いつか王子さまが


アフロディーテは二十歳を過ぎていたが,今でもお姫様に憧れる女の子だ。
ピンクのフリルのついた服が大好きで,お菓子が大好きで,お人形やぬいぐるみが大好きだ。
そんな彼女がやはり興味があるのは白馬に乗った王子様だ。
周りにはたくさんの男性がいるが,とても自分の王子様とは思えるような人はいなかった。
だからこそアフロディーテはもうずっと前からまだ見ぬ王子様を待っていたのだ。
そんなとき,シベリアで聖闘士の教師をしていたという水瓶座の黄金聖闘士が聖域に帰って来るという。
聞くところによるとクールで知的な美青年とのことだ。
 
「ねぇねぇ,今度水瓶座の黄金聖闘士の人が新しく来るのよね?」
アフロディーテはシュラと向かい合って座っていてそんなことを言った。
「お前先日からその事ばかり気にしてるじゃないか」
「だって隣に 来る人だもの。どんな人か気になるわ」
まるでアフロディーテはその人こそが自分の王子様だと言わんばかりの様子だ。
「まあ分からないでもないけど」
「シュラは会ったことがあるの?」
「ああ。シベリアで教師をする前は少しの間ここにいたからな。品行方正な青年だよ」
「そう」
「気になるんだったらミロに聞いて来ればいいよ。確かミロと大親友らしいから」
「えぇ?ミロと?」
「なにも嫌そうな顔しなくてもいいじゃないか」
「だってミロと友達でしょ?チャラい遊び人風じゃないの」
「そんな風には見えなかったけどなぁ」
「もう,いい。私聞いてくるし」
アフロディーテは椅子から立ち上がると,天蠍宮に向かって階段を降りた。
「何をあんなにカリカリしてるんだろう」
シュラは不思議そうだった。
 
ミロはいきなり現れたアフロディーテに驚いたが,
「カミュのこと?うん,友達だよ。いいヤツだよ」
と言った。
「だからそれだと意味不明なのよ。女の子が同性の友達を紹介する時にいい子だからって言う子はたいていそんなに可愛くないでしょう。それと同じなのよ。つまり必殺遊び人の貴方がそんなにイケメンで性格のいい人を友達にするわけがないのよ」
ミロはアフロディーテが何をそんなに気にしているのかが分からなかった。
「そんなに気になるんなら写真あるけど見る?」
と,ミロは写真を出して来た。
「友達の結婚式の写真なんだけど」
写真には,ミロと他に3,4人の友人達がvサインをして写っていたが,確かにアフロディーテの言う通り,ミロ以外にそこそこ端正な顔立ち,というのもいない。
ミロの後ろでテーブルに座って胸に布ナプキンを付けてひたすら料理を食べている長髪の美青年がいたが,顔がカメラの方を向いていないので関係ないだろう。
むしろこの美青年についてアフロディーテはいろいろ知りたいことがあったが,案外ミロの知らない人かもしれない。
 
いずれにせよミロと一緒に写っておりこのお世辞でも美形と呼べない誰かのうちの一人が水瓶座の黄金聖闘士なのだ。
どの人がそうなのかも聞く気すら起こらない。
「…ありがとうもういいわ」
アフロディーテはミロに写真を返してがっくりと肩を落として帰った。
 
双魚宮に帰って来ると,なんだか失望で,だらりとしてしまった。
ソファーに寝っ転がってテレビを見ながらお菓子を食べたり雑誌を読んでいた。
割とよく当たるという定評のあるクーポン誌ホットペッパーの巻末の十二星座の占いのコーナーで,魚座の恋愛運が最高になっていて,『新しい出会いが君の運命を変えるかも』と書かれていた。おまけにラッキーアイテムは『カーテン』とのことだ。
―馬鹿にすんじゃないわよう。
アフロディーテはホットペッパーをゴミ箱に投げた。
ブラッディローズを正確に投げられるアフロディーテだから,投げた雑誌もど真ん中ストライクでゴミ箱の中に入った。
 
