星矢がハーデス城の奈落に落ちた。
ここから下は冥界に続いているという。
そしてその先は冥界,つまりあの世に続いている。
ぽっかりと老人の入れ歯を抜いた口のような暗いほら穴を覗きこむが,黒以外の色は見えてこない。
氷河も瞬も紫龍も押し黙ってしまった。
ところが最初に口火を切ったのは瞬だった。
「僕達も行こう」
「そうだな。星矢ならきっと大丈夫だろうしな」
と,氷河。
「よし,行こう!」
前に進み出た紫龍の肩を誰かがむんずとつかんだ。
「ちょい待ちぃ」
童虎の強い声だ。
氷河は童虎の顔をじろじろ見た。
「誰だ,あんた」
「この人は童虎。俺の先生だ」
紫龍が代わりにこたえる。
「えっ,でも紫龍の先生っておじいちゃんじゃなかったっけ?」
瞬が目を丸くする。
そこにいるのは栗色の髪のさわやかな笑顔のハンサムな青年だ。
「だから俺がそのジジイやねん」
童虎は言い返した。
とても信じられなかったけれど紫龍がそう言っているのだし,天秤座の聖衣もきているので間違いないだろう。
「ええか。よう考え。生身の人間は冥界なんかへ降りられへんのや。よって無理はすな」
「でもここで逃げるわけにはいきません!」
瞬が言い返した。
「星矢を一人で放っておくわけにはいかないんです。きっと一人では大変でしょう。だから僕らも助けないと」
「ここまで来て逃げろだなんてあんまりだ。せっかくここまでやってきたのに」
氷河も抗議した。
すると童虎は,
「ふん,どうせ言うても無駄やろうと思っとったわ。ええわ。付いて来い。どうせここでわしが置いてきぼりにしたって自分ら後で絶対付いてくる気まんまんやろ」
と,笑った。
 
「けど生きたまま冥界入りするには第八識ちゅう阿頼耶識に目覚めんとあかんの」
「阿頼耶識?それってシャカの遺書メールにあったやつですか?」
紫龍が質問した。
「アホな。自分らあれがシャカの遺書やと思てんの?ちゃうで,シャカは死んどらへん,さっさと阿頼耶識発動して冥界へアテナの警固に行ったわ。全く元気,ちゅうかたいしたやつやの。まぁ自分らも今まで奇跡を起こしてきたのを見てきたからな。自分らやったらうまいこといくかもしれへんなぁ。ほな準備ができたら出発や」
 
それから一同は近くのファミレスで食事をして準備を整えてからハーデス城の冥界への入り口にもどって来た。
「ほんならさっきの飯が人生最後の飯にならんようにな。運が良ければすぐに会えるわ。ほないくで!!」
童虎が先に飛び込んだ。
その後を瞬と氷河と紫龍が追った。
 
