配かけたな」
二人は抱き合った。
アフロディーテは涙を流してカミュの頬や鼻や口を触った。
パンドラはじっくりとカミュとアフロディーテの様子を見ながら,
「ところでお前達はハーデス様に会ってどうするのですか」
「今さら隠すまでもないでしょう。ご想像の通り,ハーデスのお命頂戴いたします。今度はタネも仕掛けもありませんよ。これは本気です」
サガはふふふと微笑んだ。
「そうですか。さすがはアテナの聖闘士。ですが,そこまで体が持ちますかね?」
「何ですって?」
サガが眉に皺を寄せた。
そのとき,窓から明るい光が入り込んだ。
どうやら夜明けは近い。
「…カミュ,お腹が痛いの。気持ち悪い」
アフロディーテがカミュに言った。
カミュはアフロディーテの顔を見た。
「どうした,しっかりしろ」
カミュはぐったりとなったアフロディーテの体を支えた。
顔を横に向けると,サガがうずくまっている。
生前,心臓発作を起こしたように息が荒くなっている。
シュラも貧血によるめまいを起こしたらしく,頭を押さえて壁に寄りかかって座り込んでいる。
「デスマスク」
アフロディーテを離さないようにしっかりと抱きしめてカミュが呼びかけた。
デスマスクはうなずいた。
「お前,俺の仲間の体に何してくれちゃってんだ」
デスマスクが憤慨してパンドラを睨みつけた。
「何もしていませんよ。ただお前達は夜明けの光を浴びたにすぎないのです。完全に夜が明けて朝が来ればお前達の仮初の命は消えるのです。まぁ個人的な体力の有無によって多少は進行の度合いがありますがね」
つまり,体力のないまずは病人のサガや虚弱体質のシュラ,そして女性のアフロディーテから順に弱っていくのだ。
そういえばカミュも体の中が熱い。まるで血圧が一気に上がったような気がする。口の中も乾燥してきた。
サガはすでにうつぶせで気を失い掛けているし,シュラはあおむけになっているがどうにか上半身だけを壁に寄りかからせている。
カミュもアフロディーテの体を支えているのが辛くなり,思い切ってアフロディーテの体を抱え上げると,部屋の中で比較的光が当たらない壁側に移動して,そこに壁に背中を充てて腰をおろした。
デスマスクは嫌な冷や汗をかきながらも何とか立っていられるようで,パンドラの前から動かない。
「このアマ…」
デスマスクは歯をむき出して敵意は決して消さない。
デスマスクだってカミュと同じくらい,あるいはそれ以上に体はつらいはずだった。しかしそれでも立っていられたのは決して一人ではなくて,同じように痛みに耐えながら負けまいと気張る仲間たちがいたからに違いない。
「何を苦しむことがあるのです。お前達はもともと死んでいたんですからゾンビも同然。また死の世界に戻るだけです」
「うるせぇ…」
「そうだ,取引をしませんか。私の質問にちゃんと答えてくれたら私からハーデス様に頼んでもう少し助けてあげてもいいですよ」
パンドラはデスマスクの横をすり抜け,すでに倒れているサガとシュラを無視してカミュの前まで歩いて来た。
そしてカミュの顔を穴があくほどじっと見て,
「アテナは,死んだアテナはどこか教えて下さい」
カミュはアフロディーテを両腕で抱えたまま,
パンドラに露骨に嫌な顔をした。
「君はバカか。死んだ人間はみんなあの世へ行くのだ」
バカか,と言われてパンドラはムッとした顔をした。
「はぁ?何わけわからないことを」
と言い掛けたものの,
「いや,もし本当にアテナが自力で冥界に行ったりしたらおおごとですよ。まさか自分が一人でハーデスと戦うつもりじゃ」
 
その頃,ハーデス城のベランダでムウとアイオリアとミロは3人がかりでラダマンティスにてこずっていた。
いや,3人ともコテンパンテンだった。
