第五章
 第一話 孤独と怒り

 
今から三十二年と数ヶ月前,クラウド・ストライフはニブルヘイムという片田舎の町に生まれた。
彼の父親は,彼が生まれてすぐに亡くなっているので,クラウドは父の顔は知らない。母親は少し精神薄弱な所があったが,クラウドをとても可愛がっていた。家はそれなりに裕福だったので,父親がいなくても金銭的には困っていなかった。
ところがニブルヘイムという閉鎖的な村社会では,働かなくても裕福に暮らしているクラウド母子へのやっかみがあり,街の人間は表上は仲良くしている振りはしても,影ではストライフ家を村八分のように扱っていた。
当然,クラウド少年はぐれた。周りにけんかばかり仕掛けるようになり,近所の子供達からは恐れられていた。しかし本人も述べている通り,弱いものや女の子には決して手は出さなかった。
そんなクラウドを恐れなかったのが,隣に住んでいた一つ年下のティファだった。ティファはクラウドに対して他の子供と同じように接していた。
そんな彼女は子供達の間でも人気者で,友達もたくさんいた。
そのときのティファは特にクラウドの事を意識していなかった。
 
当然,クラウドの中高生時代はとんでもない不良少年時代だった。周りの人間の自分の家庭に対する差別の視線や,自分自身を避ける態度がこの少年の心をひねくれさせてしまった。シドも言っていたようにやがて彼は,よその学校の不良にまでけんかをふっかけては叩きのめして帰ってくる,ということを繰り返していた。前述の通り,彼は人から軽蔑されていることがとても耐えられなかったので,勉強は熱心で,学校の成績はいつもトップクラスだった。成績優秀でけんかも強い,そんなクラウドはますます回りの人間から恐れられた。
そんなとき,クラウドは英雄セフィロスの事を知った。もしかしたらソルジャーになれば,俺の強さや能力が認められるのではないか,と。英雄セフィロスのような素晴らしいソルジャーになれば誰も自分達母子を差別したり軽蔑したりしなくなるだろう,と。もっとティファとも仲良くなれるかもしれない。そんな理由からクラウドはソルジャーになる決意をしたのだ。
決心をしたクラウドはある月の明るい夜,ティファを呼び出した。
ティファはそれまでそれほど親しくはなかったクラウドに呼び出されて町の給水塔に出掛けた。
そしてクラウドはティファに自分がミッドガルにソルジャーの登用試験を受ける事を告げた。
そのとき,クラウドはティファに自分が趣味で作った赤いビーズのピアスをプレゼントした。
ティファはまだ若かったから,クラウドから思わぬ素敵なプレゼントをもらったことを喜び,急に呼び出されたことの疑問も忘れていた。
こうしてクラウドは住み親しんだニブルヘイムを離れ,ミッドガルに向けて旅立った。
 
「そう,思い出した」
ティファは言った。
「それまでそんなに親しくなかったクラウドが私にプレゼントをくれたの。びっくりしたけど嬉しかった…」
 

 第二話 鬼軍曹
 
こうして,今から十四年前、地元のニブルヘイムの高校を卒業した彼は、ミッドガルへソルジャーの採用試験を受験のために向かった。しかし、彼はまだ知らなかった。ソルジャーの採用は二十歳からで、彼にはまだ2年足りなかった。そこで今更ニブルヘイムに戻るわけにもいかず、彼は一般兵の採用試験を受けた。一般兵になればいずれソルジャーへの登用制度もあると踏んでの事だった。実技、学科の両試験を優れた成績でパスした彼だったが、あるとき、軍の上層部に呼ばれた。
それはクラウドが成績優秀なため、是非神羅の防衛大学に奨学生として、入学しないか、という話だった。
悪い話ではないと思った。
ソルジャーの試験を二十歳で受けるのも悪くないが、四年間みっちり大学で勉強した方が、採用試験のためにも有利だろうし、何よりも自らのキャリアアップにもつながる。それが全部無償でできるというのだから、断る理由はない。クラウドは好意をありがたくお願いし、神羅防衛大学に入学した。
その四年間は寸暇を惜しんで勉強した。他の学生達と遊びに出掛けたりもせず、勉学に勤しんだ。放課後も夕方まで学内図書館で勉強し、図書館の閉館後は寮に戻ってまた机に向かった。
その結果もあって、彼は大学を主席で卒業した。
卒業後は約一年足らずの一般兵の研修を終えた後、すぐに幹部候補生となった。
初めて幹部の印である赤い将校コートに袖を通したときのことを彼は今でも覚えている。誇らしげで、背筋がしゃんと伸びた。
その頃はすでに大きな戦争は終わっていて、クラウドたちの仕事といえば神羅にあだなす不平分子の捜索と処分だった。いわゆる戦後の残党狩りである。
持ち前のクラウドの性格からして、全く臆することなく、どんどん反抗分子を摘発、処分していった。高い身体能力と優れた知性でクラウドは出世街道を上り詰め、とうとう二十歳代後半にして少佐という異例の出世を遂げた。たった一人で数百人の兵隊を纏め上げ、また彼の統率する部隊はあらゆる作戦をも成功させ、いかなる状況においても生還した。やがて誰からともなく、彼は鬼軍曹と呼ばれるようになった。
赤いコートに輝く幾多もの勲章は,彼の輝かしい戦跡の証であり,同時に人殺しの証でもあった。
この時点でもうすでにソルジャーになることなどどうでもよくなっていた。
 