 
瞬は運良く柔らかい泥土の上に落下した。
少し手のひらとあごを打ったがけがはしていない。
「…冥界に着いたのかな」
瞬はよっこらしょと体を起こして辺りや空を見た。
空はうす曇りで,自分は泥の道の真ん中にいた。
ひとけのない,田舎道だ。
何の音もしない。
「みんなはどこにいっただろう」
とりあえず付近を歩いて回ることにした。
「あっ,星矢!」
数メートル先に星矢が倒れていた。
「星矢,僕だよ,しっかりして」
瞬は星矢を揺すり起こした。
「うう」
星矢はなんとか意識を戻した。
「ああ,よかった」
「瞬なのか」
「うん。紫龍や氷河や老師さんも一緒だったんだけど,どこかではぐれちゃったみたいだね」
「そっか」
星矢も立ち上がった。
念の為,瞬は自分の携帯電話を取り出したが,圏外だった。それを慰めるように星矢が,
「…俺達もちゃんと無事に着いたんだ。きっとみんなもどこか別の場所へ着いてるよな」
「きっとそうだよ。とにかく先へ進もう。星矢,歩ける?」
「おう,心配するな」
瞬と星矢は並んで歩き始めた。
「ここから先は多分一本道だから道なりに進めば」
と瞬。
視力のいい星矢が目の前に何か見えたようだ。
「瞬,この先に人工物のようなものがあるぞ」
二人は何もない道をその人工物に向かって駆け足で行った。
白い綺麗な大門で,パリの凱旋門のように大がかりで立派だ。
「何か書いてあるぞ。ジゴクモン?」
「ここを通る者,一切の希望を捨てよと書いてあるね」
「じゃあここがあの世への入り口?」
「きっとそうだ」
二人は少しおっかなびっくりできょろきょろしながら地獄門を通った。
先ほどから風の音が強くなる。
しかし風は吹いていない。
おかしいなと瞬が思っていると,それが風の音でなかったことに気付く。
2人の目の前には海のような対岸の見えないような川があり,川のほとりにはたくさんの亡者が嘆き悲しんでいた。
「…これは,死んだ人たちなの?」
瞬は幽霊を見たのが初めてでびっくりして星矢の肩をつかんだ。
ところが星矢はもっとびびっていた。
「でた…」
星矢は完全に腰が伸びてしまって動けなくなっていた。
「そいつらは中途半端な死に方をして天国にも地獄にも行けないやつらよ」
と,知らない男の声がした。
瞬が声のした方を見ると,モーターボートに冥闘士が座っていた。
「ん?お前ら死んでねぇな。何者だ」
名前を聞かれて瞬ははっとして,
「僕はアテナの聖闘士,アンドロメダの瞬だ!そしてこっちは…」
と瞬は星矢を見ると,星矢はまだ幽霊を見てかちこちになっている。
「…星矢!しっかりしてよ!しょうがないな,…こっちは,ペガサスの星矢だ!」
瞬は星矢の代わりに自己紹介した。
「それであなたは誰ですか」
「俺はここの渡し守をやっている天間星アケローンのカロンよ」
「僕達は,ハーデスと戦う為にアテナに聖衣を届けなきゃいけないんだ。だからこの川を渡してもらいますよ」
「そ,そうだ。乗せてくれ,いや,乗せろ」
役目を思い出して星矢はなんとか持ち直した。
「そっか,渡りたいのか。だったら乗船料を払ったら乗せてやるよ。二人で一〇〇〇〇円だ」
「はぁ?そんな大金ねぇーよ」
元気になった星矢が憤慨した。
「だったら乗せられねぇな」
「ひどい!!学割とかないんですか!高校生って貧乏なんですよ」
瞬が高校の学生証を出して来た。瞬も星矢も普段はごく普通の高校3年生なのだ。
するとカロンは何を考えたのか,
「しょうがねぇな。じゃ,二人で5000円で乗せてやる」
それなら何とか支払えそうだ。
しかしなぜ半分まで値切ってくれたのかは謎だ。
とにかく乗せてくれるそうなので,瞬と星矢はカロンのモーターボートに乗り込んだ。
モーターボートはエンジン音を立ててアケローン川をすいすいと進んだ。
「随分遠いな。まだ着かないのか?」
星矢は退屈そうな顔をした。
「何言ってんだよ。まだこの辺りが川の半分さ」
カロンが言った。
「どうした,瞬」
瞬がさっきから黙っているので星矢は声をかけた。
瞬は気になることがある。
それはモーターボートなのにどうしてカロンの運転席の横にオールが置いてあるのか。
嫌な予感がして瞬はできるだけオールから離れた位置に座っていた。
「さぁ,ここがこの川の一番深い場所だぜ。そしてお前達の降りるところだよ!!」
突然,カロンは星矢をオールで叩き落とした。
「ぎゃおっ」
星矢は情けない悲鳴とともに川に落とされた。
「あっ,星矢」
瞬は急いで鎖を投げた。
どうにか星矢の手首に鎖が絡まって星矢は難を逃れた。
しかしなかなか星矢が浮き上がらない。
まさか溺れてしまったのか。
いや,よく見ると星矢の周りに無数の亡者がしがみついている。
星矢と一緒に船の上にあがろうと懸命にくっついているのだ。
いっそペガサス流星拳でふっとばせばいいものをそれも出来ない星矢はお人好しだった。
瞬は必死に綱引きの要領で,鎖を引き寄せた。
「うーん,うーん」
瞬は星矢を助けたい一心で鎖を引いた。
ザバーン。
大きな波風とともに星矢の体が川の水面から浮上した。
水をたくさん飲んだ星矢の体は空中で一回転してカロンの頭上に落下した。
「ぎゃんっ」
カロンは悲鳴をあげて倒れた。
「星矢,すごいね。頭突きだけでやっつけちゃったみたいだよ」
瞬が駆け寄って声をかけた。
「ど,どんなもんよ」
星矢は照れ隠しに笑った。
「対岸へ行くぜ」
星矢は頭をさすりながら言った。
「でもどうやって行くの?星矢運転できる?」
「やってみるよ。俺,先月原付の免許取ったんだ」
星矢はシートに座ると,ギアを入れてハンドルを握った。
ヴヴヴヴヴン
モーターボートはうなりを上げてなぜか後退している。
「星矢,下がってる!!下がってる!!」
瞬は慌ててギアをドライブにした。
どうにかボートが二人を乗せて静かな波音を立てて進んだ。
「見ろよ,対岸だぜ」
今度は星矢は無事にブレーキを掛けてボートを停めた。
船を降りようと振り返ると瞬がカロンの冥衣をあさっている。
「何をしてるんだ」
「これ」
瞬は携帯電話を取り出して見せた。
「これ,きっと冥界専用の携帯電話だよ。ここで使えるはずだ,念の為持ってこうよ」
「さすが瞬頭いいな」
電話を広げると電波のアンテナが3本立っている。
二人は目の前に大きな建物が立ちはだかる場所で立ち止まった。
白い建物で,まるで役所のような形だ。
「どうもここを通り抜けないといけないようだぜ」
星矢は先に階段を上がってドアを開けた。
「こんにちはー」
「…お邪魔します」
中はがらんどうで何もない。
外観だけが立派な映画のセットのようだ。
「そこになおりなさい」
頭に直接響くような甲高い声がした。
正面に雛壇のようなものがあり,そこに机があって,黒い法服の人影がある。
「私はこの裁判所の裁判官。これより君達の裁判を始めます。静粛に」
「裁判だって?」
星矢は雛壇のすぐ下まで歩いて来て法服ルネの顔をよく見た。
華奢な体に銀髪の長髪の美しい青年だが,なぜか口には白いマスクを付けている。
風邪引きか花粉症か。
「…それではこれから君達の罪状を調べますよ」
ルネは机の上のパソコンを叩いた。
「おや」
ルネは首をかしげた。
「君達のデータがありません。一体どういった身分の者なのですか?」
「俺はアテナの聖闘士ペガサスの星矢だ!そしてこっちはアンドロメダの瞬だ!アテナを助けるために冥界に来たんだぜ!!」
星矢は建物の中に鳴り響かんばかりの声で怒鳴った。
「…ふむ,そうだったのですか。ならばまだ死んではいないということですね」
「そうだ。だから閻魔さまの裁きを受けるのはまだ早いぜ。だからここを通してもらうよ。もし通してくれねぇって言うんなら力ずくでも俺がぶっとばして通るけどよ」
「そうですか。でもね,通してあげたくてもここから先は死んだ人間しか通すわけにはいかないんですよ。ですからね私が君にふさわしい地獄を選んで送ってあげますよ」
ルネは机から立って階段から降りてきて途中で止まった。
「さぁ,それでは君が犯した罪を見てみましょう。まずは君からです。リーインカーネーション!」
星矢の頭に電流が走った。
それと同時に壁側の大きなモニターに星矢の子供の頃の記憶が写った。
夏休み,網を持って野山を駆け回る子供の頃の記憶が写った。
虫取りをしたり,魚釣りをしたり,それは本当は楽しい思い出のはずだった。
「虫をとったり魚をとったりみだりに命を殺したのですね」
とルネは言った。
次の記憶は,星矢が小学校の頃の記憶だ。
聖闘士になるためにギリシャに来たが,地元の小学校(貴鬼が今通っている小学校)に入ってからもやんちゃがひどくなった。
喧嘩をしてよその子供に怪我をさせた。
中学のときはもはや同級生では手も足も出ず,教師にまで暴力を振るった。
そして聖闘士になってからは自分に向かってくる敵がたとえだれであろうと倒した。
「正義のためだ,しかたなかったんだ。アテナを守るために」
星矢はうめいた。
「どんな理由であれ,君は十分なシリアルキラーですよ。正義という名の免罪符を携えたただの大量殺人鬼にすぎない。そんな君にピッタリの地獄がありますよ。灼熱地獄です」
そういってさらにルネは電圧を上げた。
星矢は気を失った。
「星矢」
瞬はおろおろとした。
「次は君の番です」
ルネはあっという間に瞬を電流にかけた。
「おや,君はさっきの少年より少しは大人しく生きてきたようだ。しかし,聖闘士である以上多くの人を傷つけたようだ」
モニターに瞬が多くの聖闘士を倒している姿が映る。
しかし,突然,ついさっき,瞬が紫龍や氷河と一緒に童虎にファミレスでハンバーグをごちそうになっていた時の様子が見えた。
「たとえば君達が食べたハンバーグ。これだって元は牛のお肉です」
「じゃ,貴方はお肉やお魚を一切食べないのですか」
瞬が聞き返すと,
「そうです。動物たんぱく質は一切とりません。もちろん根菜も食べません。土中に虫が隠れているかもしれませんからね。息をすれば小さな微生物を吸い込んでしまうかもしれないからこうしてマスクを付けているんです」
瞬は呆れてしまった。
「さぁ,君も地獄へ送ってあげます!」
その時,瞬の足元で星矢のかすかなうめき声がした。
「ハンバーグだって…お前らそんなもん食ったのか…」
悔しそうだ。
「…俺も,俺もくいたかったぞ」
食い物の恨みは恐ろしい,星矢は一度は魂を吹き飛ばされたものの,ハンバーグという単語を聞いて蘇ったのだ。
その事に気付いた瞬は星矢をさらに刺激した。
「そうだよ,ガストのハンバーグおいしいもんね。だから,星矢も起きて。無事みんな終わったらまたみんなでガストに行こう!」
「…海老フライとうどんとパフェも付けろそれからライスはおおもりだ…」
「老師に交渉してあげるよ。だから起き上がって!」
星矢はよろよろと立ちあがった。
「なんという執念でしょう」
ルネは完全に星矢の食い物への執着に恐れをなしていた。
そのとき,ルネの足元に金属音がした。
「これは何です」
屈みこんでよく見ると,それは何の変哲もないスプーンだった。
いわゆる給食で使う先割れスプーンというものだ。
「ひぇぇぇぇ!!」
ルネは給食スプーンを見ただけで鬼ごっこの子供のように全力疾走で逃げだした。
「一体何があったんだ」
星矢と瞬はぽかんとその様子を見た。
ルネは建物を出て気違いみたいに走りだした。
そのルネの目の前にバケツが現れた。
それは金属製の,給食に使われるバケツだ。
中には野菜や豚肉たっぷりの酢豚が入っている。
「ひぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「おい」
いきなりルネは肩を掴まれた。
ラダマンティスがじろじろとルネを見ている。
「うるさいぞ」
「ラダマンティス様,酢豚が!!酢豚が!!」
「酢豚?そんなものはないぞ」
「えっ」
ルネがバケツを見るとそれは給食バケツではなく,ジェミニの黄金聖衣のヘッドパーツだった。
「え,これは一体。私は幻覚を?」
「そのようだな。そしてこれがその犯人の手掛かりのようだ」
「よく分かったな」
すぐそばで男らしいテノールがした。
反対側から現れたのはジェミニの聖衣を着たカノンだった。
「お前給食恐怖症なのね。なっさけねぇな。プッ」
声質はとても上品なテノールなのにその言葉遣いと態度は野卑だ。
ルネはもともと給食の酢豚の肉の脂身が気持ち悪くてゲロを吐いて肉が食べられなくなってしまった。それだけではない,給食が大嫌いになってしまった。どんどん偏食がひどくなり,いわし団子の臭みで魚も食べられなくなってしまった。シシャモの南蛮漬けもまずかったし,中途半端に甘ったるいシチューもひどかった。しかしルネのいた小学校のクラスの担任の先生が厳しくてお残しすることさえ許されず,食うまで居残りさせられるか,無理やり口に突っ込まれるかを繰り返された。まずかったとは言え給食のときにゲロを吐いた事,偏食がひどいことでさんざんルネは同級生にいじめられひねくれてしまった。
ルネの偏食は治るどころか悪化していく一方だった。
あるとき,ルネは自分が肉や魚を食べられないのは自分の偏食ではなくて肉や魚が自分達をたべないでとメッセージを送っているのではないかと思うようになった。
そこでルネは徹底した厳格なベジタリアンになった。
明らかに命のあったものと考えられる肉や魚はもちろん,小さな虫が付いているかもしれない根菜も食べず,一部の野菜や果物と,明らかに生物ではない牛乳やヨーグルトやクッキーだけを食べて生きてきた。
先述のとおり呼吸をするときも小さな虫を吸い込まないよういつもマスクを付けている。
虫一匹殺せない自分だからこそ人を裁くことができるのだとルネは信じていた。
「話は聞いたぜ」
いつの間にか星矢と瞬が追っかけて来た。
「お前はさ,自分の好き嫌いをいい方にとらえてそういう上から目線でいたんだよ。ばっかじゃねーの」
星矢にバカにされてルネが爆発した。
「お前に私の苦しみが分かるものか!」
するとカノンが言った。
「わからねぇーよ。確かに俺もガキの頃は好き嫌いが結構あったけど兄貴に無理矢理食わされてある程度は克服できた。だから俺も偉そうなこと言えねぇわ。でもな,好き嫌いがあるってえばれることじゃねぇよな」
「何だとっ。この私をコケにしたな!」
ルネが鞭を振るった。
カノンの腕に絡みつく。
「んなもん,俺に聞くかよ」
カノンは腕にくっついた鞭に指を添える。
すると指が光を放ち,鞭を引き裂いていった。
光は鞭からルネの体に飛び火して,破裂した。
「うぎゃああ」
倒れたルネに対してカノンは,
「せめてもうちょっといろんなものを食って骨を丈夫にしときゃあこんなことにはならなかったのかもな」
と言い,
「さぁてとっ,次はお前の番だぜぇ」
ラダマンティスを見ていた。
「さすが神をそそのかしたことのある最強のチンピラ,元シードラゴンのカノンだな」
「お?それは褒め言葉かい?まぁいいよ。とにかくお前にはハーデスの家まで案内してもらうぜ」
「いいだろう。ただし。…死体となってだがなっ。食らえ,グレーテストコーション!」
紫色の光が襲って来た。
しかしカノンは簡単にそれを回避した。
「あはは,ここはどうやらハーデス城みたいなせこい結界はないようだな」
「当たり前だ。ここはあの世だ。俺達冥闘士以外には亡者しか来ない。結界など必要ないのだ」
「ほーっ,そうか。じゃ10分の一くらいの力しか出せなかったムウ達3人を片付けただけで自信満々になってるあんたらは相当イタイな。ロープレとかでさ,低レベルの敵と戦って鬼のようにレベル上げばっかして俺強ぇとかゆってるやつとかわんねぇよ」
「なんだと」
「言っとくけど俺,ガチで強いよ」
カノンは手を組んでぽきぽき鳴らした。
「ふざけるなぁ!!」
ラダマンティスはカノンに殴りかかって来た。
カノンは指一本突き出した。
ところがカノンの指はラダマンティスの頭を軽くつついただけだった。
「ふんっ,お前の攻撃はその程度か」
「そうかな。よく見てみ」
カノンはへへへと笑った。
ラダマンティスは体が動かない事に気が付いた。
金縛りのようだ。
「くっ,何をした」
「幻朧魔皇拳。俺の兄貴が他人をコントロールする時よく使ってた。もちろん俺は兄貴から信用されていなかったからこの技を教えてもらえなかったからこっそり盗んで覚えたんだ。これはな,俺が殺せ,と命じた奴が死ぬまで解放されねぇんだ。すげぇだろう」
カノンは得意気だ。
このままカノンの一人勝ちに終わるかのように見えた。
そのとき,
「ラダマンティス様!」
と声がして,冥闘士が数人取り囲んだ。
気をそがれたカノンが振り返ったので,一時的にラダマンティスの封印が解けた。
「何の用だ」
「パンドラ様が今すぐジュデッカに来いとおおせです」
「今取込み中だ」
「しかし」
冥闘士は困惑している。
パンドラにラダマンティスを呼んで来なかったとして罰を受けるのが怖いのだ。
「…分かった。しょうがないな。すぐに行く」
ラダマンティスはためいきをついて,
「おい,カノン。勝負はお預けだ」
と自分が乗って来た赤いバイクにまたがった。
「しょうがねぇな」
カノンは頭をかいた。
いつのまにか周りの冥闘士達がカノンを引き止め取り囲んでいた。
「カノン,お前の相手は俺達がしてやるぜ」
「そうかよ。けど今の俺は先を急いでるからな。いちいちお前らの相手をしている間なんかあるとおもう?」
「何だと,ずいぶん生意気な野郎だな」
「よせ」
バイクに乗ったままラダマンティスが言った。
「お前らのかなうやつじゃない」
と,はき捨ててバイクのアクセルを吹かし,ハーデスの所へ走り去った。
同時に爆発音がして,冥闘士たちの体が吹っ飛んだ。
「いっちょうあがり」
カノンは手をはたいて笑った。
 