倒れてもう動けない。
黄金聖闘士一,つまりは88ある聖闘士一の馬鹿力と言われたアイオリアの渾身の光速パンチ,ライトニングプラズマもラダマンティスにはヒットしなかった。
「…力が,力が入らない」
ハーデス城の強力な結界のせいで,本来の力の十分の一以下の力しか出せなかった。
もしここが普通の場所だったらこんなラダマンティスなんか自分のストレートパンチ一発でいつでも吹っ飛ばせたのに,とアイオリアは思った。
そう思うと本当に悔しかった。
その隣ではミロがひっくりかえっている。
まるでキンチョールを掛けられた虫のようにもがいている。
「痛ぇよ…誰か助けてくれよう」
ラダマンティスにサッカーボールの様に蹴られ続け,体中がもう痛くて痛くてたまらない。
ミロはベソをかいていた。
ムウはどうにか座ってはいたが,ふうふう言っている。
アイオリアは若さの体力で何とか立ってはいる。
ラダマンティスは勝ち誇ったように笑った。
「このベランダからポンと落ちればお前らなど地獄行きだ」
「うるせぇ,お前こそこの結界さえなければフルボッコだっつの。分かったかこのチョコボ頭」
アイオリアがにらみつけた。
「じゃ,生意気そうなお前からだ」
ラダマンティスは自分より大柄のアイオリアの髪の毛をつかみ,ベランダの先まで引きずった。
「それっ」
ラダマンティスはアイオリアを離した。
「うわっ」
ミロは叫び,ムウは顔を覆った。
そのとき,どこからか鎖が伸びてきてアイオリアの体をキャッチした。
アイオリアは体を引き上げられた。
「大丈夫ですか?」
瞬がいた。
「誰だ,お前」
ラダマンティスは目の前の少年にガンを飛ばした。
しかし,瞬はけろっとした顔でラダマンティスを見ている。
「瞬,一人でここまで来たんですか」
ムウが聞いた。
「いえ,たまたま僕が先に着いたみたいです。多分そろそろ皆来るんじゃないかな」
その時,空から3つの光が見えてきた。
ドカッ!!
いきなりラダマンティスの上に星矢が落下した。続いて氷河と紫龍も落ちて来る。
「…着地地点を間違ったのかな。この人のおかげでとりあえずは」
「星矢,その人が冥闘士みたいだよ」
「何っ」
瞬の言葉から星矢達は慌てて下敷きになったラダマンティスから飛び退いた。
「お前らー」
ラダマンティスの矛先は明らかに黄金聖闘士から青銅聖闘士に変わった。
「おっ,やるか?やるか?」
星矢達は構えた。
「ペガサス流星拳―!!」
「ふんっ」
ラダマンティスが鼻で笑って片手で星矢の拳を止めた。
「星矢,おやめなさい。この人のことは私達3人に任せてあなた達はサガ達のもとへ急ぎなさい」
ムウが言い放った。
アイオリアもムウの言葉にうなずいた。
ところが青銅聖闘士達は驚いたが,ミロにいたってはもっと驚いていた。
―無理だ,無理だ。絶対無理だ。俺達だけでこいつ一人を止めるのは無理だー。
ミロが必死で首を振るのに氷河が気付き,足を止めた。
「だけどミロがやばそうなんだが」
「気にしてはいけません。この先でカミュがあなたの助けを待っていますよ」
「何,わが師が」
カミュの名前を聞いて驚いた氷河は,
「星矢,急ごう」
と走り出した。
―やっぱりお前は俺よりカミュかよ!
ミロは半泣きでもう一度戦うことになった。
「行くぞっ」
アイオリアはラダマンティスに向かっていった。
「ライトニングプラズマー!!」
アイオリアは高速のパンチを繰り出した。
しかしラダマンティスにはアイオリアのパンチなど蚊に刺されたようなものにしか感じないらしく何も感じないようだ。
「何度やっても同じだ!!」
ラダマンティスは片手でアイオリアを放り投げた。
アイオリアは全身を骨折して倒れた。
ガシャン!!