なぜなら今の地位の方が一般ソルジャーよりもよほど上だったし、給料も桁が全く違った。
 
クラウドの師団とソルジャーが伴って任務に出るときも、なんだかソルジャー達の柄の悪さや品行の悪さに嫌気が差した。
よく言えば奔放で自由だが、要するに無秩序でだらしがない。几帳面で潔癖症のクラウドには始めからソルジャーは向いていなかったのかも知れぬ。
 
 第三話 運命の君
 
そんなクラウドだったが、彼にもソルジャーの友人が出来た。ザックスという男で、年はクラウドよりも一つ上、クラウドと同じ背格好,人の良さそうな男だった。
人付き合いが好きでないクラウドは、仕事の同僚とプライベートを過ごすということはほとんどない。しかし、ザックスとは何度か一緒に酒を飲んだり、食事をしたりした。そうすることで、クラウドは誰にも話さなかった自分の素性を聞き上手のザックスに話すようになった。
母子家庭で育ったこと、ニブルヘイムにいた頃は相当な不良だったこと、神羅の奨学生として大学に行ったこと、そしてセフィロスに憧れてソルジャーになりたかったこと。
 
「セフィロスに憧れてソルジャーに?」
ザックスは顔を上げてクラウドの顔を興味深そうに覗き込んだ。
「ああ。それが?」
「なんか現実主義のクラウドらしくないなってさ」
「そうかな。英雄なら誰でも一度は憧れるもんじゃないのか」
「“英雄”ねぇ。確かにすごいヤツだけど、ああいうのってさ、“英雄”って言うのかなぁ」
ザックスは、クックッと噛み殺したように笑い声を出した。
クラウドはナプキンで口を拭いながら言った。
「ザックスはセフィロスと一緒に仕事をしたことはあるのか?」
「ああ、年に何度か」
「やっぱりすごいのか?」
いつも冷めた目をしたクラウドがぱっと、少年のような明るい表情になった。
「まぁすごいといえばすげぇんだけど。どんなモンスターも刀で一刀両断だぜ。しかもドラゴンの炎なんか回避しちゃうんだぜ」
ザックスは一気に喋った後、一息ついてから、
「でも、本当のセフィロスのすごいのはそれだけじゃねぇ」
と言った。
「だけどそれは今はお前には教えられねぇ。お前がセフィロスが英雄だと思って憧れてんなら尚更の事だ」
ザックスの口ぶりは意味深だった。
 
クラウドはザックスに連れられてソルジャー達の待機するブースにたびたび遊びに来ていた。
ソルジャー達の間でもストライフ鬼軍曹の事は有名だったので,クラウドの姿を見ると,彼らは一斉にその姿を見た。
緋色の将校の制服にキラキラと輝く勲章は,彼らの注目を集めるには十分すぎるものだった。
ソルジャー達はクラウドの姿を羨望と畏怖と尊敬をもって見つめていた。
「すげーな,あれがクラウド隊長だぜ」
「見ろよ,あの勲章。あの涼しい顔で何百人殺したんだ」
「オーラが出てるよな」
皮肉なものだった。
あんなに憧れていたソルジャーに自分はなれなかったのに,今,そのソルジャー達が今クラウドを尊敬の念を込めて見ていた。
 