 
 
 
 
カノンによって送り出された星矢たちは次の場所に向かって歩いていた。
美術館のような建物らしく,中には古代の珍しい壁画や彫刻が並んでいる。
「これはきっと古代エジプトのものだね」
瞬が言った。
「知ってる。ふしぎ発見とかでみたことある」
星矢が言った。
瞬も星矢も勉強大好きというわけではなかったが,こうしていろいろと珍しい古代の壁画や彫像を見るとロマンのようなものを感じてしまう。
2人が小さな壷を眺めていると,突然背後から声がした。
「さてここでクエスチョンです。今目の前に入れる壷はなんのためにあるのでしょうか?」
と言い,ふしぎ発見の出題の時の音楽が鳴った。
その音楽はテレビと同じ音ではなく琴のようなもので奏でられたようだった。
「はぁ?」
星矢が振り返るとおかっぱ頭の整った顔だが生意気そうな少年が立っていた。
おそらく年齢は星矢達(現在の時点で星矢達は高校3年生)より,2,3歳くらい年下の,年相応の中背の男の子だ。
それでも一端の冥衣を着ている。手には不思議なハープを持っていた。
「お前誰だよ。どこのガキだ」
星矢が聞いた。
「僕はガキじゃない!冥闘士だ!天獣星スフィンクスのファラオだ。知ってるぞ,お前達が話に聞いた生きたままやってきた聖闘士だろ」
少年は返事した。
「よく知ってるじゃねぇか。なら俺たちの自己紹介はいらねぇ。手間が省けるぜ」
星矢は言い返した。
「僕達はアテナの聖衣を届けるためにこの先を急いでいます。お願いですからここを通して下さい」
瞬が頼み込んだ。
「急いでるの?そんなに急がなくていいじゃん。それよりさっきのクイズの続きをやろうよ。この壷はなんだと思う?」
どうやらこの少年はクイズに答えなければ放してくれそうにない。
「分かったよ。答えてやるぜ。これは多分,痰壷か肥壷かのどっちかだ」
星矢はめちゃくちゃなことを言った。
「正解は…」
琴を構えたファラオは言った。
「お前達の心臓を入れるのさ!!」
「なにっ!!」
「お前達はボッシュート!!」
ファラオは琴を静かに弾き始めた。
「バランスオブカース!!」
奇妙な音楽だった。
聞いたこともないようなそれでも不自然で不安定な不協和音だ。
「なんかこの曲好きじゃない」
瞬が言った。
「俺もだよ」
星矢が警戒して言う。
2人とも耳をふさぐが曲は頭蓋骨に響いてくる感じがした。
たまりかねた星矢が,
「ペガサス流星拳!!」
と拳を向けた。
しかしファラオの持つ弦は星矢の拳を簡単にはじいてしまう。
それどころかなんだか息が苦しい。
「瞬,なんだか息苦しくないか」
「うん」
息が苦しいというより心臓が躍った感じがしてひどく動悸がする。
「なんなのこれ」
「く,苦しい…」
星矢はやみくもにもがいた。
助けてほしくて手足をもがいた。
そのとき,星矢はあることを思い出した。
以前サガが心臓が苦しかった時,いつも飲んでいた薬があった。
それを飲めば心臓の発作はおさまるが,副作用で悪人になってしまうという。
星矢はサガの乱の後でサガが死後も二度と悪人にならないよう縁起を担いで自分がその薬を持っていたのだ。
聖衣の中に入れていたのだが,もうずっと忘れていた。
星矢は急いで薬を取り出した。
自分と瞬の分は十分ある。
「瞬,これを飲もう。サガの薬だよ」
「でもっ,それを飲んだら僕達は…」
「死ぬよりはましだ。俺は飲むぜ」
星矢は副作用が起こらないことを願って薬を飲んだ。
薬はのどを通ってすぐに効果を発揮した。
星矢は落ち着きを取り戻し,床にへたり込んだ。
「…星矢,大丈夫?」
瞬がのぞきこむとブツブツ言っている。
「…呪ってやる,みんな大嫌いだ…」
「どうしよう,副作用が出たのかな」
瞬がおろおろしていると,いきなり星矢が首を絞めた。
「きゃあ助けて」
「みんな殺してやるぅ…」
「誰か―」
そのとき,ファラオの不協和音に交じって美しい旋律が聞こえてきた。
それは脳に心地よい,ふわふわした気分になれそうな音楽だった。
その音を聞いた星矢はだんだん獰猛な顔が元の顔に戻っていき,瞬から手を離した。
「えっ,どういうこと」
ぐったりした星矢を支えながら瞬は周りを探した。
すると,すぐそばで,二十代前半くらいの水色の髪の青年が静かに銀の竪琴をひいていた。
「オルフェか」
ファラオは不快そうにオルフェを見た。
「なんで出てくるんだよ」
「つまらないいたずらはやめた方が君の為だ」
「あんたには関係ないよ」
ファラオも負けじと演奏をやめなかった。
二つの全く異なる音色が協奏を始めた。
当初は同じくらいの大きさの音色だったが,だんだんオルフェという青年の音色の方が大きくなり,ファラオの演奏は全く聞こえなくなった。
やがてオルフェの演奏は心地よい音だがだんだんはやくなり,激しい曲調へと変わっていく。
「ストリンガーノクターン!!」
耳をつんざく高音が星矢と瞬を襲った。
2人は必死に耳を押さえたが,それでも聞こえてくる狂った旋律に気を失ってしまった。
 
 
オルフェは演奏を終えると,ファラオに,
「子供だからって甘く見てもらえると思うなよ」
と一瞥を投げて出て行った。
オルフェは外に出ると,とぼとぼと歩き,冥界のスーパー,マックスバリュ第二プリズン店で買い物をして彼の目的地は麗しい花が咲く野原だった。
その野原のなかに木造平屋建ての家が一軒あった。
オルフェは引き戸を開けて中に入った。
「ユリティース,今帰ったよ」
家は六畳のお茶の間と四畳半の寝室と3畳ほどの台所と風呂とトイレがある質素だがこじんまりとして清潔そうだ。
オルフェは障子を開けてお茶の間を開けた。
お茶の間にはちゃぶ台の向こう側に金髪の美しい女性が座っていた。
そう,彼女はとても美しかったけれど,腰から下が石になってしまっていた。
「すぐしたくするよ」
オルフェはそう言うと,台所に行き,レジ袋から食材を出してきて調理を始めた。
どうやらカレーを作るようだ。
その頃,星矢と瞬は第二プリズンの外れた所に倒れていた。
ようやく目が覚めたが,一体何が起こったのか理解できなかった。
その時星矢が,
「どこからかカレーの匂いがするぜ」
と鼻を鳴らした。
「それじゃあこの近くに誰かいるのかな」
「ちょうどいい」
星矢と瞬はうなずいた。
「道を聞こう!」
「カレーを食べさせてもらおう!」
2人は同時に違ったことを言った。
瞬が呆れてため息が出た。
「でも俺腹減ったんだよ。カレー食いたいな」
星矢は先に走り出した。
カレーの匂いをたどると,美しい花畑に出た。
「あの家だよ」
星矢が木造の家をさした。
「行こう」
星矢は崖を滑り降りながら家に近づいた。
瞬も後を追った。
窓から2人は中を覗いた。
金髪の女性の背中が見えた。
星矢と瞬が窓にあまりにも顔をくっつけて覗いているので気配を感じて女性が振り返った。
「わ」
星矢はあわてて瞬の背中に隠れた。
「あなた達は誰?」
女性が手を伸ばして窓を開けた。
「勝手に覗いたりしてすみません。実は僕達道に迷ってしまって困ってるんです。僕達はアンドロメダの瞬とペガサスの星矢です。2人とも青銅聖闘士なんです。」
瞬が名乗った途端,女性の顔色が変わった。
「それではあなたたちはアテナの聖闘士なのね」
「えっ,お姉さん俺達聖闘士を知ってるの?」
星矢が瞬の背中から顔を出した。
「ええ。私はユリティースといいます。私はここに白銀聖闘士のオルフェと一緒に住んでいるんです」
「オルフェって水色の髪の二十歳過ぎくらいの男の人ですか」
瞬が聞くと,
「ええそうよ。彼に会ったの?」
「はい。彼によってここまで吹っ飛ばされました。何か事情があるのですか」
「そうなの。実はね,私はもともとオルフェと一緒に同棲していた普通の人間だったの。あの頃は毎日がとても楽しかったわ。でもあるとき,雨が降っていたので傘を持って駅まで迎えに行ったの。そしたらね,ちょうど雨で見通しも悪かったし車も多くて交差点で私は黄色信号を急いで通ろうとしたダンプカーにはねられて」
そこでユリティースは言葉を切った。
瞬も星矢もかける言葉がなかった。
それでも話は続く。
「オルフェは自分が傘を持って出かけなかったことをとても後悔したわ。それで私を生き返らせるんだって,生きたまま冥界に来て,ハーデスに私を生き返らせてくれるよう頼んだの。それでハーデスは何とか聞き入れてくれてやっと会えて地上に戻ろうっていうことになってハーデスは一つだけ忠告した。オルフェに私を連れて出て行く時朝がくるまで決して後ろを振り返ってはいけないって。だからオルフェは細心の注意を払って私を連れ出そうとしたんだけど,ようやく出口に近づいたときに彼は太陽を見てほっとしたの。そして私を振り返ったら,私の体はもう石になっていたの」
「太陽を見たはずなのに?」
瞬がおかしいなと思った。
「そう。太陽が確かにそこにあったのに消えてた。まだ夜は明けていなかった。だからそれから彼は石になった私と一緒に住むためにここに家を作って住んでいるの。もう何年もね。…でももういいのよ。お願いだから彼を地上に連れて帰ってほしいの。きっと嫌だって抵抗するけど,無理くりからでも連れて行ってほしい」
 