何者かがラダマンティスの後頭部を鈍器でぶん殴った。
ラダマンティスが振り返るとムウがそばにあった花瓶を持って震えていた。
「…お前か」
「ア,アイオリアを投げないで下さい」
ムウはおびえながら言った。
ラダマンティスはムウの首を絞めようと手を伸ばした。
そのとき,ラダマンティスの足をアイオリアが必死につかんでいた。
「させるか…」
アイオリアは青い目をガスの炎のように輝かせ,ラダマンティスを強く,睨んだ。
「ムウには…小さい子供がいるんだ。ムウだけは死なせるわけにはいかねぇんだよ。そんなことしたら…おれは兄ちゃんに顔向けできねぇよ。や,やるならこの俺かミロをやれ」
「ええっ何で」
隅っこで倒れたふりをしていたミロが顔を上げた。
「お人よしも度を超すとただのバカだな」
ラダマンティスがアイオリアの頭をふんづけた。
ミロは本当に困惑していた。
できればこっそりここから逃げたい。できれば自分一人でもいいから助かりたい。
だけどアイオリアもムウも自分の仲間だ,友達だ。
その友達が頭をふんづけられ殺されかかっている。
しかし今自分が力を振り絞ったところでラダマンティスにはかなわない。
このまま自分一人逃げたほうが得策ではないのか。
アイオリアに比べて差ほどダメージも食らっていないのでその気になれば逃げられる体力はある。
―でも。
アイオリアはもう体中の骨を砕かれて動けそうにないしムウはとても非力でラダマンティスに敵いそうにない。
頭を踏まれ続けるアイオリアから目をそらしながらミロはずっと考え続けた。
とうとうミロが叫んだ。
「あーっ!!ラダマンティスの後ろにラブワゴンが通ったぞ!!」
「ナニッ」
ラダマンティスがミロが指さした方向を振り返った。
「もらったぁ」
ミロは素早く起き上がってラダマンティスの体に赤い稲妻を打ち込んだ。
「ぐおっ」
いきなり不意打ちを食らったラダマンティスはたいしたダメージにはならないものの驚き膝をついた。
「なんなんだ,お前らは」
ラダマンティスは完全に怒りだしてしまっていた。
「めちゃくちゃせこい戦い方ばかりしやがって」
「うるせぇ,うるせぇ!
!せこいのはお前らのほうじゃねぇか。わざわざ結界まで作って力を封じるなんかさ」
ミロはムウをかばいながら言った。
「やっぱ決めたわ。おれも逃げずにお前らと一緒に最後まで戦ってやってもいい」
「ミロ」
アイオリアは感極まって叫んだ。
「さあ行くぜ。おれはまだ倒れちゃいねぇ」
ミロはラダマンティスと向かい合った。
視線が火花を散らした。
 
その頃,サガ達の容体はさらに悪くなっている。
サガとシュラは完全に倒れて気絶していたし,カミュはすでに意識がないアフロディーテを抱いて座り込んだまま,パンドラを睨みあげている。
デスマスクはどうにか立っているが,まっすぐ立ってはいられない。
「ゼーロス」
「はい」
凍らされていたゼーロスがようやく解凍され,ぴょこんと立ち上がった。
「もはやここにいてもしかたありません。私は先に冥界に行っています。後のことは任せます。お前はここを片づけておきなさい」
「はい」
パンドラは机の上の大事なパソコンだけを抱えて階段のほうへ歩いて行った。
ゼーロスはパンドラを見送ると,カミュの所に戻って来て,
「このバカップル,よくもコケにしててくれたな」
とカミュの足をけった。
蹴とばされながらもカミュはアフロディーテの体を離さなかった。
ただ,ひたすら歯をくいしばって耐えた。
「その辺にしとけよ」
カミュの耳に聞きなれた声がした。
ゼーロスが振り返るといきなり,
「オーロラエクスキューション!!」
と,ものすごい冷気で粉々にされた。
氷河が立っていた。
「カミュ!!」
氷河がカミュに駆け寄った。後ろから瞬も付いて来た。
「…アフロディーテ,氷河達が来てくれた」
