人でなしのミネルヴァ〜the first story〜

第一話 ピーターパンとシンデレラ
 
 アンジールとジェネシスは同じマンションの隣同士に住んでいた。
2人はまるで兄弟のような親友だったけれど,趣味や嗜好がまるで違った。
アンジールは植物を育てたり,休みの日は釣りやトレッキングに出掛けるなど,アクティブだったのに対し,ジェネシスは部屋にこもって音楽を聴いたり昔の映画を見たり小説を書いていた。
アンジールは仕事以外引きこもりがちなジェネシス氏を心配しては様子を見に行った。
アンジールが行くと,大概ジェネシスは机に向かって何か書き物をしているか,安楽椅子に座り古いアナログレコードを聴いていることが多かった。
アンジールがやって来ると,ジェネシスは小説の筆が遅遅として進まないことをいつも嘆いていた。
ソルジャーになった今でも小説家になることを諦めきれないジェネシスの気持ちは理解できた。
しかしそんなときふさぎこみがちになるジェネシスを心配してアンジールはセフィロスを連れて訪問していた。
ジェネシスはセフィロスに何度も同じ質問をしていた。
「お前の夢は何だ?」
と。
すでに英雄になってしまったセフィロスは無邪気な目をしてこう答えた。
「お金持ちで優しい王子様を見付けるの」
それはジェネシスが小説家になりたいと願う気持ちによく似ているかもしれなかった。
もしかしたら無理かもしれない,だけど何があっても諦めたくない。もし諦めたら自分は消えていってしまいそうだ。
セフィロスも本来の年齢なら夢見がちな少女の時代をとうに過ぎているはずだが,それでも王子様の訪れをじっと待っているのだ。
「それで副社長が現れたわけだな」
アンジールはルーファウスの事を言った。するとセフィロスは意外な事を言った。
「うーん,どうかしらね。彼に不満があるわけじゃないけど,でも王子様ってわけでもないような気もする」
美青年で財力もあり,セフィロスを一心に愛しているルーファウスのどこに不満があるのかアンジールには理解できなかったがジェネシスは,
「よく分かるよ」
と言う。
「もっとおとぎ話みたいな出会いがいいの。シンデレラとか眠り姫みたいな。突然知らないどこかの王子様が私を連れに来てくれたならきっとその人の事好きになるわ」
ジェネシスとセフィロスの会話はアンジールにとって理解に苦しむものだったが,普段の社会生活や仕事には差しさわりがなかったので気にも留めないでいた。
 
第二話 不可思議な雑音
 
ジェネシスはいつも1人で部屋に引きこもっているらしく,アンジールとセフィロス以外の来客はほとんどなかった。
しかしあるとき,壁越しにジェネシスの部屋から話し声が聞こえる。
来客だろうかと思い,珍しいこともあるものだとたいして気にはしていなかった。
しかしジェネシスに悪いと思いながらも耳をそばだてて聞いているとどうやら相手は女性のようだ。
これは面白いことだとアンジールは思っていた。
次にジェネシスにあったとき,一体誰が来たのか問い詰めてやろうとも思った。
ところが,ほんの数十分後にジェネシスがアンジールの元へ自分の部屋で映画を見ようとやって来た。
アンジールはジェネシスに
「今,お客さんが来てるんじゃないか」
と言うと,ジェネシスは口元に笑みを浮かべて,
「いいや,誰も」
と言った。
 
その晩,アンジールは再びジェネシスの話し声を聞いた。
枕もとの時計を見ると午前3時になっている。
アンジールはジェネシスが女性と暮らしているのではないかと思い始めた。
しかし,アンジールはたびたびジェネシスの部屋に来ているが,どこにもそれらしい女性がいる様子はない。
間取りはアンジールの部屋と同じものだから,大体の構造は分かる。部屋は2DK,6畳のダイニングキッチンと,6畳の和室と洋室が一つずつ。
アンジールはそれとはなしに気配を調べて回ったが,人が隠れているそれらしい様子はない。
 