 
 
「ユリティース,誰と話しているんだい?」
ユリティースの後ろにオルフェが立っていた。
「オルフェ」
「さっきは良くも俺達を吹っ飛ばしてくれたな」
星矢はオルフェをにらんだ。
「僕だって好きでふっ飛ばしたわけじゃない。ああしなければ君達は確実に死んでいたと思う」
「なんだと?」
星矢は敵意をむき出した。
「星矢。落ち着いて。オルフェさん,さっきは僕達ふたりをファラオから助けてくれてありがとうございます。しかし僕達は急いでアテナのもとに聖衣を持って行かなくちゃいけないんです。でないとアテナはハーデスに殺されてしまうんです」
「それで?」
「それでって…地球はなくなってしまうんですよ。ハーデスのせいでめちゃめちゃになる」
「めちゃめちゃになるとは限らない。むしろ改善されるかもしれない」
「何を言ってるんだ。ハーデスがやることと言ったら地球規模の破壊活動とかそんなのくらいしか考えられないだろ。災害とか虐殺とかで人がたくさん死ぬんだぞ」
話を全然聞いていなかったはずの星矢が口出しした。
「人間なんて滅びた方がいいんだ」
オルフェはやけくそのようだ。
「ユリティースがひき逃げにあった時,警察は結局犯人を捕まえることはできなかった。駅前にはたくさんの人がいたのに誰もそのときのことを証言する人も居なかった。どいつもこいつも誰も助けてくれない。唯一のてがかりが蛇がリボンのように巻きついたようなな形のマークのついたダンプカーだというんだけどそんなもの見つかりはしなかった」
そこまで言われてしまっては星矢も瞬も返す言葉がないのだ。
そのとき,じっと立っている星矢に何かがぶつかった。
「痛っ!!」
星矢がびっくりした。
ぶつかったのはファラオだった。
ファラオは手にアテナの聖衣を持っていた。
「もらったぁー」
「あっバカ」
星矢はファラオを追いかけた。
「これがアテナの聖衣かぁ。これがなきゃ,いくらアテナでも手も足も出ないよね」
「こら返せ」
星矢がファラオに追いついて体を捕まえた。
「遊びは終わりだ」
星矢は平均的な日本人男子の体格だが,冥闘士とは言え,成長途上の華奢な少年など簡単に捕まえることができた。
「わっ」
星矢に体を掴まれてファラオは転んだ。同時にファラオの体から変わった形の懐中電灯が転がり出てきた。
「なんだこれは」
星矢が懐中電灯のスイッチを入れた。
すると,照らした先にある瞬の胸に太陽の絵が浮かんだ。
「せ…星矢!これ」
瞬が叫んだ。
「え?え?」
周りを見回すとオルフェもユリティースも真っ青になって顔がわなわなと震えている。
「貸して」
瞬が懐中電灯をひったくった。
スイッチを入れて空を照らした。
すると空にもう一つの太陽が浮かんだ。
「こういうことだったんだよ」
星矢は瞬の言っている意味が分からない。
「星矢,オルフェが見たのはこの懐中電灯の
光だったんだよ」
「それじゃあこいつがこんな悪戯をしたのか」
星矢がファラオを強くにらむ。
オルフェは真っ青な顔でファラオに声をかけた。
「ファラオ,どういうことだ。君がこれを使って僕らを地上に返さなかったのか」
「…だってだって。パンドラ様が言ったんだ!」
とうとうファラオは白状した。
2年前,実はハーデスがオルフェを地上に戻してあげると決めた日,パンドラはファラオを呼び出した。
「ハーデス様がオルフェをここにとどめておきたいと仰せです。それでお前に頼みがありますよ」
パンドラはファラオに懐中電灯を渡した。
「明日オルフェが女を連れて冥界の入り口まで歩いてきたらこのライトを空に向かって照らしなさい」
「えっ,これはなんですか」
「お前は詮索せずとも良いのです。だまって言われた通りにしなさい」
「はい」
当時ファラオは13歳で,冥闘士になったばかりで,まだ何も知らない子供だった。
ただそうしろと言われ,パンドラが怖くてやったのだ。
オルフェを困らせること,ユリティースを石に変えることになるとは夢にも思わなかった。
瞬の話を聞いてファラオは怖くなってがたがたと震えていた。
「この子も…何も分からなかったみたいだね」
瞬はため息をついた。
星矢が手を離したすきにファラオは飛んで逃げ帰ってしまった。
星矢が追いかけようとするのを瞬が止めた。
「だめだよ,星矢。あの子を叱っても何の解決にならない」
それよりも瞬はオルフェの様子が気になっていた。
オルフェはユリティースの体を抱いたまま,震えていた。
そのとき,携帯の着信音が鳴った。
どうやらオルフェの携帯だ。
オルフェがディスプレイを見て,
「パンドラ」
と喉の奥が引っかかったような声を出した。
瞬はジェスチャーをして電話に出るように言った。
「…はい」
『オルフェ,今日は金曜日ですよ。ハーデス様を囲んでの食事会をします。いいですね』
「…わかりました。うかがいます」
オルフェは携帯を切って言った。
「実は不定期で,パンドラはハーデスを囲み冥界の三巨頭達を食事会を開くことがある。僕はいつもそのときに琴の演奏をしている」
オルフェが言った。
その前にオルフェは星矢と瞬にもカレーをふるまってくれた。
腹ぺこの星矢はお代わりをして食べた。
オルフェは冥界には季節はおろか,夜が来ないので時間の概念がない。だから今日が何日か忘れないようにするために毎週金曜日の夕食は必ずカレーを作ることにしていると話した。
さすが毎週カレーを作っているだけあってオルフェが作ったカレーはとてもおいしかった。
「僕はこれから約束通りそこへ向かう。そしてハーデスをうつつもりだ」
「えっ」
瞬が驚いた。
星矢もスプーンをくわえて目を丸くした。
「今僕は決めたんだよ。僕が元の世界に帰れないのは自分のせいだったんだと勘違いしていた。でも本当は僕達が帰れないのはハーデスのさし向けた罠だったんだ。だったらもう帰れなくていい。せめてハーデスと刺し違えてでも僕はヤツと戦うよ」
「だめよ,オルフェ」
ユリティースは真っ青になって反対する。
「そうだよ,一人で無茶だろ」
星矢も言った。
「いいえ,行きましょう。そのかわり僕達も連れて行って下さい」
瞬が言った。
「僕達って…そうか。俺達もハーデスの所を目指してるんだもんな」
星矢が気付いた。
「気持ちは嬉しいけれどそうはいかない」
オルフェは悲しそうに言った。
「仮に君達に一緒に付いて行ってもらったとしてもハーデスは強大。僕は君達を犬死させたくないんだ」
「ハーデスに負けるかどうかなんてやってみなけりゃ,分からない。いずれアテナの聖衣を届ける時に出会うだろうから俺達もいずれはハーデスと戦わなくちゃいけないんだし。同じだよ」
星矢が負けずに言った。
「君たちがそこまで覚悟を決めていようともあと一つ問題がある。君達をどうやってジュデッカの中へ入れるかだよ」
「…なら僕の道を通らせてあげるよ」
いつの間にかおっかなびっくりのファラオが玄関先で立っていた。
「あの,オルフェ,このくらいのことで僕が許されるとは思ってないけど,せめておわびの印に…」
するとオルフェはにっこりとファラオの前に立ってほほ笑みかけた。
「ありがとう。力を貸してくれるのか」
「う,うん。でもその代わり頼みたいことがあるんだ」
「何?」
「…やっぱやめとく。無理かもしれないから」
ファラオはおかっぱの頭を背けた。
「それより,実は僕,以前自分の家からこっそりジュデッカの中へ入る方法を見つけたんだ」
「本当に?」
瞬が聞き返した。
「本当だよ」
「しょうもない嘘ついてるとどうなるかわかってんのか」
星矢も瞬もちょっと信じられない。
「本当なんだよう」
ファラオは泣きそうな声だ。
「僕はいつもここを通ってお菓子を…」
そう言いかけてファラオはあわてて口をつぐんだ。
「分かった。信じよう。星矢,瞬,君達は,ファラオについて行って秘密の道を通って行くんだ。僕はいつも通り正面からジュデッカに行く」
オルフェがさえぎって言った。
「オルフェ,やめて。いくらあなたでもハーデスに立ち向かうなんて無理よ。お願い,無理はやめて」
ユリティースが悲嘆した。
「ユリティース,分かってくれよ。男には行かなければならない戦いというものがある」
「勝てないかもしれないのに?」
ユリティースの言葉は胸に刺さった。
「…うん」
オルフェは返事した。
「僕はこの長い冥界の暮らしに終止符を打つことができるかもしれない。だったらそのわずかな希望にかけたいのだよ。今度こそ,君を自由にしたい。僕も自由になりたい」
そしてファラオを振り返ってから,
「ファラオ,早く頼む。時間がない」
と言う。
ファラオはうなずいて,
「こっちだよ」
と星矢と瞬を連れて第二プリズンの広間へ案内した。
ファラオは天井のエアコンのフレームを外した。
「ここからまっすぐ北へ行くとジュデッカの空調と繋がってるよ。そこもここと同じフレームが付いてるからそこを覗いて場所を確認すればいいよ」
「…本当に信用していいのかよ」
星矢はまだファラオを信じられない。
瞬も同じ気持ちだった。
「君,どうして僕達の手助けをしてくれるの?」
するとファラオは声をひそめた。
「…僕は冥闘士の中で一番年下なんだ。だから僕が自分のプリズンを持っていることが気に入らない人なんかもいて,嫌がらせされたりもするんだ。それと…自由になるお金が1円もない事かな。本当は月給がもらえているはずなんだけど,僕が未成年だからってパンドラ様が後見人になって僕の給料は僕が成人するまで管理することになってるんだ。僕がもらえるのは小遣いが毎月携帯料金と別で\3000だけ。これじゃ何も買えないし,毎日プリズン守ってるんだからもう少しほしいよ。20歳になるまであと5年,僕はずっとこのままだと思うとしんどいよ」
「まぁお前の年齢でも毎月\3000はきついわなぁ」
いつの間にか星矢も同情してうなずいていた。
「…だからさ,ちょっとくらい困らせても罪にはならないかな,そう思ったんだね」
瞬がやさしく言った。
「よし,それじゃあお前は俺達が戻ってくるまであのユリティースと一緒にいろ」
星矢がそう言って,ダクトの中へもぐりこんだ。
中はさほど狭くはなく,他のダクトともつながっているので暗くはなく,人一人が通るには十分な広さがあった。
 