カミュはアフロディーテに優しく声をかけた。
「思えばかつて私は君をとり残して先に斃れてしまった。辛かっただろうし,一人で怖かっただろう。もう私は君を置いて行ったりはしない。私達は,もうずっと一緒だ。安心してゆっくり,お休み」
カミュがアフロディーテに声をかけたが,もう返事はない。
わかっていたとはいえ,カミュは唇を固く結んでうなだれてしまった。
瞬も氷河も何と声を掛けていいかわからない。
紫龍はシュラを起こした。
「シュラ,シュラ」
「紫龍,来たのか」
シュラはなんとか紫龍を見た。
「今度こそ俺はもう駄目だ。だけど忘れないでくれ。俺の思いはお前の右手に宿っている。だから絶対に…」
「分かっている。ありがとう。あなたに譲っていただいたエクスカリバーのおかげで俺は何度この命を救われたことか。数えきれません」
紫龍は頭を下げた。
「へ…へ,お前ら遅かったじゃねぇか」
さっきまで何とか立っていたデスマスクがついに膝をついた。
紫龍は理解した。ここへ来た時ラダマンティス以外の冥闘士はみんな爆風に吹っ飛ばされてやられていた。
デスマスクが先に潜入して始末をしてくれていたのだ。
「…そうか。あんたが。今までずーっと誤解して悪かったな」
「よせや。俺が好きでやったことだ。気にすんな。ヤクザモンの最期なんかこんなモンさ。それより紫龍,煙草吸わせてくれ」
紫龍はデスマスクの襟元に手を突っ込んで煙草とライターを出した。
そういえば最後にデスマスクの体を触ったのは紫龍が蘆山昇龍波を放った時だった。
煙草を一本出してデスマスクにくわえさせ,ライターで火を付けてやる。
デスマスクは最後の煙をうまそうに吸い込み,
笑いながら突っ伏してもう動かなくなった。
弱音を吐かず,悲観もせず,彼らしい最期だと紫龍は感じた。
「…笑いながらいったな。なんともコイツらしい」
シュラが呟いた。
紫龍はシュラを見た。
「…悪いがもう潮時のようだ。紫龍,くれぐれも気をつけるんだ」
シュラは目を閉じた。
「あっ,シュラ」
 
「…星矢君」
最後の力を振り絞りサガが星矢に声をかけた。
「君,アテナの聖衣を持ってきたそうですね」
「そ,そうだ」
「この扉の先に…冥界が広がっています。アテナは,その先に行きました。お願いします,アテナを追って下さい」
「わ,分かってる」
星矢はおろおろしながらサガを見た。
「サガ,またおかしくなってもいいからあの発作を止める薬を飲めよ」
「お気遣いありがとう。でも必要ないのですよ。私の体はもうすでにこの世のものではなかったのです。この世のどんな薬ももうききません」
サガは悲しそうに微笑んだ。
「弟とアテナをお願いしますよ。私からの最後のお願いですよ」
「最後のお願いだって…」
星矢はいやいやと首を振った。
「勝手なことだとは分かっています。お願いです」
「…分かった」
と,星矢の背後にいた紫龍が代わりに返事をした。
「貴方の弟のことは我々に任せてくれ」
「あり…がとう」
サガは紫龍に頭を下げると,一度だけ星矢のほっぺたをさわると,本当に清らかな天使のような微笑みのままに眠るように亡くなった。
 
氷河はカミュの横に座ってただおろおろとしていた。
「嫌だ,カミュ,どこにも行かないでください」
氷河は半狂乱になって,泣き喚いた。
瞬は氷河の背中をさすった。
「氷河。もう泣くのはやめなさい。さあ,最後に私に顔を見せてくれ。この私を越えた男の顔を」
「うっ」
「さあ氷河」
瞬が氷河の背中を叩いた。
氷河は鼻をズルズルさせて膝で歩き進み出た。
氷河は涙でカミュの顔を見ることができなかった。
「目を閉じなさい」
カミュは静かに命じて,氷河に目をつぶらせた。
自分のことをこんなに慕ってくれる氷河に自分の死に顔を見せるわけにはいかなかった。
 