アンジールは映画を見ている間もその事が気になっていた。
 
その次の休日,アンジールはデパートのプレタポルテのフロアでジェネシスの姿を見かけた。
声を掛けようと思ったがアンジールは立ち止まってしまった。
ジェネシスは女性もののワンピースやセーターやスカートを買っていた。
「やっぱり誰か彼女が出来たんだろうか」
アンジールは何だか気になってジェネシスの後を追った。
その後,ジェネシスは下着売り場で女性ものの下着やストッキングを買っていた。
ジェネシスが女装癖のある人間だとは思えないし,やはり何かあるに違いない。
 
第三話 セフィロスの人でなし
 
三日後の夕方,アンジールは自分で育てたトマトのおすそ分けにジェネシスの部屋へ行った。
「ジェネシス」
声を掛けても返事がないのでいつものように勝手に靴を脱いで上がる。
ジェネシスは読書に没頭すると他人の声が聞こえていないことが多いので,アンジールは不思議には思わなかった。
しかし,書斎は無人なのだ。
アンジールの目は書斎をくまなく観察した。
ジェネシスは和室に敷物を敷いて洋室のように使っている。
本棚と安楽椅子,それに蓄音機。
障子の窓からは日差しが差し込んで部屋を照らし出している。
諦めて隣の寝室に入った。
白いシーツのベッドと,ライティングデスクとパソコンとプリンターと灰皿がある。
しかしよく目を凝らすと,ベッドに不自然なふくらみがある。
何だろうとアンジールがシーツを払いのけると,驚いた。
「セフィロス?」
ベッドにはセフィロスが寝そべっていた。
いや,違う。
これはセフィロスの人形だ。
樹脂で作られていて,髪の毛も生えていて,まるで蝋人形のように精巧に作られている。
アンジールの胸のそこにかすかな疑惑が浮かんだ。
もしかしたらアンジールが聞いた会話もジェネシスが問わず語りを演じて戯れていたのではないだろうか。
アンジールはかつてジェネシスがセフィロスに恋愛感情らしきものを抱いていた事を知っていた。
しかしセフィロスはその事を気付いていたかどうかは分からないが,ルーファウスと婚約した。
しかしジェネシスにその事を確認するのはアンジールとしては男同士の友情で決してやってはいけないことだと思っていたし,ジェネシスには下手に気遣いはしなかった。
 
そのはずだったが,今このセフィロスの人形を見て,アンジールはこの世のものではない恐怖を感じた。
「…ジェネシス」
アンジールはめまいを起こしそうだった。
 
アンジールはダイニングのテーブルにトマトを置くと自分の部屋に戻った。
気味の悪さと親友に対する不可解さでアンジールは怖くなり,部屋の内側から鍵を施錠した後に大音量でテレビを付けた。
 