「なぁ,いつになったらセフィロスに会わせてくれるんだ」
クラウドがザックスに言った。
するとザックスは少しだけ渋い顔をしてクラウドを上目遣いに見た。
「実はな,…セフィロスは入院中なんだ」
「入院って…どこか悪いのか?」
「早い話がちょっとした体調不良なんだけど,宝条博士がかかりっきりで見てる」
「…そうか」
「元気になって出てきたら俺が直接セフィロスに言って会わせてやるからさ」
「ありがとう」
クラウドはぽんぽんとザックスの腰を叩いた。
実はこの瞬間,クラウドは自分のズボンのポケットから小さなマッチ箱ほどのリモコンを取り出した。
実はこれは他人のカード情報を読み取る機械で,ザックスのズボンの社員証のパスを読み取っているらしいのだ。
これがあれば神羅ビルのソルジャー用の医務室まで行けるだろう。
どうしてもそこまでしてもクラウドはセフィロスに会ってみたかった。
その晩,クラウドは偽造した社員証でソルジャー用の医務室に忍び込み,セフィロスがここよりまだ上の科学技術開発部門のICUに安置されていることを知った。
ICUは医務室ではなく,科学技術部門の研究室内にあった。
クラウドは非常に神経質すぎるくらいの用心さでICUのドアを開いた。
白い壁に囲まれたベッドにはカーテンがかかっていた。心電図の音がする。
クラウドは何の躊躇もなく、その薄いカーテンをめくった。
しかしその直後、小さく声を漏らした。
ベッドの上にはこの世のものとは思えない程美しい女性が眠っていた。優しいピンク味を帯びた肌、輝くような長い長い銀色の髪は彼女の体全体を守るように覆われている。閉じられた薄いまぶたの上からは、大きな眼球だとはっきりと分かる。鼻はすらりと通っていて、小さな口唇は血を含んだように赤かった。それは世俗的な美しさではなく、神がかった芸術品でもあった。
だが、美しい彼女の身の回りはあまりにも痛々しかった。胸にはいくつもの心電図のシールが貼られ、痩せて血管の浮き出た手首には数種類の点滴の針が刺さっている。シーツの下の下半身には導尿のためのカテーテルが挿し込まれている。
彼女の美貌が凄惨なほど、これらの器具は痛々しく、残酷に彼女の体を拘束する。
クラウドはこの美しい芸術品に賛美と憐憫の意を込めてそっと彼女の点滴が付いていない方の手に触れた。
女の手は命の鼓動があり、思っていたよりずっと温かい。
クラウドは時間も忘れて彼女のそばから離れずにいた。このままいつまでもこうして鑑賞していたいとさえ思っていた。
足音が、はっきりとこちらに近付いていた。しかし残念ながらクラウドは気付かない。とうとう足音は部屋に入って来て、カーテンを開けてしまった。クラウドはとっさに彼女の手を離して、身構えた。
現れたのは彫刻のように美しい男性だった。長身痩躯、長い黒髪を一つに結った白衣の男で、首から提げたスタッフパスには『宝条』と書かれている。このミッドガルきっての名医で、神羅の科学技術部門の責任者である、ドクター宝条。その天才ぶりと美貌は知らぬ者がいないほどだった。しかしその美貌もどことなく疲労していたが、クラウドの姿を見ると怒るどころか、口元に軽い笑みをたたえた。
「そんなに身構えなくてもいい。私は君を追い出したりはしない」
「すみません」
「謝らなくていいさ」
宝条は聴診器を付けると彼女の寝巻きの中へ押し当てた。次に血圧計で血圧を測り、体温を測り、それらの数値を用紙に記入していく。次に注射器を取り出して採血する。
「…あの,僕はセフィロスの御見舞にきたのですが」
クラウドはとんだ寄り道をした,と思った。
「そうか,彼女が起きていたら喜ぶだろうな」
宝条はにっこり笑って,眠っている美女を見た。
「え?」
「セフィロスがだよ」
宝条は淡々と言った。
「じゃあ彼女がセフィロス…?」
クラウドは目を丸くした。
「そう。彼女だ。君は“英雄”セフィロスの事を男性だと思ったのかな」
「…はい」
宝条はセフィロスのベッドわきに向けて顎をしゃくった。
ベッド横にセフィロスの刀,正宗が安置してあったのだ。
クラウドはもう一度セフィロスの顔を見る。
確かにセフィロスは銀の長い髪と聞いていたし,彼女も銀色の長い髪だ。
「彼女は、セフィロスは,生きているのですか?」
「ああ。眠っているだけさ。ほんの少しの間ばかりね」
宝条は努めて明快に言った。
「そう…ですか」
「ただ病気よりも精神的ダメージが大きかった。だから意識が戻るのが遅れているわけだ」
点滴のバッグを新しいものと取り替えた宝条はベッドの横に屈みこんだ。そのとき、自慢の長い黒髪が床に付くのも構わず、彼女のカテーテルに取り付けられた尿バッグの中身の量を測る。測ったものは持ってきたガラス瓶に捨てる。
宝条はそこまでの作業を済ませると、
「そうだ、君。これからもたびたびここへ来てくれないかな。君がこうして手を握ったり声を掛けたりしたら彼女の覚醒も早いかも知れない」
と言った。
「いいんですか」
「私もその方がありがたいね。うん、部下の方には私から説明しておく。だから君は遠慮なくここへ来てくれたまえ」
と、宝条は手を振って部屋を出て行った。
それ以降、クラウドは仕事が済むと,毎日この部屋を訪れた。
もちろん正面玄関から堂々と。
彼女は相変わらず眠ったままだったが、クラウドはいつも彼女の右手のひらをにぎり、色々とどうでもいいような話ばかり語りかけた。仕事の事、ザックスの事。
宝条は入室してきては、クラウドの様子をみながら、一連の作業を繰り返していた。
 
ただ、クラウドが首を傾げることがあった。ドクター宝条は仮にも神羅の科学技術開発部門の責任者であり、神羅医科大学病院の院長である。そんな人間が英雄とはいえ,たった一人のこの患者にほぼかかりっきりなのである。
本来ならば看護師に任せるべきであろう仕事も自分ひとりでこなす。不自然といえば不自然なのだが、それほど彼女は大切な患者に違いないのだろう。
セフィロスの体の清拭や下の世話まで,体力の要る仕事や汚い仕事もこなす。
宝条が清拭や下の世話をしている間は,男性のクラウドはいつも外で大人しく待っていた。
 