 
その頃,氷河と紫龍は無事冥界に着いていた。
2人は偶然第3プリズンの入り口に着地したので,そこからは安全な道のりで進めた。
もともと紫龍と氷河は同じ区内のトップの都立高校に通っていて,学校内でも行動を共にすることが多い。
付近の案内板によるとこのまま進めばいずれハーデスのいるジュデッカに着きそうだ。
舗装されていない道を道なりに歩いていると,どこからか工事現場のような音がする。
すると目の前に大きな絶壁が広がり,そこは何かの建設予定地のようだった。
若い冥闘士たちがユンボを動かしたり,セメントを運んだり,重労働させられている。
紫龍や氷河よりも少し若い少年達で,みな泥だらけになって働いていて,顔も体も汚れている。顔色も良くない。
手押し車でブロックを運んでいた一人の冥闘士が疲労の為か倒れこんだ。
「あっしっかりしろ」
人のいい紫龍は倒れた冥闘士を助け起こした。
身なりは汚れているし,顔色も悪い。
「…うぅ,すまねぇ。急に足がふらついて」
「随分大掛かりな工事をしているがここは一体何ができるんだ?」
「ここはもうすぐハーデス様専用のスパが出来上がるんだ」
「スパってあの温泉とかいうスパか?」
「そうさ。けど予定より行程が遅れてるんで,パンドラ様のご機嫌が悪いんだ。だけど俺達が不眠不休で働いたとしてもとても間に合いやしねぇよ」
「…無茶なことをするなぁ」
「おいそこのお前,何をさぼっているっ」
大柄な現場監督らしき冥闘士がこちらに歩いてきた。
「ひぃっ」
弱っていた冥闘士は逃げ去ろうとした。
「待て。何でこんな無理な労働をさせる」
紫龍は義憤に燃えた目で大きな冥闘士をにらんだ。
「なんだお前」
「俺はアテナの聖闘士でドラゴンの紫龍。この先を急いでいる。通してもらいたい」
「なんだとぉ?」
大柄な冥闘士は目をぎょろりとした。
「だったらなおさら先には進ませられ
ねぇな。この天格星ゴーレムのロックがな!!」
「廬山昇龍覇!!」
いきなり現場監督ロックの体が吹っ飛ばされた。
ざわつく若い冥闘士達。
「あいつら,アテナの聖闘士だって言ってたよな」
「じゃあ俺達の敵なのか?こ,殺されるのか?」
「わ,分からねぇよ。けど…」
紫龍は冥闘士達が自分達を恐れていることに気付いた。
確かに冥闘士は自分達聖闘士の敵だが,彼らは自分達を恐れ,とても攻撃してくるような様子はない。
いや攻撃したくてももうできなかった。パンドラの命令でここにスパを建設するための労働に駆り出され,襤褸雑巾のようにこき使われて戦意は喪失だ。
紫龍はそのことに気付いて立ち止まる。
「こらー,お前らさぼってんのか!!」
現場監督はもう一人いたようだ。
こちらも大柄で威圧的な男だ。
「あんたもここの監督なのか」
氷河が聞いた。
「こんなアホな工事,できるわけないし間に合うわけないだろうが。考えたらわかるだろう。頭悪いのか?」
頭が悪いと言われてその冥闘士は腹を立てた。
図星らしい。
「なーにをっ,お前に何が分かる。この俺様天敗星トロルのイワ…」
「ダイヤモンドダストー!!」
「ぎゃぴー!!」
天敗星の冥闘士は名乗る間もなく氷河に倒された。
「他にもう現場監督はいないようだな」
紫龍が見回して言った。
すると目をつけられては困るとおびえたように若い冥闘士達は後ずさった。
「待ってくれ」
紫龍は挙手して彼らの注目を集めた。
「君達にもはや戦意がないのは見れば分かった。だから我々も君達を攻撃しない。約束する」
紫龍の演説は効果があった。
紫龍は今,学校内でも生徒会長をしているので,演説や説得はなれていた。
紫龍の15分ばかりの演説を聞いて冥闘士達はおずおずとしゃべりだした。
「それじゃあ,お前らは俺達を攻撃しないんだな」
「戦意のない者をおいうちをかけて攻撃するなど卑怯者の行為だ。我々はアテナの聖闘士だからそのようなことは絶対にしない」
紫龍の真面目な目を見て冥闘士達はうなずきあった。
「むしろ君たちもまたハーデスやパンドラの被害者ではないのか」
紫龍に優しい声で言われて彼らはいよいよ悲しそうな顔をした。
「…俺達冥闘士はさぁ,あんたら聖闘士と違って自らの意思でなるんじゃないのさ」
「それはどういうことだ?」
はじめて知る事実に紫龍は耳を傾けようとした。
「俺達冥闘士は全部で108人いるんだけど,みんなそれぞれ自分の魔星が宿命づけられている。だから生まれつきその運命を背負ったやつは個人の意思に関わらず冥闘士にならなきゃいけない。そしてみんな拉致同然でここに連れて来られるってわけ」
つまり強制的に冥闘士にさせられるということだ。
「そりゃ中にはラダマンティス様やアイアコス様やミーノス様みたいに特権階級の人なら生まれつき冥闘士になる運命があっても贅沢はしほうだい,威張り放題だけどさ。ほとんどは俺らみたいな下働きだよ」
「俺達ももとはちゃんとした人間なんだしさ,地上に帰りたいなぁ」
紫龍と氷河は若い冥闘士達の声を真面目に聞いていた。
 