そのとき,アンジールの部屋の窓から金色の光が流れ星のように走り,ジェネシスの部屋に入っていくのが見えたが,テレビを見ているアンジールには気付かなかった。
 
第四話 僕の彼女を紹介します
 
翌日,ジェネシスがアンジールの所にやって来て,紹介したい人がいる,という。
アンジールはなんだか嫌な気分だったが,気を取り直して従う。
ジェネシスはアンジールを自分の書斎に案内した。
「紹介するよ,これは俺だけのセフィロスだ。どこへも行かず,俺の側にいてくれる」
安楽椅子にあのセフィロスの人形が座っていた。
アンジールは努めて正気を保とうと懸命に呼吸を整えてから,
「ジェネシス,これは人形だぞ」
と言った。
するとジェネシスは,
「そうだ。昨日まではそうだった。毎日彼女に問わず語りを繰り返す虚しい日々だった。だけど昨夜,俺の願いは届き,彼女は命を吹き込まれた。俺に優しく微笑みかけ,愛していると言ってくれた」
と,わけのわからないことを言った。
アンジールは持っていた剣の柄でジェネシスを殴ってしまいそうになった。
「正気になるんだ」
「俺は十分正気だ」
「よく考えろ。人形が喋ったり動いたりそんなバカな話があるものか」
「アンジール。ピグマリオンの伝説を知っているか?大昔,ピグマリオンと言う彫刻家は,生身の女に見切りをつけ,アプロディーテに似た美女の彫刻を作った。アプロディーテは彫刻の美しさに非常に感服し,彫刻に命を与えたのだ」
「しかし,それは神話だろう。しっかりするんだ」
アンジールは今一度ジェネシスに目を覚ますように忠告した。
しかしジェネシスにはアンジールの声が届いておらず,一方的に喋っている。
「彼女は俺にインスピレーションを与えてくれる。俺の夢を叶える為にだ」
アンジールはジェネシスが頭を冷やすことを願って部屋を出た。
それ以降,明らかにジェネシスの様子がおかしくなった。
仕事には出てくるが,それ以外は部屋にこもりっきりで,アンジールにも会いに来ない。
気味は悪かったが,アンジールは一度ジェネシスの部屋に様子を見にやって来た。
ジェネシスは机に向かい,必死に原稿を書いていていて,その背後にはあの人形が座っている。
「何をしているんだ」
「彼女がくれたインスピレーションを元に小説を作っている。素晴らしい自信作になるだろう」
ジェネシスはアンジールの顔を見ずに言った。
 
やがて半月後,ジェネシスは一冊の小説を自費出版した。タイトルは,『LOVELESS』。古代の叙事詩を基にした恋愛小説だそうだ。
アンジールにとってもっと恐ろしい事が起こった。
なんとジェネシスの小説が若い女性の間でブームになり,ベストセラーになってしまった。
小説の続編は文芸誌『新星』でも連載されるようになり,ジェネシスはそこでも筆を振るった。
ジェネシスは文字通りベストセラー作家になったが,本来なら喜んでやりたいのに素直にアンジールはそうすることができなかった。
 
第五話 命の源
 
ジェネシスがアンジールに一緒に酒を飲もうと言ってきたので,アンジールは気分が乗らなかったが一応行くことにした。
ジェネシスはグラスを3本用意して,シャルドネワインを注いだ。
ジェネシスがいちいち人形に語りかけるのには気味が悪かったのでアンジールは,
「本当に話すことが出来るのならなぜ彼女は今ここで何も喋らない?」
と聞いた。
するとジェネシスは,
「きっと恥ずかしがり屋なんだろう」
と言う。
アンジールは目を合わさないように人形の横顔を見た。
何だか様子が違うような気がした。
あのときアンジールがジェネシスの部屋で初めて見たときと明らかに表情が違って見えるような気がした。
同じ人形なのだが,表情がまるで別人だ。初めて見たときよりセフィロスには似ていないような気がする。
顔はセフィロスなのだが表情は別の女なのだ。
 
第六話 女の命
 
部屋に戻ってアンジールは,何か危険な予感があった。
元々無機物だったあの人形に何かの魂が宿ったように見えたのだ。
それはジェネシスが人形を人間のように扱っているのを見たアンジールの目の錯覚だろうか。
アンジールは疑いたくないし信じたくないが一つの仮説を立てた。何者かの魂が人形に入り込み,ジェネシスをマインドコントロールしているのではなかろうか,と。
そしてジェネシスはガラティアが命を授かったように自分の人形にも命を授けられた,と勘違いしているのだ。
アンジールは悩んでいた。
今まで霊魂だ,心霊現象におめにかかったことのないアンジールは,いささかそういった事は信じがたかったし,何よりもモンスターより気味が悪い。
しかし霊障などというものが本物であれば,取り付かれた親友を助けなければ,と言う思いも強い。必要なのは祈祷師か,精神科医か。
どちらにせよ,アンジールは見えない何かを相手にして戦わねばならないようだ。
その前にどうしてもあの人形だけはどうにかしておかなければ,と思う。
「いずれにしても,あの人形はろくなものじゃない」
アンジールがそう思って神羅ビルの中をうろついていると,ジェネシスに出逢った。
ジェネシスはいつになく気味の悪い笑顔を浮かべて,
「アンジール,俺はいずれこの生活を捨てるだろう」
と意味深なことを言った。
「何を言っているんだ」
「彼女がそうするように俺に忠告したんだ。こうも言ってくれた。“今の生活を捨てて仲間と共に新しい土地へ行けば貴方は新しい世界の英雄になれる”って」
「はぁ?」
アンジールは混乱したがすぐに我に帰り,
「ジェネシス,つまらないことばかり言うな。どうもお前は神経が昂ぶっているようだ。人形ばかり相手にしているからそうなるんだ」
と言い返す。
「俺はいたって正常だ」
ジェネシスは言い切った。
「俺は彼女の言葉を信じる。…邪魔しないでくれ,俺も英雄になるんだ」
アンジールの忠告も無視してジェネシスはいなくなった。
 