ある日,クラウドがいつものようにセフィロスのベッドの横に座って問わず語りのように話しかけていると,セフィロスの長いまつげが動いたような気がした。
クラウドが驚いてその様をじっと観察していると,セフィロスの薄いまぶたがゆっくりと開いた。
ヒスイ色に近い淡いグリーンの瞳がその姿を現す。
「セフィロス」
クラウドが呼びかけた。
セフィロスのヒスイ色の眼はまだ焦点が合っていない。
突然,ガバリ,と上半身を起こした。
そして瞳を見開いたまま,なりふり構わず激しく泣き始めた。
驚いたのはクラウドの方だった。
「どうしたんだ」
顔をぬぐうこともなく,涙も鼻水もそのままに悲鳴のような声を上げて泣いている。
泣きすぎて嗚咽が過呼吸気味になる。
これは危ない,とクラウドはセフィロスの上半身を抱え込んだ。
「おい,落ち着け,落ち着くんだ。あんた,英雄だろう。英雄が泣いてたらおかしいじゃないか」
どうしていいか分からず,クラウドはセフィロスの背中を擦った。
「気が付いたのか」
宝条が入ってきた。
「クラウド」
ザックスも入ってきた。
「鎮静剤を持って来よう」
宝条が言いかけたが,その数秒後にはセフィロスの乱れていた呼吸が少しずつ穏やかになり,やがて静かになった。
クラウドはセフィロスの頭から手を離すと,背中に枕を入れて,上体をベッドに支えさせてやった。
セフィロスはクラウドの顔をまじまじと見ていたが,隣にザックスがいることに気が付くと,
「ザックス。…これは誰?」
と聞く。
「コイツはクラウド。俺の友達だ」
「よろしく」
クラウドはうつむいて言った。
「こいつってば,勝手にセフィロスの見舞いに来てたんだぞ」
「私の…?」
もう一度セフィロスはクラウドの目を見た。
「綺麗な青い目ね。貴方もソルジャーなの?」
「いや…この目は生まれつきさ」
クラウドは言った。
「さっきはごめんなさい。私,取り乱してたわ」
「いや,その,人間取り乱すことはよくあるよ」
憧れの英雄にいきなり謝られてクラウドは困ってしまった。
ザックスの携帯がなった。
「もしもし」
ザックスの顔色が変わる。
「大変だ,神羅ビル正面玄関から反神羅組織が突入して,社員を人質にとっている。一緒に来てくれるか」
「当然だ」
クラウドが言った。
2人は専用エレベーターでビル玄関まで急いだ。
「敵は人質を取っている。慎重に行動してくれ」
「分かった」
エントランスホールまで出てきたクラウドとザックスは絶句した。
すでに反神羅組織の死体だったものが,ほぼ肉隗,ミンチの状態で倒れている。
元は人間十数人分だった手足や胴体や頭がばらばらになっていて,五体満足の形をしているものはなかった。
その中央に寝巻きのまま正宗を左手に持ったセフィロスが立っている。
その足元で人質になっていた女子社員たちが恐怖で泣いていた。
ザックスが彼女達の前に屈みこみ,
「大丈夫か」
と優しく手を差し伸べて声を掛けた。
彼女達は人質にとられたことよりも犯人達がミンチにされていくのをこの目で見てショックだったのだろう。
「どうやって俺たちより先に着いたんだ」
クラウドが唖然とする。
「さぁな。少なくともセフィロスにはリハビリなんか必要ないってことだ」
帰り道の道すがら,ザックスが教えてくれた。
「セフィロスはな,副社長のルーファウスと婚約していた。だけど,その直後ルーファウスは長期出張が重なってミッドガルにはほとんど帰って来なかった。とうとうセフィロスは鬱病になった。お前も見ただろう。急に泣き出したり,沈んだりの繰り返しだ。飯も食わない,夜も眠れない,そうしてある日突然ぶっ倒れた。お前にセフィロスを今会わせたくなかったのは,セフィロスの事を英雄だと信じているから,あんな鬱病になった英雄を見せたらショックになるだろうと思って」
「ありがとう。お前は気を遣っていてくれたんだな。だけど今はもう構わない。俺はかわいそうだと思う。あんなに弱って倒れるまで放っておかれて。副社長ってひどい男なんだな」
「婚約してたらこっちのもんだって思う甘えがあったんだろう。そんな卑怯な男はどこにでもいるさ。でもセフィロスと結婚するなんて普通の男じゃ無理だろうなぁ。金が掛かりすぎる」
ザックスは親指と人差し指で丸を作ってみせた。
 第四話 彼女の決心
 
月曜日の午後,クラウドは1人神羅ビル内の自分の執務室でデスクワークをしていた。
ノックをする音が聞こえ,クラウドは返事をしてドアを開けた。
黒いロングコートにミニスカート,ロングブーツのセフィロスがいた。勿論左手には正宗を持って。
先日と違って化粧をしているので少し印象が違う。アイシャドウの色は抑えたパールピンクで,まつげにはたっぷりとマスカラをつけ,唇は真っ赤なグロスがキラキラしている。チークはほんのりひかえめ。左右の耳にはダイヤとプラチナの華やかなピアスが揺れている。
これが彼女の仕事モードなのだろう。
「えーっと」
驚いてクラウドが顔を見ると,セフィロスは,
「入っても,いい?」
と聞いてきた。
「あ,うん」
すれ違いざまにセフィロスの体からフローラル系の華やかだけど清潔な香りがする。
セフィロスはたった一人で仕事場とは言え,独身男の部屋に入ってきて座っている。これはセフィロスが最強の英雄で、自分は何があっても身の危険はない、という自信の表れだろう。
「貴方に聞きたいことがあったのよ」
「何?」
セフィロスは指輪のケースを出して机の上に置いた。
「ルーにもらったの」
ダイヤが何連にも連なった高価な指輪だ。
「こりゃ副社長張り込んだな」
クラウドは指輪を手にとって眺めた。
「私,自信がなくなったの」
いわゆる『英雄』と呼ばれる人達はかつてそんな台詞ははいたと聞いたことがない。
「自信がなくなったって?」
「ルーの奥さんになる自信がない」
「副社長に何か言われたのかい?」
「ううん。私が決めたこと。ルーの事は大好きだけど,でももう自信がなくなったの。ルーは婚約を決めてから私の事を構わなくなったの。以前はどんなに忙しくても週末はいつも一緒だったし,旅行にも連れて行ってくれたわ。私は確かにルーのお金持ちな所も大好きだけど,でもルーはお金だけじゃなくて,いつも私の事を構ってくれたのに。大事にしてくれたのに。私がプロポーズを受け入れた途端手のひら返して冷たくなっちゃったの。急に長期出張を頻繁に繰り返して,私が電話をしても秘書が取り次いでくれないの。どうして?結婚式も入籍の相談もまだないの。もしかしたら何か理由があって私の事婚約破棄したいんじゃないかって」
「まさか。セフィロスほどの女性を振るなんて」
「分からないわ。所詮男なんて私なんかより,少々ブスでもちんちくりんでも自分よりお馬鹿さんでか弱い女が好きなのよ。なんだか私いつも損してるもの」
セフィロスはひじを突いてそこまで言ってから,
「でも私,男に生まれたいとは思わない。あんな身勝手で馬鹿な生き物にはならないわ」
とためいきをついた。
「なるほどね。で,どうしたいんだ?」
「このまま不安なまま婚約状態を続けたくないの」
「じゃあ,いっそその指輪,返しちゃえばいいだろ?」
クラウドはもう分かっていた。セフィロスはクラウドにそう言って欲しかったのだ。
「セフィロスも疲れたんだよな。かわいそうに」
かわいそうに,そう言って欲しかった。
セフィロスはほっとしたようにうなずいた。
その後,セフィロスはクラウドと2人で神羅ビルの副社長室の前まで来た。
「セフィロスさん,どうされましたか?」
秘書の若く可愛らしい女性が立った。
「これ,ルーに返して」
セフィロスは秘書の女性に指輪のケースを持たせた。
「…あの,何か伝言は」
「何も言わなくていいわ。もう話すことがないもの」
セフィロスはそう言って背中を向けた。
2人はその後ザックスに会って,ルーファウスにエンゲージリングを返したことを報告した。
「いいのかよ?」
心配するザックスに,
「俺がそうした方がいいと勧めたんだ」
とクラウドが前に出た。
「金品を与えられて満足する結婚生活も世の中にはあるだろう。だけどセフィロスがそれに対してほんのわずかでも疑問を持っていたら一度結婚は先延ばしにして考え直すのもいいんじゃないかと思うな」
クラウドは自分の子供時代を思い出していた。母子家庭だがお金には苦労しなかったが,精神的にはかなり辛いことも経験してきたから。
「クラウドは私よりももっとたくさん傷ついて,もっとたくさん苦労してるものね。ザックスから聞いたわ」
セフィロスはクラウドの顔を見て言った。
「そんなことはない。俺なんてまだまだひよっ子だ。だけど困ったらいつでも相談に乗るよ」
クラウドは胸を叩いた。
「ありがとう。私にそんなこと言ってくれる人なんていなかったわ」
セフィロスは口の端を挙げて笑った。
 