それからカミュは小声で瞬に氷河を頼むと言うと,瞬がうなずいた。
カミュは氷河の額に一度だけ自分の額をあてて別れの挨拶をした。
そしてアフロディーテの顔を見て,
「さあ,行こうか,アフロディーテ」
と,カミュは今一度アフロディーテのぬくもりが消えかけた体を抱きしめ,瞳を閉じた。
カミュの小宇宙が途切れたのを感じたのか,氷河は赤子のように泣き叫んだ。
「氷河」
瞬が必死に氷河の体を押さえつけた。
 
その隣で星矢がサガの言っていた扉を開いていた。
「紫龍,この下に階段があるぞ。多分この階段を使えば冥界に行けるんじゃないか」
「何だって」
紫龍が階段を覗きこんだ。
「しかしもしそうなら一刻の猶予もない」
紫龍は心配そうに氷河を見てから瞬を見た。
瞬は戸惑っていた。
しかし,氷河は涙を拭きながら立った。
「俺なら大丈夫だ。いつでも行ける」
「そ,そうか。じゃあ行くぜ」
星矢を先頭に青銅聖闘士は階段の方へ歩き出した。
その後,しばらくしてラダマンティスがやって来た。
黄金聖闘士達の死体を見ていたが,その中にカミュの首にしがみついて息絶えているアフロディーテを見ると,ラダマンティスは色を失ってしまった。
ラダマンティスにもうすうす想像が付いた最悪のパターンだった。
「…なぜ君は行ってしまったんだ。もう少し俺を信じてくれれば君だけでも救う事が出来たのに…」
ラダマンティスなりにアフロディーテを救えなかった自分に腹を立てているようだ。
彼は彼なりに不器用ながらもアフロディーテに惚れていたのだろう。
ラダマンティスは深呼吸をすると,青銅聖闘士達を追って扉の外に出た。
 
「おい」
ラダマンティスが声をかけた。
「あっ,お前生きてたのか」
星矢が驚いた。
「ああ。この通りぴんぴんだ」
「それじゃあムウ達は…」
「あの黄金聖闘士達なら俺が一人ずつコキュートスに落っことしてやったぞ」
「なんてことを!!ミロやアイオリアはいいヤツだしムウには子供がいるんだぞ」
氷河が怒鳴った。
「そんな残酷なことばかりしていいのか。あんたには心ってものがないのか」
紫龍が言った。
「心か。…そんなもの,もう捨てた!」
ラダマンティスは両手から紫の光を放った。
青銅聖闘士は全員吹っ飛ばされた。
「さっきは黄金聖闘士に邪魔されたが,今度は本気だ」
吹き飛ばされて動かなくなった青銅聖闘士を見下ろしてラダマンティスは満足そうに言った。
「次の一撃でお前らは確実にあの世行きだ」
ラダマンティスが両手を上げた時,後ろから星矢が体当たりを食らわせた。
不意打ちを食らってラダマンティスはよろけた。
「ちっ,まだ起き上がられるのか」
「当然だ」
星矢はラダマンティスをにらんで言い返した。
「俺は絶対にやられたりなんかしない。だって俺達にはアテナが付いているんだからな!」
やはりそうかとラダマンティスは気付いた。
アテナはどうやら自分の力で冥界へ向かったのだ。
つまりアテナは健在,ハーデスを倒すためにたった一人で冥界へ行ったのだろう。
早く自分も冥界へいって宛名を止めることが先決だ。
そうしなければアテナは最悪ハーデスと刺し違えるかもしれない。
「…アテナめ行かせるか」
ラダマンティスは星矢を無視して冥界へ行く階段を降りかけた。
「あっ,待てっ」
星矢がラダマンティスの背中に覆いかぶさった。
「どけっ」
ラダマンティスが星矢をはねのけようとしたが,星矢は負けじとラダマンティスの首にかみついた。
「ぎゃあっ」
ラダマンティスがらしくない悲鳴をあげて,階段から足を踏み外した。
同時に星矢もラダマンティスと一緒に転がり落ちた。
そのとき,老朽化していた階段は2人分の体重の重みでひび割れ,二人はそのまま奈落の底へ落ちて行った。
「せ,星矢」
瞬が何とか倒れたまま星矢を引き上げる鎖を投げたが,届かなかった。