 
その頃,星矢と瞬は無事にジュデッカのダクトまで近付いてきた。
星矢がダクトの中から下を覗いて誰もいないことを確認すると枠を外して下に降りた。
瞬も付いてくる。どうやらここはジュデッカの倉庫らしい。
ワインや缶詰が並んでいる。
そのとき,倉庫の扉が開いた。
隠れるところもなく身構えた2人だった。
扉に立っていたのは白衣を着た冥闘士だった。
「こりゃー,お前達,何をさぼっちょるか!!新入りのくせに大した度胸をしちょるな!!」
星矢が言い返そうとしたが瞬が袖を引っ張った。
「すみません」
瞬が素直に謝った。
「ちゃんと仕事に戻れいっ」
瞬と星矢はどうやら新入りの料理番の冥闘士に間違われたらしい。
2人は帽子とマスクと白衣を着せられ,台所の隅っこに連れて来られた。
「ほれっ,きりきり働けぃ!!」
白衣の冥闘士は2人に怒鳴りつけると出て行った。
「星矢,これは好都合だよ」
「なにが」
「分からないの?あの人は僕らのことを自分たちの仲間と思ってるみたいだし,白衣と帽子とマスクのお陰で顔も隠せる。うまくいけば簡単にハーデスの前に出て来れるよ」
「おおそうか」
それからは2人とも冥闘士の料理長に命令されて仕事を手伝った。
広い厨房にはほかに下働きの若い冥闘士がたくさんいた。
お盆を拭いていた瞬は聞き耳を立てていた。
「全くやんなるよなぁ」
「俺達なんか残り物ばっかりでさ」
「俺達なんか同じ冥闘士なのにこの扱いはあんまりだよ。いくら運命づけられた魔星だからってこんな差別はねぇよなぁ」
「ハーデス様もパンドラ様も俺たちみたいな下っ端は生きようが死のうがどうでもいいってこった」
「ひどいよなぁ」
星矢と瞬は思わず目配せをしあった。
どうやら若手の下働きの冥闘士達はハーデスやパンドラにあまり忠誠心がないらしい。
確かに奴隷のようにこき使われては不満がない方がどうかしている。
「そういえば,さ,なんかアテナの聖闘士がこの冥界にもぐりこんでるそうじゃないか」
瞬と星矢はドキッとしていたが自分達の正体がばれたわけではないのでじっと押し黙っていた。
「まじで?じゃいよいよ聖戦が始まるわけ?」
「そうじゃないの」
「もしそうなったらどうなるのん?もし聖闘士が勝ったらどうなるんだ?」
「まさか。ハーデス様がアテナなんかに負けるわけないだろうが」
「…けどさぁ,ここだけの話いっそアテナの聖闘士が来てここをめちゃくちゃにしてくれたらなぁって思わない?」
「…大きな声では言えないけどな」
星矢は冥闘士達の話を聞いて,人の上に立つ人物にはやはり人格者でないとだめだなぁと思っていた。
かつて,サガが教皇だったシオンを殺害して自分が取って代わった時,あえてその事実を知ってまでサガを守ろうとした黄金聖闘士がいたし,聖域で働く一般職の職員もサガのことをとても慕っていた。
サガが亡くなった時,サガの起こした騒動の顛末を知っても誰もサガのことを悪く言うものはいなかった。
実際,サガは聖闘士として決してやってはいけないことをやったが,それでも聖域の経営者としては神話の時代より最高の人物だったと言われていた。
それはサガが聖闘士や職員に十分な給料を与え,好待遇で働かせていたからだった。
サガは自分のもとで働く者たちをとても大切にしていたし,付近の市民にも優しい教皇様としてとても慕われていた。
実際に,星矢も修業時代はサガのお膝元の
聖域にいたが,もちろん訓練は厳しかったが,ひもじい思いはしたことがないし,寮はちゃんと個室の清潔な部屋だったし,昼間は普通に学校に行かせてもらえた。
元々児童福祉施設で育った星矢には贅沢すぎる待遇だった。
だから自分が聖域へ送り込まれたことへの不満もすぐに消えた。むしろここへ送られたことに感謝しているくらいだった。
そういったライフラインや待遇をしっかり考えていたのがサガだった。
所がパンドラは自分とハーデス,それと一部の冥闘士のことしか考えず,その大部分を占める名も無き若い冥闘士達のことなど何も考えていない。
これではとても慕われない。
もちろん,みんな暴君が恐ろしいから表向きは忠実に従うだろう。だけど心の中はどうだろうか。
不満や不信でいっぱいではないだろうか。
そうなると表向きはハーデスとパンドラが怖くて抵抗はしなくても忠誠心は下がり,統率もばらばらになってしまうのではと思う。
 
 
 
 
ハーデスの間では週に一度の晩さん会が行われていた。
演奏家のオルフェが呼ばれて入って来た。
「パンドラ様,ハーデス様の御姿が見えませんが」
「構わずとも良い。すぐにおいでになる」
命令されてオルフェは琴を奏でた。
ところが,演奏していてふと顔を上げると,天幕の向こうの玉座に確かに人の影がある。
驚くのはそればかりではない。玉座の前の前菜も空の皿になっている。
気配もなく玉座に現れ,生うにを平らげている。
オルフェが目をそらしたのはほんの数秒。
そして今,身じろぎもせず座る影,ハーデス
 
天幕を下されたハーデスの玉座の前には料理が並び,またこちら側のテーブルには上座からパンドラ,冥界3巨頭の順に席に着いていた。
冥界3巨頭とは一人はラダマンティスはもうご存じだろう。
金髪の背の高い青年だ。
彼以外のもう二人も三巨頭だ。
一人はラダマンティスよりも背が高く,黒髪で,陽気な表情の青年,天雄星ガルーダのアイアコスだ。
そしてその隣にいたのは,全身を真っ黒なゴシックロリータファッションで包んだ,小柄な天貴星グリフォンのミーノスだった。
ミーノスは自分と同じ服装をした人形を後生大事そうに抱える。
優雅な夕食会だった。
オルフェの演奏をバックにしてもっぱらよくしゃべるのは天雄星のガルーダのアイアコスである。
彼は冥闘士とは思えないくらい性格は陽気で雄弁だ。
はやりの芸能界のニュースからスポーツの話題までまんべんなくしゃべる。
どうやらこれも一つのならわしで,地上のことや最近のニュースを聞くのもまた,ハーデスにとって楽しみだという。
ハーデスは何も話さずじっとしているがアイアコスの話は聞こえているらしい。
ラダマンティスとパンドラはアイアコスのおしゃべりに時々相槌を打ったり突っ込みを入れたりして会話をするけれど,ミーノスは一言もしゃべらない。
自分の隣に大事な人形を座らせて,人形の口に料理を運んでいる。
もちろん人形は食べたり飲んだりできないので,人形の口にあてられた料理はそのままミーノスの口に入る。
今日の料理のメインは大間のマグロの刺身で,一番おいしい中トロとカマはハーデス様に献上される。
ハーデスは魚が好物で大間のマグロが何よりもお気に入りだ。
刺身の次は寿司の盛り合わせだ。
寿司の桶を運んできたのは白衣に帽子の瞬と星矢だった。
オルフェは分からないよう目だけで挨拶した。
二人も挨拶を返した。
寿司桶は全部で5つある。その中に一つだけ模様の違う寿司桶がある。
「おっとそれはラダマンティスのだ」
とアイアコスが言った。
ラダマンティスは実は辛いものが苦手でラダマンティスの寿司にはワサビが抜いてあるのである。
パンドラは寿司桶を一つ取り,ハーデス様へ献上した。
オルフェは琴を演奏しながらその後ろ姿を見て全ては予定通りだと思った。
寿司に付いているガリの中に睡眠薬を混ぜてある。
以前よく眠れないユリティースの為にオルフェが冥界の医者に処方してもらったものをため込んでいたのだった。
それをオルフェは瞬と星矢に渡して分かりにくい所に混ぜるように言った。
そこで瞬がたまたま寿司にがりを盛る役を命じられ,色も分かりにくいガリの中につけ込んだ。
寿司を食べているうちにおしゃべりなアイアコスも黙りこくり,パンドラも無言で,もともと無言のミーノスも人形に食べものを運ばなくなった。
どうやら全員ガリの睡眠薬にかかったらしい。
ハーデスをうちとるなら今だとオルフェは心に決めた。
「いまだ」
オルフェが琴の音を攻撃の為に変えるその瞬間,何者かに吹き飛ばされた。
倒れたオルフェが頭を押さえて振り返るとラダマンティスが立っていた。
「な,なんで…」
そう,先ほども言ったがラダマンティスは辛いものが苦手で寿司もわさび抜きを食べるくらいだから当然ガリなんて付けない。
つまり初めから睡眠薬入りのガリなど食べない。
「…食い物に何か混ぜたな。けど俺にはきかなかったようだぜ」
ラダマンティスは得意そうに言った。
「だとすれば多分ワサビかガリだな」
どうやら頭も悪くないらしい。
オルフェは悔しそうに歯を食いしばった。
そのとき,瞬が白衣のポケットからタバスコ缶を出してラダマンティスの顔めがけてタバスコを振りかけた。
プシャー!!
「ぐお!!目が!!」
ラダマンティスは目を押さえてのたうちまわった。
オルフェはそのチャンスに乗じてハーデスのカーテンをはぎ取った。
「ハーデス!!お命ちょうだい!!」
カーテンの向こう側にいるハーデスはオルフェなど気にもかけずにナフキンで口を拭っている。
カーテンの向こう側に入ったオルフェは驚いた。
さっきまでそこにいたはずのハーデスがいない。
星矢と瞬も驚いた。
ぽかんとしているオルフェをラダマンティスがグレーテストコーションで吹き飛ばした。
「この野郎,捕まえたぜ。早くパンドラ様とアイアコスとミーノスを元通りにしやがれ」
ラダマンティスは後ろから羽交い絞めにしてきた。
オルフェは苦しそうに頭を振った。
そのときなぜかラダマンティスの手が一瞬緩んだ。
それはたまたまオルフェの髪の色が珍しい水色の髪だったからだ。
顔も体型も性別も違うのにラダマンティスは一瞬だけ水色の髪からアフロディーテの後ろ姿を思い出してしまったからだ。
どういうわけかこれはチャンスと一瞬のすきを突いた星矢がラダマンティスにいきなり飛びかかった。
「食らえっ!!」
星矢はラダマンティスの鼻の穴にワサビのチューブを突っ込んでありったけの握力でそれを握りつぶした。
「○△□!!(言葉になっていない)」
ラダマンティスは目から滝のような涙を流して気絶した。
オルフェは慌てて星矢達のもとへ走った。
「ありがとう」
オルフェは星矢に礼を言った。
そのとき,
「オルフェ!!」
と声がする。
振り返ると天獣星スフィンクスのファラオだった。
「オルフェ,これだよ!!」
ファラオは注射器のアンプルを持っていた。
「それは?」
「石化病のワクチンだよ」
これをユリティースに接種すればユリティースは元の体に戻る。
「ジュデッカの医務室で探してきたよ」
ファラオは言った。
「ありがとう,ファラオ」
「ううん,僕も知らなかったとはいえあんなことしたわけだし」
だがファラオはアンプルを握ったままだった。
「…何?」
「これあげるから…一つだけ僕の頼みも聞いてほしいんだけど」
「何でも言ってくれ。僕にできることなら」
オルフェは感極まって言った。
「それじゃ言うけど…僕もここから出たい。もうここの生活は嫌なんだ。外の生活はここより大変かもしれないけど…僕も僕ももう冥界はいやなんだ!!」
幼い冥闘士は声の限りに訴えた。
「…そうだったのか」
オルフェは微笑んだ。
「お安い御用だ。一緒に行こう」
ファラオに向かってオルフェは兄のように手を広げた。
「オルフェ,もうハーデスは俺たちに任せろ。あんたはユリティースとこのガキと一緒に地上の安全な所へ逃げた方がいい」
星矢が言って瞬も頷いた。
オルフェはここから星矢達に頭を下げ,ファラオと一緒にユリティースの待つ所へ戻った。
 
