Yukihime
 
 今日,レノはタークスになって7年半,初めて大敗を喫した。
仕事の内容はちゃんと確認していたはずだったし,うまくいくはずだった。
壱番魔晄炉を爆破したアバランチという組織をつぶすために七番プレートを落下させてスラムごと吹き飛ばす,ちょっと乱暴なやり方だったが,レノは派手な仕事が好きだったので,大喜びで参加した。
陽気にはしゃぐレノにルードは注意を喚起した。
「気をつけろ。アバランチには,元クラス1stのソルジャーが用心棒に雇われているらしい」
「大丈夫,大丈夫。ソルジャーなんかに負けないぞ,と。ん?そういえば昨日スラムの教会で元ソルジャーとかいう男に会ったよ,と。多分そいつじゃないかなぁ」
レノが思い出したように言った。
「ふむ。どっちにしても油断は禁物だぞ。俺はプレート爆破の前に住民の避難の誘導をする。後は任せたぞ」
「行ってらっしゃい!」
ルードは先に出発した。
レノはご機嫌でルードより少し遅れて司令室を出た。
 
途中まではうまくいっていた。
爆弾のスイッチを入れて逃げようとしたとき,あの男が立ちはだかった。
レノより2つくらい年上の,大剣を背負った金髪の背の高い男。魔晄の青い目は怜悧な光を湛えている。男の名前はクラウド・ストライフ。
間違いない。
伍番街の教会にいたあの男だ。
クラウドはレノのほうに歩み寄ると,剣の切っ先を向けてきた。
「端末を解除してもらおう」
非情そうな感情のこもらない声だった。
「それはできないぞ,と」
「だったら」
クラウドは言った。
「悪いが力ずくであんたを止めさせてもらう」
本気の目だった。
―だからソルジャーは嫌いなんだ,と。こいつらなんでも暴力で片付けるからな,と。
厄介な相手に睨まれた,とレノは思った。適当に相手をして逃げるのがいいだろうと考えた。
仕方なくレノはロッドを持った。
「オラオラオラオラオラオラァァッ!」
レノは目にもとまらぬ速さでクラウドの懐に飛び入った。
しかし,レノの多いはずの手数がどれ一つクラウドに当たっていない。
クラウドはほとんど0,1秒ほどのスピードでレノの動きを読んで回避している。
まるで早回しのカンフー映画のようだ。
剣を背負ったままでレノの動きを川が流れるように受けては跳ね返す。
―コイツ,ただのソルジャーじゃない!
レノは警戒してクラウドと間合いを取った。
冷酷そうな魔晄の目がレノを見据えていた。
「遊びは終わりだ」
クラウドは背中の剣を片手で構えると,その刀身にゆらゆらと陽炎のような青い闘気が走った。
―ヤバい!
クラウドはプレイバーの姿勢をとってジャンプしてきた。
レノはどうにかロッドでそれを弾いたが,衝撃で5メートルくらい後ろに吹き飛ばされた。
レノは時計を見た。
もうすぐ爆弾が起動する。このまま戦い続けても勝ち目はないし,爆発に巻き込まれるのはゴメンだ。
「時間だぞ,と」
レノはそう言って,プレートから飛び降りた。
 
その後レノは大急ぎでルードの待つ車に乗った。
ルードはレノの顔を見ると顔をしかめた。
「顔が真っ青だ」
「気にするな」
レノは言ったが,本当は震えていた。
初めて感じた恐怖だった。
「一度みてもらった方がいい」
ルードはそれだけ言った。
「そうだな」
レノは否定しなかった。
 
診察を受ける頃になって体がほっとしたのか,レノは急に全身が痛み始めた。
レントゲンを取ると,首を捻挫して,肋骨に皹が入っていた。
他にも全身打撲で真っ赤になっている。
そばに付き添っていたルードがたまりかねて,
「一体何があった」
と聞いてきた。
「気をつけろよ,ルード。あいつは,あのソルジャーは,普通じゃない」
レノは痛みに耐えながらルードに忠告した。
ベッドに寝かされたレノは絶対安静と言われた。
首にコルセットを付けられ,全身を氷嚢で冷やされた。
しかし痛みから発熱して,氷はすぐに溶けてしまう。
―熱いぞ,滅茶苦茶熱いぞ,と。
ときどきルードが勤務の合間に様子を見に来てくれた。
「…なぁ,ツォンさんは?」
熱さましのシートの下からレノがルードを覗いた。
「古代種の引渡しの後,クラウド達が神羅ビルに来ているらしく,大わらわだ。俺もすぐに行かなきゃならん」
「そっか,じゃあしかたがないな,と」
レノがうなずいた。
でも本当はちょっと寂しかった。
それでもわずかな期待を胸にツォンが来てくれる事をレノは高熱と痛みに耐えて待っていた。
―ツォンさん,俺どうなるんだよ,と。
 
耳鳴りがする。頭が痛い。口の中が乾く。
 
「こんにちは」
枕元に陽気な女性の声がした。
ツォンの声ではない。
「どなたさんだ,と」
レノが声を掛けると,
「あたし,イリーナです」
「イリーナ?」
「レノ先輩が負傷している間に急遽採用されたんです」
「…そういうことだ」
ルードが相槌を打つ。
口がカラカラのレノに吸い口を渡しながら,
「…社長がセフィロスにやられた」
とルードが短く言った。
「だがすぐに副社長が戻ってきたので会社は機能している」
「ふぅん」
レノは水をチューチュー吸いながら生返事した。
「随分淡々としているな」
「社長がどうなろうが俺は関係ないぞ,と。仕事が続けられて給料がもらえればそれで問題ないぞ,と」
「それから,クラウド達が古代種を連れて逃げた」
―クラウド!
レノはめまいがした。あの刃物のように鋭く青い目を思い出していた。
「おい,大丈夫か」
「気にするな,と。俺はもう一度アイツと戦いたいんだぞ,と」
「分かっている」
ルードはうなずいた。
 