 第五話 幸せな日々
 
クラウドはもともと馬鹿ではないから,この時点でかなりセフィロスと言う女性の性格を把握していた。
『英雄』と呼ばれる特殊な環境にある為,彼女を超える存在はない。
その美しさ,強さを否定できるものはいないし,実戦においてもどんな大の男のソルジャーも彼女に敵う者などいなかった。
したがって彼女は『英雄』という頂点にあって,甘えられる存在は誰ひとりいなかった。
せいぜいプレジデントの1人息子のルーファウスが金の力で彼女に好き勝手させることくらいだった。
彼女に必要なのは,話を聞いてくれて,君は悪くない,と優しくしてくれる度量の広い存在だった。
しかし大抵の男性はそんな事情は分からないし,分かったとしてもいくら燦然と輝く宝石のように美しい女性でも,桁外れに強いセフィロスにそんな風に声を掛ける勇気はなかった。
しかしクラウドはあまりそういうことは気にしなかったので,セフィロスのおしゃべりを丁寧に聞き役に徹して,後はセフィロスが期待するような返事をするだけでいい。簡単だ。
しかしセフィロスはそんなクラウドの事をなんて度量の広い男性だろうと思い,明らかにクラウドに好意を寄せるようになった。
クラウドの方でもセフィロスのそんな立場を哀れむようになったし,何よりも何かと好意を寄せてくるセフィロスの情に絆される様になった。
そんなこともあって,2人があっという間に自然な形で恋愛関係になるのは当然の結果とも言える。
以降,クラウドは毎週末セフィロスのマンションで過ごした。
セフィロスが煙草を嫌うのでいつの間にかクラウドは煙草の本数が減り,1年後にはとうとう禁煙に成功した。食事もこれまでは閉店間際の割引惣菜やコンビニ弁当で済ませていたものが,セフィロスの料理を食べるので肌も吹き出物がなくなり,つやつやしてきた。以前は目も当てられない健康診断の結果も今では優良だった。
ザックスがセフィロスは金遣いの荒い女だと言っていたが,もともとそれはセフィロスがそんな性質を持っていたのではなくて,ルーファウスが何でも金で解決しようとしていた結果そうなってしまっていただけだった。
週末はクラウドの軽自動車でドライブに出掛けたり,セフィロスが雑誌で見つけたお洒落な店へ食事に行ったり,といった具合だった。
クラウドは趣味のビーズ細工で作ったピアスをセフィロスにプレゼントした。ティファにあげたものと色違いの全く同じデザインの黒いビーズのものだ。
「ありがとう,ずっと付けてるわね」
セフィロスは今付けているピアスを早速外してクラウドにもらったものを付けた。
「クラウド,貴方が初めて私に会いに来てくれたときの事覚えてる?」
「ああ」
「私はずっと悪い夢を見ていたの。寂しくて,暗くて,怖かったの。きっと意識が戻って現実に戻るのが怖かったのね。だから眠り続けていたいと思った。でも見えたの。青く澄んだ光。怖いけれど目を開けたらあなたの目だったのね。私なんだかほっとしちゃって辛かったこととか全部出て来ちゃって…」
「あの時はいきなり泣き出すから驚いたな」
「本当は私も驚いたのよ。いきなり抱きしめられたから」
「びっくりした?」
「ううん。嬉しかったの。言葉なんて必要なかったんだわ」
セフィロスはクラウドの胸に頬を寄せた。
「私,貴方に出逢えたこと,本当に感謝しているのよ。そうでなかったら私,また暗いところに1人でぽつんとしていたわ。どんなに頑張っても人間なんて1人では生きていけないもの。英雄とか,普通の女の子とか,関係ないわ」
何気ないセフィロスのそんな一言がクラウドはとても胸にしみていた。
自分が感謝されている,必要とされている,本当に心からそう言ってくれる人がいる存在が。
恐らくこの頃がクラウドにとって今まで生きてきた中で一番幸せな日々だった。
 