室内は気絶しているラダマンティスと眠ったままのパンドラとアイアコスとミーノスしかいない。
「ハーデスはどこへ行ったんだ」
星矢が瞬の方を見ると,瞬が黙っている。
「瞬?」
星矢は瞬の顔の前で手を上下させた。
しかし瞬は反応していない。
「おいっ」
星矢が声をかけると,
「ワレ,ペガサスの聖闘士か?」
と瞬の声だったが瞬とは思えない台詞が聞こえた。
「は?」
星矢は瞬がおかしくなったと思った。
「控えんかい。ワシはハーデスじゃ」
びっくりして星矢は瞬の体から飛びのいた。
瞬はそのままラダマンティスの所まで歩いて行き,
「こらラダマンティス,ワレ,なにしとん。起きんかい」
とたたき起した。
声を聞いてラダマンティスははっとして顔を上げた。
「この声はハーデス様。なぜハーデス様がアンドロメダの姿を」
「…何を言うとるんじゃ。ワシがハーデスじゃけぇ。ワレ,早よあの青銅のガキをつかまえんかえ」
星矢は驚きのあまり案山子のように立っていた。
「瞬がハーデスでハーデスが瞬?嘘だ,俺は嫌だ」
ぼーっと突っ立っている星矢の後ろにラダマンティスが回りこみ,星矢を殴って気絶させた。
 
 
ラダマンティスは大急ぎでパンドラとアイアコスとミーノスを起した。
アイアコスはアテナの聖闘士のアンドロメダがいまだハーデスの体のよりしろだったとは信じられないと言った。
ラダマンティスもそうだと思った。
ミーノスは人形を抱いたまま黙ってハーデスの姿ばかり見ていた。
 
ハーデスはアンドロメダの聖衣を着替えてゆったりとしたパジャマとガウンで自分の玉座に座っていた。
「さあさあお前達」
パンドラが出てきて,
「いつまでこんな所で油をうってるんです。さっさと自分の持ち場に戻りなさい」
と叱りつけた。
パンドラに怒られた三人は何か消化不良のようなものを感じながら出て行った。
ハーデスがパンドラに目で合図をした。
パンドラは,
「ああ申し訳ありません。ただいまご用意いたします」
と奥の部屋に戻り,木箱を持って来た。
ハーデスの前にかがむと,木箱を開けた。
中にはキューバ産の高級葉巻が詰まっている。
パンドラはハーデスに葉巻をくわえさせるとライターで火を付けた。
ハーデスは大きな煙を吐くと,
「落ち着くのう」
と一言だけ呟いた。
無表情だがご機嫌なのがよく分かった。
 