 
テラスから,外を見ると宝瓶宮にシュラがいる。
「何をしているの」
アフロディーテが傍まで寄ってきて声をかけると,
「明後日の朝にカミュがここに着くんだ。いい加減草ボーボーだからきれいにしてやらないと」
と,エクスカリバーで雑草を刈っていた。
玄関にはシュラが運んだのか,引っ越しの荷物が丁寧に積み重ねられていた。
「何でそこまで親切にしてあげるの」
「そりゃ隣同士だしな。同じ黄金聖闘士だし,
仲良くしないとだめだ。カミュが来たらたとえお前好みの顔でなくてもちゃんと最低挨拶くらいはしなさい」
シュラはまるでアフロディーテの考えていることが分かっているかのように言った。
「分かりました。挨拶くらいはします」
とアフロディーテもぷいと顔をそむけて双魚宮に戻った。
 
2日後。
ミロがカミュを迎えにアテネ空港に行ったという。
でも自分には何の関係もないとアフロディーテは思った。
昼前にアフロディーテは一度デモンローズの手入れをするために教皇の間へ続く階段に向かった。
そのとき,教皇の間から黄金聖闘士が一人出てきた。
多分,今朝戻って来た水瓶座の黄金聖闘士だ。
「…しかたない。あいさつくらいはしないとね」
アフロディーテはそう思って立ちあがった。
「…あら?」
教皇の間から降りてきた水瓶座の黄金聖闘士はアフロディーテが写真で見た人物達とは全くの別人で,手足のすらりと伸びた海色の長髪の美青年だった。
その美しさは,どちらかというと洗練された知性的で上品なものだ。
そういえばシュラが『カミュはシベリアで聖闘士の教師をしていた』といっていた。
それではミロが見せた写真は間違いだったのだろうか?
いや,確かにそこにカミュは写っていた。
ミロの後ろで一心不乱にごちそうを食べていたあの美青年だ。
なんと言う誤算。しかし悪い誤算ではない。
むしろ予定通り『王子様』はやってきたのだった。
 
何か言葉を掛けようかどうしようかもじもじしている間にカミュはどんどん通り過ぎて行ってしまった。
―どうしよう,彼が行ってしまう。
カミュの背中がだんだん小さくなってとうとう宝瓶宮の中に入ってしまった。
 
どうしようかと悩んでいるとシュラが磨羯宮から出てくるのが見えた。
「どこに行くの?」
「カミュの引っ越しを手伝おうと思って」
「私も手伝うわ」
「いいよ。お前は重労働なんてしなくていい」
「あら,細かいお掃除なんかだと女性の方がいいんじゃないのかしら。待ってて」
と,アフロディーテは双魚宮からバケツと洗剤とゴム手袋を持って出てきた。
「さあ行きましょう」
やたらとうきうきするアフロディーテを不思議そうにシュラも見ていたものの,先に立って歩き出した。
アフロディーテはまるで舞踏会に行くシンデレラのようにうきうきとした足取りだった。
宝瓶宮のテラスにガラス越しにカミュの横顔が見えた。
間違いない,あの人だと思った。
カミュは気が付いてテラスの窓を開けた。
「後であいさつに行こうと思っていたんだ」
カミュが声を掛けてきた。
優しそうなそれでいて物静かな品のある声だった。
そしてちら,とアフロディーテの方を見た。
その美しく優雅な容姿はさることながら,その目は透き通った海色で,優しい光をたたえているのに,まるで弓矢のように鋭い視線だ。
吸い込まれる瞳,というのはこのような眼光を持つ目のことを言うのだろうか。
「あの…」
アフロディーテは完全にその視線に言葉を奪われてしまった。
「こいつはアフロディーテ。年は俺やお前と同じだが,俺にとっては妹みたいなもんだ」
シュラが代わりに紹介した。
カミュは頭をかしげて,
「よろしく」
と白い糸切り歯を見せて微笑んだ。
「…っ」
アフロディーテは小さくなってうつむいた。
「それじゃ,お邪魔するぜ」
シュラは靴を脱いでテラスから上がりこんだ。
アフロディーテも置いてきぼりにされたら困ると思って急いで後に付いてサンダルを脱いだ。
白雪姫は王子様の白馬に乗せられて王子様のお城に連れて行かれ,そこでいつまでもいつまでも幸せに暮らすのだ。
ところがアフロディーテは自分からわざわざ王子様のお城に出向いて来てしまった。
それでもいい。
今時のお姫様は行動的なのだ。
まずは,そう遠くない未来,自分がここで暮らすかもしれない王子様のお城を掃除しよう。
            <完>                 
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