 第六話 君への言葉
 
 ある時,セフィロスが任務でジュノンへ任務で行く事になった。
反神羅のテロ組織がジュノン港を乗っ取ろうとしていて,すでに軍隊が投入されていた。しかしなかなか決着が付かず,ソルジャーを投入することになった。
移動の車の中でクラウドから電話が入った。
『今少し話せるか?』
「…いいわよ」
『あの…その,俺はセフィロスもずっと気にしてると思うだろうけど…ここできっちりしておきたいと思うんだ』
クラウドは何か言いにくそうだ。
「どうしたの?」
『その…けじめを付けておきたいんだ』
「何のことを言ってるの?」
『結婚してくれ』
「…」
セフィロスは携帯を持ったまま,ぽかんと口を開けていた。
人生で二度目のプロポーズはあっけなく訪れた。
「ちょっと待ってよ,急に電話でそんなこと言われても困るのよ。ちゃんと,ちゃんと私の目を見て言って欲しいのに」
セフィロスが金切り声を上げたとき,車がジュノンに到着した。
「信じられない。もっと雰囲気出しなさいよ」
片手に正宗,片手に携帯を持ったセフィロスが車を降りた。
「ごめん,俺も思いついたときに言っておこうと思って」
クラウドが応えた。
しかしそれは電話から聞こえてきたのではなくて,直接セフィロスの耳に入った。目の前にクラウドが携帯を片手に立っていた。
「先に入ってた軍隊って貴方のところの部隊だったの?」
「うん」
クラウドは携帯を胸ポケットにしまうと,
「それで…あの」
クラウドは言いにくそうにセフィロスの返事を待っている。
セフィロスは一度深呼吸をして,
「私はドコへだって付いてくわ」
セフィロスはクラウドの胸に頬を寄せた。
クラウドはセフィロスを優しく抱きしめた。
「…ねぇ,クラウド」
クラウドの腕の中でセフィロスが甘い声を出した。
「何?」
「クラウドの後ろに2人,私の背中に3人,クラウドから10時の方向に2人,4時の方向に2人」
「すごいな。俺は後ろに1人,君の後ろに2人しか気付かなかった」
セフィロスから手を離した0,1秒のスピードでクラウドは後ろを振り向き,腰に挿して持っていたマシンガンをぶっ放した。
クラウドが2人射殺して振り返ると,とっくにセフィロスは残り7人を片付けていた。
「今日の仕事が済んだら今後の相談もかねて食事しよう。この上のエルジュノンにロブスターの美味い店を知ってる」
 
 第七話 私のあしながおじさん
 
結婚が決まった二人は今後の生活の事,挙式の事を色々話し合った。
一週間後には,2人はそれぞれ住んでいたマンションを引き払って新しく広い部屋に引っ越した。
後は挙式の予約やウエディングドレスの購入などの予定があった。
「ねぇ,クラウド。私にはあしながおじさんがいるのよ」
と笑った。
「あしながおじさんにも招待状を出していい?」
「あしながおじさんって誰だい?」
クラウドが聞くと,
「知らないの。私が小さいときからプレゼントを贈ってくれる顔も知らない人。死んだパパにお世話になったって言ってたわ。きっとお金持ちなのね」
「住所は知ってる?」
「いいえ。知らないの。でもあしながおじさんからの手紙には,“私に手紙を出すときは,三番街の私書箱47号に出しなさい”って。だからその住所におじさんへのお返事書くの」
「なるほどね」
「ね,出していい?」
「そんなにセフィロスが世話になっているおじさんならなおさら出して是非式に参列してもらいたいものだね」
一週間後,クラウドがポストを調べると,セフィロスの話していた『あしながおじさん』からの手紙が着た。
『ご成婚おめでとう。
式には是非参加させて頂きます。
君にお祝いの品を送ります。
“プリマヴェーラ”の直営店でどれでも好きなウエディングドレスとカラードレスを選びなさい』
プリマヴェーラはミッドガルで一番有名なオーダーメードのドレスブランドだった。
2人は戸惑いながらも週末にプリマヴェーラに行った。
デザイナーと店長が,
「ある匿名の方からすでにお代金を頂いております。お好きなものをおつくり致します」
と言った。
「全くその『あしながおじさん』とやらはとんでもない人だな。よほどの金の使い道に困っている人か,あるいはガスト博士は実は育ての親で,その『あしながおじさん』が本当の親っていう話かも知れないぜ」
クラウドは冗談交じりに言うと,
「やぁね。そんなことないわよ」
とセフィロスは笑ったけれど,
「でも。この『あしながおじさん』が私の本当のパパだったら良かったのに」
と言っていた。
 