 
その頃,紫龍と氷河はジュデッカを目指して歩いていた。
目の前にジュデッカと看板がある建物があった。
「これがジュデッカか?」
氷河が言ったが紫龍は首をかしげた。
「どうも俺は違うと思う」
「俺もそう思う」
2人は言った。
なぜならジュデッカと看板にはあるが,安普請のビルで,看板もどぎついピンクで書かれている。
「じゃここは一体何なんだ」
紫龍が言って,先に中に入った。
入口には若い女性の写真がたくさん貼ってある。
「なんだここは」
紫龍はいぶかしいと思った。
自動ドアが開いて,中は豪華なロビーになっていた。
「いらっしゃいませー。ジュデッカへようこそ―」
髪を盛った派手なドレスの女性達が集まって来た。
「こちらご利用初めてですかー?」
紫龍は,
「どうやらここは本物のジュデッカではなさそうだ」
そう,ここはジュデッカという名前のただのキャバクラだった。
「出よう」
紫龍が言って氷河がうなずいた。
そのとき,奥の席で何かキラキラ光る見たことのあるものがあった。
それは双子座の黄金聖衣で,それを着たカノンがへらへらと酒を飲んで女の子と笑っていた。
「カノン!!」
驚いて紫龍はカノンのテーブルまで歩いた。
「おう,お前らか」
カノンはだいぶたくさん飲んでいて酔っ払って完全にへべれけで真っ赤だった。
「こんな所にいて何をしているんだ」
紫龍はカノンとは違う意味で真っ赤な顔で怒った。
「何って…ジュデッカに来てるんだ」
カノンはニコニコとして言った。
「ここはただのキャバクラだ」
氷河が呆れて言った。
「そうとも言うなぁ…お前らも座れや」
カノンはご機嫌だったが紫龍のご機嫌はますます悪くなるばかりだった。
「こんな所で油をうってるなんてどういうつもりだ」
「いやさぁ,俺もさ,まじめにジュデッカ目指してたのよ。そしたらジュデッカって看板があるからさ,入ったらこーなっちやったってわけ」
なにがこーなっちゃっただ,と紫龍も氷河も
思った。
「いい加減にしろっ」
紫龍がそばにあったワインクーラーのバケツをカノンの頭の上でひっくり返した。
冷たい氷と水がカノンの頭を直撃した。
「…うわっ,何しやがる」
カノンは頭を押さえて叫んだ。
カノンは紫龍をにらみつけたが,相手が涙を流しているのを見て口をつぐんだ。
「な,何も泣くことねぇじゃんかよ…」
カノンは思わず持っていた煙草の火を灰皿で消した。
「俺達は…あなたの兄上のサガから弟をよろしく頼みますと何度も頼まれているんだ。それなのにあなたは…これではサガに申し訳ない。せめて切腹してお詫びを…」
紫龍が聖衣を脱ぎ始めたのでカノンがびっくりした。
「わーっ,わーっ,早まるな。分かった,分かったよ」
カノンはしぶしぶ残りの水割りを飲みほして椅子から立った。
「行くよ,行きゃいいんだろう」
しぶしぶ紫龍と氷河の後ろから店を出ようとするカノンをある冥闘士が呼びとめた。
「お客様,お勘定です」
「ん,そうか。いくらだ?」
カノンが財布を出して伝票を見て絶句した。
「\43万?ここはボッタクリバーか!!」
カノンが叫んで冥闘士を見た。
「フフフ,お前らアテナの聖闘士だな。俺はこの第4プリズンの守護者にしてこのキャバクラジュデッカの店長,天罪星リュカオンのフレギアスよ!!」
「ならちょうどよかったぜ,ここを通らせてもらう!!」
紫龍がフレギアスへ突っ込んだ。氷河も続く。
「廬山昇龍覇―!!」
「ダイヤモンドダストー!!」
するとフレギアスは片手ずつ2人を止めてしまい,
「うちは未成年は入店禁止だ,ハウリング・インフェルノー!!」
と店の外へ吹き飛ばした。
残されたカノンは,
「俺の連れに何しやがんだ」
と怒りだした。
「そうらお前もすっとべ,ハウリング・インフェルノ!!」
しかしフレギアスの目の前にカノンはいない。
「バカだろ,お前」
カノンはフレギアスの後ろに立っていた。
「ギャラクシアンエクスプロージョン!!」
ものすごい重力でフレギアスはミンチになった。
カノンは棚から酒瓶を失敬すると,それを片手に外に出た。
そして紫龍と氷河を助け起こして,
「さあ行くぞ」
と言った。
紫龍はいくら敵の店の物でも勝手に酒をもってきたことを指摘したがカノンは気にせず,
「いいじゃん。これは今から俺が動くためのガソリンなんだからよ」
と言った。
紫龍はブツブツ怒ったが氷河はまあまあとなだめた。
「…昼間から酒かよ?結構な御身分だな」
と,頭の上で声がした。
すると,冥衣を着たラダマンティスが座っていた。
「お前ら,俺の部下をことごとく殺してくれちゃったんだって?」
ラダマンティスが言った。
「仕返しさせてもらうぜ。というか俺は絶対にお前を倒すって決めたんだ」
「紫龍,氷河」
カノンは声をかける。
「お前らは先に行け。俺はこいつとかたをつける」
氷河は何かを言おうとしたが紫龍はそれを止めた。
「行こう,氷河。我々にも別件がある」
紫龍と氷河がいなくなったところでラダマンティスは手を掲げた。
「しかしお前らも大変だよなぁ。お前らの味方のはずのアンドロメダがハーデスだったんだからな」
「何だって?」
カノンが眉をひそめた。
「グレーテストコーション!!」
しかしカノンはいとも簡単にラダマンティスのグレーテストコーションをはじいてしまった。
「何だこの程度か」
「それじゃ次は俺のターンだ!!ギャラクシアン・エクスプロージョン!!」
カノンの打ち出したすさまじい重力にラダマンティスは叩きつけられた。
「くっそう」
ラダマンティスはこんな遊び人のチンピラみたいな男にいとも簡単にやられたかと思うと悔しかった。
そのとき,
「おいおい大丈夫かよ」
と明るい声がした。
冥衣を着たアイアコスとあいかわらず人形を持ったミーノスがいた。ミーノスは人形に自分とお揃いの冥衣を着せている。
「助けてやろうか,俺とミーノスで」
「待て,そいつは俺の獲物だ」
ラダマンティスが言おうとしているのに,アイアコスは無視してカノンのほうに歩いてきた。
そしてゆらゆらと手を動かした。
「ギャラクティカ・イリュージョン!!」
「うわっ」
ひどい頭痛がカノンを襲った。
カノンはあまりの痛みに倒れてしまった。
「なーんだ,たいしたことねぇじゃん」
アイアコスが言った。
「てかお前こんな奴にてこずってたの?らしくねぇじゃん」
ラダマンティスは答えられなかった。
ラダマンティスがどうしても自分でカノンと勝負したいと思うのは理由があった。
ラダマンティスは高校時代,ボクシング部に所属していてユースのウェルター級のチャンピオンになったこともある。
もちろんラダマンティス自身の天性の才能もあるが,普段からもうずっと苦しい特訓に耐えてここまできたのだ。
それなのにあっさりと不良でチンピラのカノンにあっさりとやられるのが悔しかった。
カノンの野良犬のような我流喧嘩殺法は絶対に認めたくないのだ。
「…」
その様子を黙って見ていたミーノスが歩いてきた。
そして抱いていた人形の手足を引っ張った。
すると信じられないことが起こった。
「え?え?」
カノンの手足が人形と同じように動くのだ。
ミーノスが人形をぐるぐる振り回すと,カノンの体も空中をぐるぐるまわった。
カノンは目が回る。
酒をたくさん飲んでいたのでとうとうカノンは気分が悪くなって飲んだ酒を全部吐いてしまった。
無表情のミーノスが初めて愉快そうに笑った。
「そうか,ミーノス面白いか」
アイアコスも珍しくご機嫌なミーノスを見て自分も気分がいい。
「ミーノスのコズミックマリオネーションは,ミーノスが人形を動かせばそれと同じポーズを取らされるんだ」
つまりミーノスが無茶な方向に人形をひねったりすれば操られた人間も無茶なポーズを取ることになる。
ミーノスが人形を高くほうり上げた。
するとカノンの体も高く空へ飛んで地面に激突した。
ミーノスは声を出さずに笑った。
それは幼い子独特の残酷さだった。
「…くっそう,俺様をおもちゃにしやがって」
カノンは怒りにうちふるえていた。
「よかったな,ミーノス,いいおもちゃができて」
アイアコスはゆかいそうにミーノスの肩をぽんぽんと叩いた。
実は実際の年齢はアイアコスよりもミーノスの方がずっと年上なのだが,まるでアイアコスは,ミーノスを小さな妹のように可愛がっている。
「コラッ,そこのメスガキ!いたずらはほどほどにしとけよ!!」
と,まるでさとすような力強い声がした。
びっくりしたミーノスはアイアコスの後ろに隠れて怖がりぴぃぴぃ泣いた。
その泣いた声はとても少女の声ではなく,大人の男性の声だった。
そう,実は美少女のような外見のミーノスは大人の男性だった。いつも言葉を話さないのは,しゃべれないのではなく,声を出せば大人の男性だと分かってしまうからである。本人はそのことをコンプレックスにしているのでアイアコスとラダマンティスの前以外で言葉を話さない。ところが突然怒られたのでびっくりして声を上げて泣いてしまった。
自分より年上でしかも男性だが妹同然の扱いのミーノスを泣かせたのでアイアコスは誰であろうとそんな奴許せないと思った。
「誰だお前」
アイアコスが声のした方を向くと,一人の背の高い男が現れた。
紺色のくせっ毛の,額に向う傷のあるその男は,そのすらりとした体を不死鳥の青銅聖衣に包み,ゆっくりとした足取りで歩いてきた。
「…一輝。フェニックスの一輝か」
頭を地面に伏せたままカノンが言った。
「遅くなっちまったが,なんとかここまで追ってきたぜ」
現在一輝は,高校生の瞬と2人で生活するため,昼間はいろいろなアルバイトをしながら生計を立てて,夜は大学の二部でジャーナリズムを専攻している苦学生だった。
「一輝,大変なことになった。…お前の弟がハーデスだったんだ」
カノンが一輝の肩を掴んで言った。
「は?なんだって?何の冗談」
一輝は意味が分からない。
「へぇ?お前もしかしてアンドロメダの兄弟なのか?」
アイアコスが話に入ってきた。
「いかにも。瞬は俺の弟だ。その瞬がハーデスとかわけがわからん」
一輝は憮然として言った。
「けど,それは本当だぜ。あのアンドロメダこそがハーデス様だったのだ」
ラダマンティスも言った。
「そんなことあるわけねぇだろ。あったとしてもあいつはガキの頃,一度コーヒーとかコーラとかのみすぎるとラリって自分は神だとか言いだして大変だったんだ。今回だってそうだ。だからいつも言ってるんだ。コーラはほどほどにしとけってな」
「俺が冗談など言うものか。パンドラ様がアンドロメダをハーデス様のよりしろとして選ばれたのだ」
すると一輝は胡散くさそうな目でラダマンティスをにらんで,
「だとしてもよぅ,瞬の事は返してもらうぜ。ここにいるあんたらを全員ブッつぶしてもな」
と言った。
一輝の目は三巨頭をギロリとにらんだ。
アイアコスが前に進み出た。
「いいよ。じゃ,俺がやってやる。さっきはよくもミーノスをびっくりさせてくれたなぁ」
ずいっと進み出たアイアコスに一輝は,
「うらうらうらぁー!!」
とつかみかかった。
しかしアイアコスはそれをひょいひょいと避ける。
「…てか遅過ぎ」
アイアコスはヘラヘラ笑った。
一輝はアイアコスのひらひらと避けるスピードに追い付く事が出来ない。
「それっ」
いきなりアイアコスは一輝の体を掴むと,
「ガルーダフラップ!!」
と天高く放り投げた。
一輝の体は空高く舞い上がり,一回転して地面に激突した。
「一発で死んだな」
アイアコスは愉快そうに笑って,ミーノスもさっきまで泣いていたことも忘れて一緒になって笑った。
しかしラダマンティスただ一人は笑っていない。
「笑っている場合か,見ろ」
ラダマンティスが指さした先に一輝の体がかすかに動いている。
「…馬鹿力か。痛かったぜ…」
一輝は起き上がってペッと血反吐を吐いてからアイアコスを凝視した。
「…まじで起き上った?嘘だろ」
アイアコスはもう一度一輝を放り投げた。
「今度こそ大丈夫だろう」
しかし一輝の体は落下して来ない。
「んー?ちょっと高く投げすぎたかなぁ」
アイアコスは頭をかいて言った。
すると,ミーノスが無言でアイアコスの袖を引っ張った。
「っ!!」
ドガッ。
背後から一輝の飛びひざ蹴りが飛んできてアイアコスが吹っ飛ぶ番だった。
「あーいってぇなー,この野郎」
アイアコスは頭をさすった。
「何度も同じ技が通じるわけねぇってことだ」
「くそっ,ならこれはどうだ,ギャラクティカイリュージョン!!」
「鳳凰幻魔拳!!」
二つの技が拮抗した。
倒れたのはアイアコスの方だった。
「そんな…俺のギャラクティかイリュージョンが聞かないとはどんな頭だ」
一輝はもともとその気の毒な環境がら慢性的な頭痛持ちだったので,普段からひどい頭痛に悩まされているので多少の脳味噌のゆさぶりなどどうという事はなかったのだ。
「…さぁて残るは2人か」
一輝は残りのラダマンティスとミーノスを見た。
ミーノスはかわいそうに完全におびえきっている。
そのとき,一輝の足もとが大きく口を開き,一輝はその落とし穴の中に落ちた。
その落とし穴はラダマンティスとミーノスも知らなかったらしく,2人はびっくりして顔を見合った。
一輝は落とし穴に足を取られ,滑り台のようなものの上に載せられた。そしてそのまま滑り台に滑らされてどこかへ落とされていくのだった。
何も見えず暗闇の中,一輝は曲がりくねった滑り台を滑り落ちて行った。
 
 
その頃,地上では魔鈴とシャイナが聖域を警備していた。
今は使われていない金網で蓋をした井戸の前を通った時,どこからか声がする。
声は井戸の中から聞こえる。
2人は目くばせし合って井戸を覗き込んだ。
「おーい。おーい」
井戸の中から呼びかけてくる。
魔鈴もシャイナも警戒して井戸に身を乗り出して声をかけた。
「お前は誰だ」
シャイナは暗闇に向かって怒鳴った。
「その声は蛇つかい座のシャイナかい?」
井戸の中から聞いたことのある声が聞こえた。
「私を知ってるの?そういうお前は誰だい」
「僕だ。僕だよ。君と同じ白銀聖闘士の琴座のオルフェだよ」
シャイナは自分と同じ白銀聖闘士で行方不明になっていた人間を思い出した。
「女子供も一緒なんだ。僕一人じゃ出られない。頼む,ここから引っ張り上げてくれ」
魔鈴は無言でその場を立ち去り,ほどなくして力持ちの青銅聖闘士を連れてきた。
力持ちの大熊座の檄や小獅子座の蛮が来てロープで引っ張り上げた。
オルフェは元の体に戻ったユリティースとファラオを連れていた。
「なんだ,このガキは冥闘士じゃないか」
シャイナがファラオの冥衣を疑わしそうに見た。
「大丈夫だ,この子は向こうでできた僕の弟分のようなもんだ。まだ15歳でね,瞬と星矢に怒られてもう悪さはできないよ。それより僕の話を聞いてくれ」
オルフェが言ったので,魔鈴が,
「しょうがない」
と言った。
「魔鈴」
シャイナがびっくりして魔鈴を振り返ると,
「いいじゃないか。オルフェが保証するって言うんなら。貴鬼の子守りでもさせれば私は助かるけど」
と魔鈴が言った。
オルフェは魔鈴やシャイナ,他の青銅聖闘士達に星矢達の事を話した。
「そうか,星矢達は無事にハーデスに近づいてるんだね」
シャイナは仮面をつけて表情は分からないが安堵しているようだった。
「うん,きっと彼らはやってくれるよ。僕にはそんな気がする」
オルフェは遠くかなたの空を見て言った。
 

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