ルードとイリーナがいなくなった後,レノはがっくりと肩を落とした。
社長が死んだからではない。社長が死んでタークスの仕事が増えてしまい,これでますますツォンは来なくなるだろう。
 
―あーあ,ツォンさん来てくれないかなぁ。
熱は一向に下がらず,片時も氷と飲み水を手放せなかった。
「42℃。とても危険だ。解熱剤を変えよう」
医者の声がどこかで聞こえた。
―あのさぁ,俺,解熱剤なんかいらないんだよ,と。ツォンさんがちょっとでも顔見せてくれたらそれでいいんだぞ,と。
寝ている間は嫌な夢を見るし,起きていれば頭が熱くて体中が痛い。
昼間も夜も分からなくなっていた。
 
その晩レノが意識を戻したのは深夜だった。消灯時間はとうに過ぎていて,レノの頭の横の小さなライトだけがついていた。
病室のドアが音もなく開いた。
見回りの看護師ではなく,ツォンだった。
―ツォンさん!
レノは何か喋ろうとしたが,声が出なかった。
夢かもしれないが,ツォンが病室に入ってきた。
ツォンはなぜか病室のドアを内側から鍵をかけて,カーテンを下ろした。
ツォンはレノの顔にタオルを乗せて目隠しした。払いのけたかったが,手が痛くてできなかった。
少しだけ顔を左右に振ってタオルの隙間からツォンの姿を確認することができた。
―ツォンさん?
ツォンはカーテンを閉めたベッドの前で,いきなり制服のジャケットを脱いで,ネクタイも外し始めた。
―おわ!?
レノは何かの予感を感じて体を起こそうとした。
しかし体が思い通りに動かない。
―俺のバカヤロー。
レノがタオルの下で必死に目を見開いていると,よく見ると,そこには大好きなツォンの姿はなく,ピンクのビキニ姿の美しい氷の女王,シヴァの姿があったが,顔は確認できなかった。
シヴァは心配そうにレノの顔を覗き込み,
レノの枕もとの前で屈みこむと,レノの上体を優しく抱きしめた。
レノにはひんやりと冷たく,そして心地よい感触があり,頭痛や熱が少しずつ緩和されていくのが分かった。
―会いに来るのが遅くなって,ごめんなさい。
シヴァは心の中でレノにわびた。
「…うぅ,ツォンさん,来るのが遅かったぞ,と」
その心の中の声が聞こえたのか,レノは夢うつつで言った。
―ごめんなさい。辛かったでしょう。
シヴァは目隠ししたままのレノの顔を抱き寄せ,額や頬に冷たい息を吹きかけた。
レノはそこにいるのがツォンなのかシヴァなのか分からなかったが,優しい抱擁にただじっと身を任せていた。
レノは相手の顔を確認したくて目隠しを取ろうとしたが,さえぎられた。
「お願い,やめて。もし顔を見られたら,私は貴方を殺すか,それとも…」
「それとも?」
「貴方の前から姿を消さなくてはいけなくなるわ」
それは雪女の世界の悲しい約束だった。
―…ツォンさんが遠くへ行ってしまう…?それは絶対に困るな,と。
「OK。分かったぜ,と」
レノが同意すると,シヴァはほっとしてレノの体をそっと包み込んだ。
レノは心地よい冷気に包まれ,穏やかに眠りに付いた。
シヴァは一晩中,大の男のレノの体をその小柄な体で抱きしめたまま傍にいた。
 
窓にオレンジ色の光が差し込んできた。もう,朝になったようだ。
シヴァはゆっくりとレノの体から手を離した。
「…もう帰るのかよ,と」
眠っていたはずのレノが声を掛けた。
「寂しいじゃねぇかよ,と」
シヴァはレノの額に手を置いて,
「私達…またきっと会えるわ」
「そうだといいな」
「今日私がここに来たこと,誰にも話さないと約束してくれたら,また会いに来てあげる」
「そうかよ,と。まぁいいや,誰にも話さないよ,と」
「ありがとう」
シヴァはレノの唇に軽くキスをした。
 
ルードとイリーナが再びレノの見舞いにやって来た。
病室の前でツォンとすれ違った。
「ツォンさん,来たのか」
「ええ」
「レノの様子はどうだった?」
ツォンは肩をすくめて,
「せっかく私がお見舞いに来てあげたのに元気なんですもの。つまらないわ」
と言って外へ出て行った。
ルードが病室に入ると,パジャマ姿のレノが元気にロッドの素振りをしていた。
「お前,熱は?」
「お陰で下がったぞ,と」
「一体どうしたんだ。滅茶苦茶元気じゃないか」
「当たり前だ。俺は不死身だぞ,と」
退院の為に荷物をまとめる手伝いをしているルードにレノが,
「あのさ,実は昨日さ…」
と,言いかけたが,
「やっぱやめとくぞ,と」
と口を噤んだ。
また会いたいと思ったから。
「さぁ,クラウド,首を洗って待ってろよな」
とレノは新しいロッドを振り回していた。

<劇終>


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