もうひとつセフィロスは決めていた事があった。
「クラウド,私,結婚の報告を兼ねて神羅に退社願いを出したいのよ」
「それってソルジャーを辞めるって事?」
「あら,いけない?」
「英雄がいなくなったらファンが悲しむぞ」
「そんなことないわ。結婚したらきっと私の人気なんてガタ落ちよ。だから関係ない。英雄を必要としているんだったら他のソルジャーがなればいい。それにルーは言ってくれたわ。結婚したらいつでもやめていいって」
「ソルジャーの仕事嫌いなのか?」
「そうじゃないけど。でももういいの。私,ずっとこの仕事しかやってこなかったから他には何もできないけどもういいの」
セフィロスは後ろ手に組んでスリッパをはいた足元を見ている。
何か事情があるようだが,聞かない方がいいかもしれない。
結局,セフィロスは退社願いを持って会社に行ったが,会社側は次のニブルヘイムへ行く任務が終わってからもう一度考え直してくれ,と出てきたので,仕方なくセフィロスはニブルヘイムへ行く,と言った。
帰ってきたセフィロスがその事をクラウドに言うと,
「ニブルヘイムは俺の故郷だぞ。ちょうどいい。母さんに結婚の報告がてらに俺も任務に付き合うよ」
と神羅経済新聞から顔を上げて笑った。
 
 第六話 悲劇が足早に
 
ニブルヘイムに着くまではクラウドはご機嫌だった。ソルジャーにはなれなかったけど,立派な将校になった姿を母親に見せたかった。
車の中はセフィロスと親友のザックス,そして部下の2人の神羅兵。
「そうそう,先に町のガイド役も頼んでおいたわ。ティファ・ロックハートと言う女性よ」
セフィロスがクラウドに言うと,クラウドが真っ青な顔になった。
しかしザックスはクラウドの顔色がおかしくなったことに気付いた。
「?」
途中,休憩のため,サービスエリアに立ち寄って,セフィロスがトイレに行ったり,化粧を直している間にクラウドが駐車場でザックスのニットシャツを引っ張った。
「どうしたんだ」
「まずいんだ」
いつもは冷静な男のはずのクラウドが,明らかにあせっている。
「実はな,そのガイドの事なんだが」
「ティファちゃんとかいう子だろ。可愛い子だといいなぁ」
「…いや,その」
「分かった!その子,お前の彼女だったんだろ」
「そんなんじゃない。ちょっとした幼馴染だ。だけど…セフィロスが結婚の事を言ったらどうしようかと思うと」
「はぁ?お前二股かける気?」
「そうじゃないんだ。ティファを傷つけたくないんだ。それにセフィロスも」
「んー分からないでもないけど」
ザックスが言った。
「しょがねぇなぁ協力してやるよ」
そこへセフィロスが戻ってきた。
「そんな隅っこで貴方達何やってるの?気持ち悪いわね」
 
車はようやくニブルヘイムに着いた。
クラウドは将校の制帽を目深にかぶり,誰にも顔を見られないように注意した。
「ねぇ,どうしてだまってるの。せっかく帰ってきたのに」
セフィロスが振り返った。
「あー,クラウドは急に喉が痛くなったんだ」
ザックスが説明した。
 
クラウドはセフィロスとザックスを連れて自宅へ向かった。
「母さん,ただいま」
電話でクラウドが帰ってくることを知っていた母親は大急ぎで出てくると,クラウドに駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。まぁこんなに立派になって。ゆくゆくは元帥閣下かしら。ふふふ」
「母さん,紹介するよ。こっちは親友のザックス。こっちはセフィロス。あの…その…」
クラウドがもごもごする。
「俺達…結婚するんだ」
「まぁそうなの。貴方ももうお嫁さんをもらう頃になったのね。可愛らしいお嬢さんだこと。さあ上がって頂戴」
クラウドの母は来客たちを歓待した。
 
「そう,そうだったのよ」
ティファが言った。
「セフィロスと一緒にいたソルジャーはクラウドじゃなくてザックスって言う人だった。…じゃあ,あの一緒にいた赤いコートの人がクラウドだったの?」

 
 第七話 真実の映し鏡
 
 魔晄炉の中で,セフィロスに突っ込んで行ったティファがセフィロスに斬りつけられた。
「やめるんだ,セフィロス!」
ザックスがセフィロスに駆け寄った。
狂った彼女にはもう何も分からない。
邪魔をするザックスすら斬ってしまった。
セフィロスは奥のジェノバの部屋へと入っていく。
少し遅れてクラウドが魔晄炉に入ってきた。
ティファを安全なところに運ぶと,ザックスの剣を拾い上げてセフィロスの後を追ってジェノバの部屋に入る。
セフィロスはこちらに背中を向けている。
今もしセフィロスがかつてクラウドが愛したあの微笑で自分を振り返ってくれたなら。
しかしガラスに映るセフィロスの瞳はもう,狂気の色のまま戻ることはなかった。
クラウドの見開いた目は乾いていたが,心の中では涙を流していた。
母を殺され,村の人を殺され,ティファは生死の境をさまよっている。
しかもその凶行に及んだのはクラウドが誰よりも愛していた女性だった。
 
もう,あの幸せな日々は戻らない。
母もティファもセフィロスも。
 
クラウドはゆっくりとセフィロスの背後から近付き,培養液の中のジェノバに気を取られているセフィロスにゆっくりと近付くと,その華奢な背中に剣を刺した。
一瞬,セフィロスの体は大きく跳ね上がり,ゆっくりとうずくまった。
恐怖でクラウドが剣を引き抜くと,傷口から真っ赤な血が流れる。
「…クラウド。何する…の」
狂っていたとはいえ,セフィロスはクラウドの事だけは忘れていなかった。
うずくまり,悲しそうにヒスイ色の瞳から涙を流すセフィロスを見るのはクラウドは辛かった。
 