「もう,一刻の猶予もない」
あの人形を処分するなりどこかへ隠すしかない。
アンジールは仕事が済むと,こっそりジェネシスの部屋に入った。
鍵が開いていたことに驚いたが構わず中に入った。
アンジールは人形を探した。
しかしどこにもあの人形がない。
本棚の回りもベッドの下も浴槽の中も見たが見当たらなかった。

第七話 おかしな荷物 
 
翌朝,ソルジャーのブースにジェネシスがいなかったので,ラザード部長にジェネシスの事を聞くと,
「ジェネシスは昨日からウータイへ任務に出たよ」
と短く言った。アンジールは頭から冷や水を浴びせられた。
「それにしてもジェネシスも変わってるね」
ラザードは続けた。
「任務に自分の身長ほどの大きな包みを持って行ったよ」
アンジールは目を見開いて口からうめき声を漏らす。
「部長,ジェネシスを監視するように同行のソルジャーに頼めませんか」
「え?」
むしろ奇妙なのはジェネシスではなくてアンジールでは,というような目でラザードはアンジールを見た。
そこでアンジールはラザードに,ジェネシスが人形が喋ったり動いたりするどころか,アドバイスまでしてくれる,とのたまった事を話した。
ただ,ジェネシスの名誉の為にその人形はセフィロスそっくりだということは黙っていた。
「少し精神バランスが崩れているのかもしれないね」
ラザードはそう言って,
「分かった。私の方から連絡してみよう」
と答えた。
「ありがとうございます」
アンジールは頭を下げた。
できればジェネシスを何とか救ってやりたいと思ったからだ。
頭を下げるアンジールを見てラザードは卓上の受話器を手に取ろうとしたとき,その電話がけたたましく鳴り響く。
受話器を耳に当てたラザードの顔色が青くなった。
「何が起こったんです」
「アンジール,君の事を老婆心だと疑って悪かった。ジェネシスが,ジェネシスが他のソルジャーを連れて失踪したらしい」
「ほんとうですか」
「こんなときに冗談は言わない」
アンジールは一体の人形によって狂気に駆られた親友の顔を思い浮かべた。
「すぐにウータイに行きます」
「そうだな。私は今から上層部に掛け合ってすぐにウータイに行く許可を取ってくる」
ラザードは上着を片手に持つと部屋を出て行った。
多分,重役会は時間がかかるだろう。
その間ジェネシスの事で気を揉んでじっとしているのも辛い。
アンジールはじっと立っているように見えるが,内心はものすごくそわそわしていた。

第八話 訓練開始

「アンジール,どうかした?」
声を掛ける者があるので振り返ると,ザックスだった。
「お前こそどうしたんだ」
「他のソルジャーがみんなではらってて退屈してた所だよ」
ザックスは何も事情を知らないのでにこやかで陽気そうだ。
その笑顔を見てアンジールは少し気分がほぐれた。
「よし,ザックス,ちょうどいい。トレーニングルームで訓練をつけてやる」
「へ?今から?別にいいけど」
ザックスも嫌がりはしない。
「1STになりたければ,訓練を怠ってはいけない。分かるな」
アンジールの発言をもうすぐ自分が1STになれる前兆だと勘違いしたザックスは,
「了解!」
と元気よく返事をした。
               <劇終>
 
 
 

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