一時間くらいたっただろうか,全身に打ち身で痛んでいた瞬,氷河,紫龍たちも何とか体が動けるようになった。
「星矢がこの下に落ちた」
瞬が氷河と紫龍に見たことを伝えた。
「こうしている暇はない。ならば俺達も行くべきだ」
紫龍は言った。
「星矢ならきっと無事」
氷河も言った。
3人は星矢の後を追ってこのまま冥界へ降りる覚悟を決めた。
 
 
 
 
その頃,聖域のアテナ神殿の前庭で童虎とシオンがいた。
童虎はアテナ神殿の時計を見た。
午前4時30分。
夏は日の出が早い。
もうすぐ濃紺の空がシオンの瞳の色と同じうすいピンク色に変わる。
そのシオンは童虎の膝の上でぐったりとしていた。
彼女にももう時間がなかった。
「…ごめんなさい。本当はあなたに許してほしかったのは私の方」
「な,何を言うんや。お前は何も悪ないで。わしはお前を2度も傷つけてしもたなぁ…」
童虎は何百年かぶりにうろたえた。
「いいえ。私はいつもあなたのお荷物だったことくらいわかっていたわ。それでも私はあなたをずっと…愛してた」
「シオン」
童虎はなんて言っていいかわからない自分が恥ずかしかった。
「ねぇ,そんな顔しないで。私も悲しくなるから。だけど本当はもっともっとたくさんあなたと話したかった。せっかく243年ぶりに会えたのにね」
「いや,すぐまた会えるで。…今度はそんなに長うない。すぐや。なぁ。その時はまた2人一緒やでぇ…おっと2人やないな,3人か」
童虎はシオンの腹に手を当てた。
「大好きよ…永遠に」
シオンは童虎の肩に手を伸ばしたが,届かなかった。
「シオン?」
わかっていたことだが,童虎は慌てふためいてシオンの白い指に手を伸ばした。
叫びもせず,ただ恋人を2度も失った悲嘆に暮れていた。
シオンが目を開いている間は涙を決してみせることはできなかったので,今,その悲しみが一度に堰を切ってあふれた。
ひとしきりシオンの体に取りすがって泣いていたが,ようやく気持ちを落ち着けて背後の気配に向かって声をかけた。
「自分,覚悟はもうできてるのん?」
絶対に見つからないように物陰に隠れていたのにばれてばつが悪くなったカノンが頭をかいて出てきた。
「…あの,決して覗き見してたわけじゃねぇんだ。いつ声かけていいかわからなくてさ」
カノンはうつむいて言い訳を言った。
「覚悟がちゃんとできてんのか聞いとるんや!」
童虎は同じことをもう一度カノンに投げかけた。
「あ,ああ!!矢でも鉄砲でも持って来い!…こんな俺だが許されるなら俺も全力で戦う」
「付いて来い」
童虎はカノンの手を乱暴に引っ張った。
カノンは黙ってついてきた。
アテナ神殿の地下の通路を通って連れてこられた場所は,サガが過ごしていた病室だった。
主のいないベッドの上のシーツは清潔なものと取り換えられており,その上に双子座の黄金聖衣の箱が鎮座ましましていた。
「…ほんまに自分は決めたんやな。もう後戻りはできんのやぞ」
「…やってやらぁ!!」
カノンの甲高い叫び声に反応して双子座の聖衣箱が光を放ち,中から朝日のごとく光輝く聖衣がその体を取り巻いた。
ちょうどベッドの横の姿見に聖衣をまとったカノンの姿がうつる。
その姿は本当にサガと瓜二つだった。
「おお,めっちゃ似合うとるやんけ」
童虎がはじめて陽気な声を出した。
「ま,まじで?」
「似合うっちゅーのは,お前を聖衣が認めたって事や。なにはともあれおめでと!」
「あ,どうも」
お祝いを言われてカノンは反応に迷った。
「ほんならさっさと冥界へ突っ込むで!」
童虎の明るい掛け声にカノンは,
「はい!!」
と敬礼した。

●冥王ハーデス十二宮編完
しかしこのまま冥界へ突っ込む!!
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