―俺には,止めは刺せない。
 
クラウドはそれ以上耐えられなくて,魔晄炉から逃げようとした。
セフィロスはよろけながら立ち上がり,ジェノバの首を持って歩き始める。
「…邪魔,しないで…」
セフィロスはクラウドの横を通り過ぎ,魔晄炉を出ようとする。
「これ以上俺を苦しめるな」
クラウドはセフィロスの体をつかんだ。
ところがセフィロスは手負いの体なのに正宗でクラウドの腹を貫いた。
「嫌よ。私だけ死ぬなんて…嫌」
しかしクラウドのよく澄んだ青い目は仄かな優しい光を放ち,彼の海よりも深い包容力はセフィロスの悲しい眼を真正面から受け止めた。
「私,貴方と離れたくないの。星が滅茶苦茶になったって私と貴方がいればそれでいいのに。ママは私達2人の為に新しい世界を作ってくれるはずよ。それじゃだめなの?」
「セフィロス,お前,言ってたろ。人は一人じゃ生きてけないって。でも2人だけでもだめなんだ。2人よりも3人,3人よりも4人,世界には数え切れない人間がいて,助け合って生きているんだ。俺とお前だけじゃだめなんだ。母さんも,ティファも,ザックスも,必要じゃない存在じゃないんだ。…分かるだろう?」
クラウドはセフィロスの頭を抱きしめて言った。
「私,貴方に会えてよかったと思ってる。それは忘れないで」
セフィロスはゆっくりと瞳を閉じて倒れていった。
クラウドの乾いた目に涙が流れた。
こころから自分を愛してくれたたった一人の女性を死なせてしまった。
クラウドは自分の腹から正宗を引き抜いて,セフィロスの左手に握らせ,その体をそっと抱えた。
抱きかかえたセフィロスの体はクラウドが思っていたよりずっとずっと軽かった。
クラウドはセフィロスを魔晄炉の下,ライフストリームの流れる中へゆっくりと流した。
 
 
ティファはそれとなく隣の席のクラウドを見た。
スクリーンに向かって目を見開いたまま,クラウドはだだ涙を流れるままに,ぬぐおうともせずにいた。
ティファは無言でクラウドの頭を抱いた。
かつてクラウドがセフィロスにそうしていたように。

 
やがてクラウドは,ティファの元へ戻り,
「待っててくれ。すぐに救急車を呼ぶ」
と声を掛けた。
そして優しく,
「遅くなってすまなかった」
と言った。
 
「クラウド…約束守ってくれたんだね。ピンチの時には必ず来てくれるって…本当に来てくれたんだね」
ティファは声を詰まらせた。

 
ティファ,クラウド,ザックスは救急車に乗せられた。
唯一意識のあったクラウドは,病院で2人の怪我の説明をした。
そこまでは無我夢中だったが,一人で病院のベッドに座ったとき,果てしない虚無感がクラウドを襲った。
母と恋人を一度に失った。
声を上げて泣いてしまった。
一週間ほどしたある日,ベッドで横になっているクラウドの元にザックスが訪れた。ザックスは腹に包帯を巻いていたが,服を着ていた。
「え。ザックス,意識が戻ったのか」
「そんなことよりクラウド,早く逃げるんだ」
「どういうことだ」
「宝条が俺達を人体実験に使うつもりらしい」
クラウドは服を着て大急ぎで荷物をまとめた。
2人は闇に紛れて病院を出ると,ミッドガル行きの長距離バスに乗った。
このバスはフェリーを乗り継ぎミッドガルに行ける。
バスの中でザックスは言った。
「クラウド,もう少しでミッドガルに着くぞ。なあ,俺はもうソルジャーには戻れない。何か別な商売を始めようと思うんだ」
「別な商売?」
「何でも屋ってのはどうだ」
「はぁ?」
「荷物の配達からハウスクリーニングにボディガード,買い物の手伝い,何でも致します」
「儲かるのか,それ」
「いいアイデアだと思うけど。お前も手伝えよ」
「給料しだいだな」
「チェッ,お前は相変わらずドライなヤツだ」
バスはミッドガルに着いた。
バスターミナルを降りて2人は歩き始めた。
「クラウド,荷物もたせて悪い」
「いや,ザックスは怪我をしているんだ」
「ところでクラウド,俺達はどうもつけられているらしいぜ」
「…分かってる」
ザックスとクラウドの前と後ろに神羅兵が現れた。
「クラウド逃げろ!」
ザックスは傷を追った体で剣を振り上げた。
「ザックス!」
「いいから逃げろ!お前はこれ以上不幸になっちゃいけない!」
ザックスに怒鳴られ,クラウドは走り出した。
背後で銃声が響いた。
 
クラウドは自宅マンションに着いた。
部屋に入ると,誰もいない部屋にありがちな冷たい空気が吹き込んできた。
ニブルヘイムの任務から帰って来る時は,2人のはずだった。
ザックスの荷物を開けると,ザックスがソルジャー任務中に着ていたニットのシャツとパンツ,それにジンの瓶が入っていた。
母,恋人,親友を失ったクラウドの精神はゆっくりと壊れ始めた。
 
それからしばらくしてクラウドの部屋に看板が上がっていた。
『何でも屋 ザックス・クラウド商会』
 
クラウドは完全に記憶を失ってはいたが,なんでも屋を始めた。
仕事の依頼はそこそこあり,すぐにクラウドの商売は安定した。
ある日,クラウドのところへ1人の女性客が現れた。ティファだった。
「こんにちは,ここはなんでも屋さんって聞いたんですが…あっ,クラウド!」
 
映画はそこで終了した。
「ティファ,帰ろう…」
そこで初めてクラウドが言葉を発した。
「うん,そうだね」
まだ足がおぼつかないクラウドの体を支えるようにして映画館を出た。

             
<第五章・完> 

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